アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

戦時中に生まれの人の生年月日、亡くなった人の没年は正確なのですか?時代が混乱してる時で役所への手続きは遅れないのですか?あと、戦時中結婚したと言う人もいたのですか?

A 回答 (4件)

時代的に混乱期であっても 役所の機能は確りして居ました、


色んな届出は現在より あいまいで出生届も実際と異なって届けられ
私も兄と年子に成ると言う理由で翌年の届です、
結婚届も数ヶ月遅れ、中には子供出来たので届けだそう、など

役所は確りして居たが 庶民が適当だったのが理由
    • good
    • 0

戦中生まれです。

誕生日をずらして出生届は、結構あった様です。かく言う私も月末より、月初が良いというだけで、29日が1日となったと、母が教えてくれました。それでもそんなに多くはなかったようです。戦争で時代が混乱していても、役所は機能していて、空襲で戸籍簿が焼失した都市部以外は、正確に出生届も死亡届も受け付けられていた様です。そして大切な資料は、疎開していた都市も結構あるようです。

問題は、戦死者です。部隊が全滅したり、艦船が行方不明になったり、輸送船ごとそっくり海没したりで推定日の方が多いのは言うまでも有りません。戦闘でも負け戦の際は、小指を切り取り後火葬して遺骨を持ち帰ったなどは良い方で、遺骨さえ帰ってこない戦死者が多数存在しました。勿論戦死日は、推定が多くなります。少数ではありますが、生き残った兵士は戦後戦友の戦死状態を伝えて行脚された方も多く存在し、遺族にその最後を伝えた話が多く残っています。陸上で玉砕した部隊ですら、少数の生存者が存在した場合もあり、それらの兵士の関連の戦死者は、正確な日にちを伝えられています。現代に伝わる混乱状態は、推測が多く、兵士も役人も、本分を必死に守ったのも事実です。

空襲は、東京大大空襲後というより、S20年6月頃から多くなり、大都市以外、繰り返しの空襲は有りません。其のため現代から考える程混乱していたわけでもなく、地方都市の戸籍は、しっかりと記録され、消失部分も復活されたようです。
    • good
    • 0

もう亡くなりましたが、大正元年生まれの私の祖母は、4月生まれだったところを、わざと3月生まれとして届け出られた為、学年で身長が1番小さかった…とぼやいていました。



祖母の親が子供の誕生日を1ヶ月早めて届け出た理由は、「早く学校へやりたかったから」だそうです。
祖母の娘(母)によると、この頃こういった事は多かったそうです。

子育ては手がかかるし自分たちの仕事もできないから、早く学校に出さねば…という考えだったと思いますが、この時代はいい加減だったようですね。
    • good
    • 0

昔は、故意に誕生日をズラすことがけっこうあったそうです。


没年の方は、生死不明が多いので、予想して決めたことが多いとか。
そのごろは、跡継ぎの子供にこだわってたので、出征前に結婚のパターン、多かったようです。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!