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「不夜城」っていう本、ご存知でしょうか。歌舞伎町の中国マフィアを小説化したもので、数年前金城武主演で映画化もされました。その中にこんなくだりがあります。

「百パーセント日本人か金持ちでなきゃ、幸せにはなれない国だからな、ここは」おれは答えた。血だけじゃない。言葉、受けてきた教育、見ていたテレビ番組-そういうものが1 パーセント欠けただけで、異邦人として扱われるのがこの国なのだ」(「不夜城」P,214 )

私は、帰国子女で、子供のときに東南アジアの国に5年間滞在していました。といっても、日本語に囲まれた文化で、日本語も流暢にしゃべれます。しかしながら、日本の公立の中学校に入って、最初に感じたことがこれでした。テレビをあまり見なかったので、そのことで周りの話題についていけず、友人も作るのに苦労した。

こんなことは、日本特有の事柄なのでしょうか。それとも、世界どこにでも起こりうることなのでしょうか。
ちなみに、私自身は、こんな「島国根性」が嫌で嫌でしょうがなく、この島国根性をぶっ潰すことを、自身の夢にしています。

親や友人に相談したら、「これは、いわゆる日本人の習性なのだから、もしどうしても嫌で嫌でしょうがないのなら、おまえが海外に出て行った方が良い」と言われたこともあります。

どうやったら、変えられるのか?日本の教育を変えるしかないのか?けど、国民性だから教育以前の問題だと思うし。

ちなみに、私は今日本を覆っているすべての諸問題の根源は、この島国根性をはじめとした「国民性」だと思っています。
もちろん、その「国民性」には、いいところも悪いところもあるのは承知です。

しかし、残念ながら、悪いところが目立っていることも事実ですし、それが世界の潮流の中で受け入れられていかないであろうと、確信しています。

忌憚ないご意見、ご提言をお待ちしています。

A 回答 (19件中1~10件)

「島国根性」 をどう捉えるか、で回答は変わってくるでしょうが、下記は近頃答えた別質問です。



http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1048836
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1049221
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1055698

それぞれ内容は違いますが、共通するものとして、「自分たちはこうしている、こうである、従ってそれは正しい」 で終わっていて、別の観点、別の価値観からものを見ようとしていない、ことが日本の特徴だと思っています。それに対して疑義を唱えているのが、上記の回答です。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1051550

のように、別の方でも同じように思っている方もおられるようですが、全体を通じると少数派のようです。

長々と引用しましたが、私見としては、歴史が絡んでいるようには思います。地域・血縁社会、行政機関の末端として過去機能した檀家制度、五人組から始まる隣組を経て残存する町内会、等が成立した所以は、「均一化」 が Key Word になると思います。回りとは違ったことをしない、と言うことです。これが規範となった結果、外国人は、まず外見、次に言葉が明らかに違うことから、この 「均一化」 に馴染まない訳です。そこで排除にかかる、この傾向は今だに認められると思います。「均一化」 の中に、「疑ってはいけない」 が含まれていることがもっと問題です。即ち、疑義を唱える者を無視・排除しようとする傾向もまた認められます。この 「均一化」 が底辺にある以上、いくら外国との Communication を取ろうと、海外旅行しようと、所詮変わるものではないと思います。

結論は、「個を認めず集団を優先し、集団固有の価値観以外は排除しようとする」 とする Mentallity が 「島国根性」 の基盤であろうと考えています。これを打破しない限り、言われている様な問題は起きると思います。最終的には 「個の価値観」 を認める世界に変えて行くしかないと思います。

いささかわかりにくい文章になってしまいましたが、いくらでも補足しますので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ただ、では具体的に、どうすればよいのか、というところに私は興味ありますね。

お礼日時:2004/10/29 01:30

質問者様と言い争うつもりはありません。


(自分の書き込みのフォローです。)

私のイメージとgooの国語辞典での定義です。
======================
gooの国語辞典では、
・島国根性
島国に住む住民にありがちな、視野が狭く閉鎖的で、こせこせした性質。
・占領
他国の領土を自国の武力の支配下に置くこと。
・征服
征伐して屈服させること。
・征服王朝
他国を征服して建てた異民族の王朝。特に中国史上、遼・金・元・清の各王朝をさす。

とあります。
==私のイメージ==============
私は「征服」と「占領」は異なると捕らえています。私のイメージでは「征服」は「征服王朝」的なイメージであります。
征服された国の民(民族)は、殺されるか奴隷になるかと言うイメージです。
この奴隷のイメージは、いわゆる黒人奴隷的なイメージです。プロパガンダなどによる洗脳的なものはさしません。

この回答への補足

なるほど。その意味でしたら、確かに我々は、征服はされてはいません。

しかしながら、「日本が他国に征服されていない」「日本は、他国に植民地化されていない」という文言が、ともするとポツダム宣言を受諾した事実上の敗戦の日を「終戦記念日」などとごまかすが如く、連合国に敗戦し、占領されたにも関わらず、その事実を認めない文脈で使われることが多いので、つい過剰反応してしまいました。

補足日時:2004/11/09 22:44
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答えは簡単です。


あなたが日本から出て行けば済む話です。
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この回答へのお礼

そうですね

お礼日時:2004/11/09 22:38

良いのか悪いのかは別にして、日本は島国であるため他の大陸の国々から見ると いろいろな面で特殊ですよね。



島国であるために、他の国に征服されなかったし。
(元寇のときは 危なかったかもですが)
資源が無い、陸続きで無い など 征服するのに魅力も無かったのかも知れません。

さて、島国根性を直すには 島国で無くすしかないでしょうね。橋やトンネルではなくて、日本海を埋め立ててしまえばよいのですよ!(石器時代のように)
大陸の端っこですが、地続きとなれば 尻に火がつきますね。
自信あり!

この回答への補足

「島国根性」の定義は難しいですが、まぁ、よそ者をはねつける精神、ということだとすれば、単純に陸とつながっても、大陸のど真ん中のアメリカの田舎にも、島国根性が根ざしていることを考えると、難しいでしょうね。

それにしても、多くの人が「日本は他国に征服されていない」と言われていますが、私には不思議でしょうがない。第2次大戦で負けて、アメリカ(をはじめとした連合国)にきちんと占領されてますが。そして、その影響が色々な面に色濃く残っておりますが。

補足日時:2004/11/07 11:11
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なかなか良い質問です。



これは、帰国子女だけではなく、国内でも転校の多かった小員、小員の兄弟、その後は海外に家族帯同で赴任し帰国した小員の帰国子女と呼ばれる子供達にも当てはまります。地元主義と他所を知らない人間が群れている社会には日本に限らずありがちなことです。日本も外国も関係ないと思います。いままでもまれたんですから、個を大事にし、群れている集団を相手にしないで生きていくことです。悩むことはありません。

群れをぶっ潰すのは難しいですよ。静かな目で時には冷ややかな目で見てあげましょうよ。そして、君は個を大事に生きていきましょう。

世界中に中華街があり、インド人街があるのです。
歌舞伎町に中国マフィアが集まっているのも群れているのではないかな。異邦人と云ったところでやはり群れにいると楽だからね。

それにしても日本人は不思議ですね。実用で使うこともない人が多いのにも拘わらず、英語会話学校に若い女性が群れ、魅力のない巨人軍に未だに野球界のみならず野球ファンまで群れている。

個と云う言葉が嫌であれば、お互いCosmopolitanで生きていきましょう。(帰国子女や海外駐在の長い人達の群れにも近づかずにね。)

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

おっしゃるとおり、群れにいると楽です。楽だからこそその群れからはじかれた時、疎外感・不公平感を感じるんだと思います。逆に、独りで生きていくことに何の痛痒も感じない方は、おそらく私のようなことは考えないでしょう。

自らの周囲の環境が、自分にとって望ましくないとき、それを変えるよう働きかけるか、もしくはあきらめてそれに適応するように自らを変えていくか、のどちらかですよね。

このトピに集まってらっしゃる分別のある方は、結局自分が生きやすければどちらでもいいのではとおっしゃるでしょう。後者の生き方ですね。私は、その生き方が立派で出来うるなら自分もそうしたいとは思います。が、私は、自分をはじいた「日本社会」(という言い方が適切でなければ、その当時の「周囲の環境」でしょうか)に、うらみ・つらみはありますので、機会があれば、それを解消したいという気持ちはあります。

もちろん、それが大人気ない、とか、そんな考え方では自分が不幸なだけだ、もっと大きな視野を持った方が自分が幸せになれるし他も幸せにできる、とはもちろん理性では理解できるのですが、残念ながら私は自分の感情を理性で抑えられるだけの器量は持ち合わせていないので、それを解消できずにいます。

もちろん、人生他に楽しいことはたくさんありますし、私自身そういったことを楽しんでおります。そして、日本にもう人生の半分生きてきて、ようやく日本に愛着を感じ始めたところです。愛着を感じる、だからこそ日本に変わってほしいのです。

補足日時:2004/11/07 10:38
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全ての国を見て来た訳では有りませんが、見知らぬ他者に排他的な国はかなり多いのではないかと思います。



帰国子女でもすぐ日本に同化して何の違和感もなく溶け込む人も少なくありませんよ。
以前このサイトで全く同じ質問がありましたが、その時の回答は帰国された人にも問題があるとの回答が多くありました。その問題の共通点は帰国者が日本人を馬鹿にするような態度にあるとの意見でした。

聖徳太子の教えである「和をもって尊しとなす」の教えがありますが、これは多分一致協力して生き抜いてきた農耕民族の知恵がそこにあると思います。しかし、これに影響された日本人の特徴の大きな一つに「他者に迷惑をかけない」なり「出る杭は打たれる」等の事があると思っています。

これはみんな同じ様なルーズソックスをはいた女子高生、同じネクタイ、スーツのサラリーマン、それなりのカッコの暴力団員等右翼左翼までほとんど全ての日本人にあるのではないでしょうか。特に女子で中学校くらいの年齢では、まだ仲間内で行動する事が非常に多い事が、更に同族意識を持つのかもしれませんね。

欠点は長所の裏返しですので、全てが悪い訳ではありませんが、マイナス面を少しでも是正するには、国と言う概念がなくなる時代まで難しいのかもしれません。

その国民性ですが、回答をされた全ての人に少しでもレスをする方が日本人的だと個人的には思いますが・・・

忌憚ない意見と書かれていますので、少し辛口の意見を書きましたが気に触ったら申しわけありません。

この回答への補足

お礼が遅くなって、申し訳ありません(という所が、既に「日本人的」ですかね?) まぁ

>その問題の共通点は帰国者が日本人を馬鹿にするような態>度にあるとの意見でした。

といっても、これは私には、「盗人にも三分の理」のような気がしてならないのですがね。
だって、「馬鹿にされた」という主観でもって、一人の人間を集団でいじめていい理由にはならない訳だし。それに、「馬鹿にされた」と思ったからって、結局タイマンで勝負を挑まない(挑めない)んでしょうが、と思う今日この頃です。

まぁそれはともかく。「個性」だとか「たった一つの花」とか言っている割には、みんなで同じTV番組を見、同じファッションをし、同じ行動様式をとる、というのが、まだまだ若者の間ですら健在で、それが私にはちゃんちゃらおかしくてならないですね。まさしく、これが「建前と本音の真骨頂なのか」とすら思います。こう言うと、「みんながみんなそうじゃない」という反論が必ず出るでしょうが、世の中一般のことを論じるに当たって、「私はそうじゃない」という反論をされても、それはあなたが特例じゃないのですか、で終わってしまうんじゃ、と思う今日この頃です。


私がよく思うのは、江戸時代の士農工商。あれは、江戸時代はあれだけ強固に人々を縛っていたはずなのに、今や一部に差別は残っているものの、現代日本では平等意識が醸成され、人々の意識は変わった。それと同じことが、島国根性でも言えるのではないか?
ま、100年、200年経たないと難しいかも知れませんが(^^;

補足日時:2004/11/03 01:26
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議論を吹っかける気はないのですが、


>ファッション的な感覚でもいいから、「島国根性は恥ずかしい」という意識が少しでも芽生えてくれれば。なんて思います。
には同感ですよ。ただ、当たり前に受け止めている日常の些細なことを 「疑う」 ことが、ここへつながる第一歩だと思っているのです。別の質問を挙げた理由はここにあって、誰も疑っていないでしょう。ちょっと足を止めて、「本当にそうかな」 と思うかどうかが分かれ目だと思います。

No.11 の言われる 「宗教」 も、神 (あるいはそれに相当する絶対的存在) はこのことをどう思うか、と考えているので、即ち 「疑う」 ことへつながってくるので、「宗教」 があれば、との説が成立するのではないか、と思っています。
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>ただ、では具体的に、どうすればよいのか、というところに私は興味ありますね。



正直これは非常に難しい問題です。No. 11 の方が言うことにも一理あるとは思います。ただ必ずしも 「宗教」 (この言葉をどう定義するか、がまた問題を起こしそうですが) が必要とは思いません。欧米のキリスト教、中東のイスラム教、どちらも原理主義に走り、様々な問題を起こしていることも事実です。

現在の社会を見直したとき、一番不合理に思えるのは、「疑うことを知らない」 と言うことです。昔からこう、男のだからこう、女の子なんだから、云々、いくらでもあると思います。前の回答に引用した別質問とそれに対する別回答を読んでいただければお分かりになると思いますが、極めて日本的と言うか、所謂普通の日本人ならこういう反応になるか、あるいは世間一般に多そうな反応でしょう。結局は、当たり前とされていることが、何故当たり前なのか、を考えずに受け入れている、考えることをしない、さらに言えば、考えることは異端なのです。

具体的に、と言うならば、すべてのことを 「疑う」 姿勢を、教育で取り入れることが必要でしょう。ただし、それを行なおうとすると、教師は困るでしょうね。彼ら自身も疑われることになり、その疑問をすべて受け止めて解決するのは大変なことですから。科学の世界はすべて 「疑って」 かかることから始まります。幾何の五大公理のうち平行線の公理を否定しても、非ユーグリッド幾何学が成立したように、公理ですら否定することが可能なのが科学の世界です (ただし体系がつかないと駄目ですが)。否定しきれないものを否定すれば、そこに矛盾が生じることで、より確認ができることになります。

最後に一言。「死ぬまで不良でいること。不良って言うのは暴力じゃなくて、体制に対する素朴な疑問を持ち続けることなんだ」 by SAYAKA

この回答への補足

う~む 宗教、「疑う姿勢」、そんな大きな問題なのでしょうか?こんな大軸でとらえてしまうと、変えられるところも変えられないのでは?

私は、少なくとも、若者の間にファッション的な感覚でもいいから、「島国根性は恥ずかしい」という意識が少しでも芽生えてくれれば。なんて思います。けど、ハワイ等に修学旅行で来ている高校生達が、集団でミジンコみたいに動いている姿を見ると、それは難しいのかなーなんて思いました。

補足日時:2004/10/30 09:30
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No.11の回答の訂正です。



>No.12の方の回答が面白かったので~

No.10の方の回答の誤りでした。訂正いたします。
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No.12の方の回答が面白かったので、補足で回答します。



つまり日本には、本当の意味で『宗教』が根付いていないんですね。

宗教というのは、良くも悪くも人間の精神に大きな影響を
与えます。考えの根っことでもいうべきでしょうか。

欧米諸国の社会には、やはりキリスト教文化みたいなのが
あります。ぶっちゃけ言えば、今の民主主義も自由主義経済も
キリスト教文明から発祥したものですから。

それと同様に、中東などイスラム教の国に住む人にも、
どこかしら共通の価値観があるように思います。

しかし、日本人には共通する宗教がありません。
強いて言えば神道なんでしょうが、キリスト教やイスラム教
ほど、人の考え方に及ぼす影響力は少ないです。

じゃあ宗教が定着していないことがなぜ問題になるかと
いうと、個々人の考えに根っこがないんです。
根っこがないから、常に世間や隣人の顔色をうかがい
ながら生活するようになり、「個の価値観」が定着しない
んです。


では、どうすればいいかについてですが、今のところ
回答がありませんね。(苦笑)
今さら、日本人全員をXX教に改宗するなんてことがある
のかなって思います。

ついでに言うと、戦前の日本は国民共通の規範となる
擬似宗教を導入しようとしました。
それが小室直樹先生のいう『天皇教』、そして左翼の
連中が唱える『国家神道』です。

詳しくは小室先生の本(『痛快!憲法学』がオススメです)
を読んで、勉強してください。間違っても、左翼学者の
書いた本は読まないでください。歪んだ歴史観が頭に
インプットされてしまうので。

小室先生も『痛快!憲法学』の最後で述べていますが、
ある意味、日本は終わっています。小室先生いわく、
「日本国憲法は既に死んでいる!」そうですから。

明治時代の偉大な先人が成した以上の努力を、私たちが
成さない限り、日本の未来は衰退しかありえないでしょう。
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