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今のままではキリスト教はただのオカルト宗教のままであり、永遠に正しい信仰へはなりえません。
キリスト教が正しい信仰に生まれ変わるために必要なこととは何か。
少なくとも以下のことが正されなければなりません。

1.イエスキリストは神ではなく、神の子でもなく、ただの人間であることを正式に宣言すること。
2.聖書に記述されたイエスキリストによる数々の奇跡物語は全てが偽りであったと宣言すること。
3.ローマ教会を中心とするキリスト教社会はかつてガリレオを投獄したことに対し世界に向けて正式に謝罪し、キリスト教がかつて人類に対し行ってきた様々な不当な権力行使を世界に向けて公表し謝罪すること。

ここで初めてキリスト教が正しい信仰に生まれ変わるためのスタート地点に立つことが出来ると考えます。
これが出来ない限りはキリスト教は今まで通りただのオカルト宗教であり続けるのではありませんか?

A 回答 (25件中11~20件)

そもそも正しい主教というのが無いと思いますけどね。

宗教のいいところとして、他人への慈悲とかを言いますが、それって宗教がなくてもできるんじゃないですか? 宗教が慈悲の話も含めているのですが、逆らう物への殺人行為(旧約、申命記では神が、たとえ家族でも他の宗教を信じたら殺せと命令します)も含めているから、まるで煙草にビタミンを添加して売って、禁煙を主張している人に「ビタミンの摂取になるからたばこはあったほうがいい」というのと同じだと思います。

人間を作って、人間の行動を操って、人間の行動にすごくかかわる神が存在するという何の根拠の話をもとに、昔の人がその神に罪を犯したから、それから生まれる人は全部罪びとだという変な決めつけや、信じないと殺す、地獄で永遠に苦しめるという強迫、キリスト教は根本的にいい宗教にはなれまいと思います。もちろん、ほかの宗教も全部不要だとおもいますけど。
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この回答へのお礼

>そもそも正しい主教というのが無いと思いますけどね。

人の道という教えは御座いまする。

https://www.youtube.com/watch?v=O40j4PqRJWk

お礼日時:2018/08/08 15:23

キリスト教徒でもない者が知っているふりは神から怒りを買うだけだ、正しいことは神様しか知らない…

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この回答へのお礼

イエスキリストはアルケーの神の怒りに触れ処刑されたのです。

お礼日時:2018/08/08 15:25

No. 1 さんへのお礼



正しい信仰とはまず真実でできた信仰でなければなりませぬ。

は名言に思われます。


万物が流転して、かつ、動かないなにものかは正しい。

色即是空、かつ、空即是色して、かつ、色は色で空ではなく、空は空で色ではない。空と色を繋いでいるものはなんなのか。


動いていて動かないものは、動いていて動かないものをすべて含んで一貫しているなにものかでしょう。


真実でできた信仰は、人の言を仰せを仰ぐことです。

まちがいは真実です。


紙は真実でできていて、鉛筆は真実で出来ています。
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西洋の西洋人の為の黄色人種の魂の目を曇らせる為のキリスト教はあんなもんですよ。



白人(ヤフェト)が宗教を立ち上げたわけではないからね。
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ご質問の主旨とみなさまのコメント、回答、議論の方向がなにか違ってきているように思います。



まず、「キリスト教は」とありますが、ガリレオの件含めてイエスがキリストであり神と言っているのは、主に「ローマ・カトリック教会」という世界規模で信者は多いですが、一つの教団組織でしかありません。日本ではちなみに、全キリスト教と100万(弱?)のうちローマKは30%です。プロテスタントという定義はローマK、ギリシャその他の正教会、アングリカン(英国国教会)以外の「プロテストした人たち全て」なので数が多いのは当たり前ですが、その「もろもろの」ローマKに反対の人たちには、とっくに1、2、3をクリアしている教団がありますよね。

そういう生まれ変わりのために「ルネッサンス」や「宗教改革」があったのでは。

ちなみに、歴史上のイエス(ナザレに生まれたイエスという男)と宣教のキリスト(キリスト、神に選ばれ特別な存在として宣教するもの)との研究は1960年代の解放の神学の時代から活発で、歴史的事実と宣教(聖書に書かれているような)メッセージには差異があること、聖書を歴史的に読まず、文学(物語)として読むという傾向は現代にも続いています。日本に於いては、伝統的なキリスト教の影響が少ないことが利点となって、内村鑑三の「無教会派」や「原始キリスト教団」の研究などで独自の神学の研究がされています。そこでも1から3はクリアされてますね。

信仰における「カルト性」はまた別の問題で、「キリスト教が生まれ変わる」必要があるかどうかもまた別の問題なので、答えになってませんが、以上コメントさせていただきました。
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おっしゃることができれば、素晴らしいと思います。


でも、もっと規模の小さい日蓮系の宗教団体でさえ、日蓮が言っていたことを公的には謝罪していませんからね。
もっと巨大なキリスト教団にはできないでしょう。

日蓮が言っていた問題発言
「建長寺寿福寺極楽寺大仏長楽寺等の一切の念仏者禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」(撰時抄)
「不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり・・是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害する(殺すこと)は第一の功徳と説き給うなり」(秋元御書)

なお、3については、既に謝罪をしていますね。
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この回答へのお礼

日蓮が極悪人であったことは周知のことでございます。

お礼日時:2018/08/02 20:07

人間には宗教の刷り込みがある、hitonomitiがそう思えばそれでいい、プロテスタント、カトリック、永遠に変わらない、はた目から見るとそうだろう、反キリスト者の意見としてイエスキリストに言っておくよ。

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それを言ったら


すべての宗教がそうなのでは?
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№6です。



★ カルト宗教 もしくは オカルト宗教
☆ って何ですか?

オシヘを信じよと説く宗教は 自己矛盾をかかえ――考えるべきことを
信じよ(無条件に受け容れよと説く矛盾をかかえ―― そのことを知っ
ているなら あきらかな自己欺瞞です。

人間性を放棄したも同然です。

そのときその上 カルトやオカルトだというのは ほとんど論外の擬似
宗教を持ち出して来ただけではないのですか?

批判の仕方が 理解しがたい内容になっていると思います。
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№5です。



▲ (Essay■ 6_72 ガリレオへの謝罪:世界天文年) ~~~~~~~~
2009年・・・12月22日に・・・ローマ法王ベネディクト16世は、記念行事
という場で、信者を前に「彼(ガリレオ)の研究は(キリスト教の)信仰に
反していなかった」と演説しました。

しかし、今回が最初の判決撤回ではありませんでした。前法王ヨハネ・パウ
ロ2世は、1992年、当時のバチカンが下した有罪の決定が非があったことを
認め、公式に謝罪しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


★ カルト宗教 もしくは オカルト宗教
☆ って何ですか?

宗教は もしそのオシヘを神のごとくに扱いこれを心に無条件で受け容れな
さい(つまり 信じなさい)と説くとしたなら それは 人間性に悖る行為
です。

つまり カルトもオカルトも何たらかんたらもありません。

宗教が 聖書あるいは神学などのオシヘは あくまで神にみちびくための補
助線であるとして それを信じるのではないと言っていれば ひとまづ セ
ーフです。

オシヘの中に虚構や物語やあるいは種々のタトへによる表現があっても そ
ういう想定であり 神を指し示すための《ゆび》であるに過ぎないというな
ら そういう弁明は成り立ちます。

経験合理性を超えているナゾを表現しようとしているのであっても 不合理
なことそのものを言って(説いて)いるわけではありません。
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この回答へのお礼

>オシヘの中に虚構や物語やあるいは種々のタトへによる表現があっても そ
ういう想定であり 神を指し示すための《ゆび》であるに過ぎないというな
ら そういう弁明は成り立ちます。

そのよーな弁明が独り歩きし始め、ローマ教会が生まれた。
ローマ教会はその弁明を振り回し、真実を捻じ曲げ、真実を語るガリレオを捕まえて投獄した。すべて歴史に刻まれた事実である。
虚構のオシへは時とともに必ず腐敗し、真実を捻じ曲げ、カルトへと発展する。
虚構の教えを継続する限り、カルトはカルトの殻に納まり、そこから外の出ることはできません。
すべて歴史に刻まれた事実である。

お礼日時:2018/08/01 21:43

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