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倭国が大和に変化し、日本にほんイコールやまとになった過程を知りたいのですが?

A 回答 (3件)

西暦約250年邪馬台国、西暦約250年~350出雲の国、では倭国とは奈良の大和の国かも?

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邪馬台国をからめると話がややこしくなるから、それ以降で。


まず中国の人が他の国の名前を付けるのに、その国の一人称を国名としていたという慣習があって、それで自分たちを”ワ”と読んでいたからワ国、ワの音に倭の字を宛てたので『倭国』という表記になりました。
”ヤマト”というのは、日本語です。山の入り口の意味だと言われていますが、ともかく日本人は昔から自分たちの国(の1つ)をヤマトと呼んでいたのです。もともとは狭い領域を指す言葉だったとは思いますが、畿内ヤマト王権が日本統一後は、日本全体をさしてヤマトと呼ぶようにもなりました。

ここで『倭国(ワコク)』というのは中国語の表記で、ヤマトというのが日本語の表現です。こういう場合、日本人は『倭国』と書いて”ヤマト”と読む、ご存じのように音読みと訓読みのようなものです。倭国の音読みがワコクで訓読みがヤマトです。

少し前後しましたが、畿内ヤマト王権が日本統一後は、倭国が大きく1つにまとまったとして大倭(大倭国)と書かれるようになり、この倭の字を日本人の好きな和の字に置き換えて、大和としました。なので大和と書いてヤマトと読みます。

いつ頃だったか忘れましたが(wikiで調べて)、もともと倭国などというのは中国の人が勝手につけた名前なので新しく自分たちで国の名前を付ける、といってつけたのが『日本』という表記です。なので日本の音読みはニホン(ニッポン)ですが、訓読みはヤマトです。ヤマトタケルノミコトが日本武尊と書かれたりするのはそのためです。

ヤマトという呼び方があるのに、なぜ日本などという表記を作ったのか、などというのは少しわかりにくいかもしれません。当時は中国語(漢文)が世界標準語だったので、自分たちの国の名前も他の(世界中の)人たちに主張するために漢字で表現する必要があったのだろうと思います。
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魏志倭人伝では邪馬臺国の表記があります。


日本書紀では夜摩苔と言う記載があります。

中国からは倭国と認められていましたから、倭をヤマトと当て字したのが最初です。

扶桑国(日本の意味)ですが、官書では正式な名前以外使いません。
私選歴史書などで見られます。
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