哲学から飛躍しますが 哲学として解き明かしてくれませんか。
▲ (コリントの信徒への第二の手紙 2章 14節-17節 ) ~~~~~~
14: 神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に
連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の
香りを漂わせてくださいます。
15: 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わ
たしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
16: 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から
命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。
17: わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、
また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆
A: 《滅びる者 と 救われる者》とに分かれているのか?
B: 《香り》とは 何か?
A 回答 (7件)
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No.7
- 回答日時:
Humanityを救うのが、パウロとアウグスティヌスの主題であったとすれば、神から切り離されると、Humanity (日本語では何と言いますか?)死んでしまうという、厳然とした事実を表しているのではないですか。
日本では、”死”は、美化される傾向がありますが、西洋では、死は、肉体が滅び、その後も神の国へ入れない、希望のない状態の象徴ではないですか。肉体の死であり、魂の死であり、二度の死を、死ぬということになりませんか。
アウグスティヌスが、”告白“の告白部分を書いたのも、いかに自堕落に見え、腐臭を放っている人間にも、Humanity が存在している限り、Graceと Faithによって、神と仲直りする希望がある、ということではないですか。
ご回答をありがとうございます。
★ Humanityを救うのが、パウロとアウグスティヌスの主題であった
とすれば、神から切り離されると、Humanity (日本語では何と言いま
すか?)死んでしまうという、厳然とした事実を表しているのではないで
すか。
☆ 人間性と表現してよいと思いますが これの中軸は 自由意志だと
考えます。
その意志による自由な選択を封じ込める あるいは 意思表示したその
心をないがしろにする。
つまり 意志を踏みにじること。これが 人権の侵害もしくは蹂躙とも
呼ばれるところの・人間性の損傷あるいは破壊であると見ます。
たしかにこうなると――つまり その損傷や破壊を企てる者になり切っ
てしまうなら―― ひとはほろびますね。
★ 肉体の死であり、魂の死であり、二度の死を、死ぬということにな
りませんか。
☆
1 ウソ・イツハリをおこなうことによって みづからの心をもふくめ
て 人間の意志を踏みにじる。それによって 人間性に欠けが生じ そ
のぶん人は死ぬ。部分的な死の状態に落ち入る。
2 だけれども この欠けなる死は 死ぬ。人間性は回復され得る。わ
れに還り人間性を取り戻すことができる。
3 このとき もしこの傷を広げよう・深めようとだけ考えそのように
生きたとしたら どうなるか?
4 死が死ななくなる。死が死なない。死そのものになる。
5 だが このような全面的な墜落は ほとんどあり得ないとも考えら
れる。
6 だから 悪魔を《死の制作者》として想定しこの概念を使って説明
するやり方が現われた。
7 悪魔に魂を売った。あるいは 悪魔そのものである人間はいないと
見て 人間は悪魔の手下になるのだと。悪鬼と言う。悪魔が人を死にみ
ちびくときの手助けとして 悪鬼は相手の意志を踏みにじる。
8 この過程が 《死から死にいたる》という人間の精神の軌跡にあた
るか?
9 そもそも初めには(=生まれつきそなわった自然本性として)《死》
があるとは考えられない。のではないか?
10 悪魔の部下となった悪鬼も 《死》そのものと同じ状態になるこ
とはなく よみがえることは 出来るのではないか?
つづく
No.6
- 回答日時:
お礼を拝読しまして、距離を短くできるかどうかわかりませんが、もう一度だけ、頑張って回答してみます。
英語と日本語のオンライン聖書を見比べながら、イメージはあるのですが、言葉にならないもどかしさがあります。多分、無理でしょう。パウロは、十二使徒で経営されていた、ローカルのユダヤ教の分派、イエス派を、世界宗教にまで高める非常に優れたアイディアを持っていたと思います。偉大な思想家です。ただ、イエス・キリストがナザレで認められなかったように、イスラエルの十二使徒からは、律法に即した”朱印状=使徒のお印”が、下りなかった、と聞いています。正式ではなかった。それで、2コリント6:3で、
+++++
3 この務がそしりを招かないために、わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし、
4 かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている。すなわち、極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、
5 むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも、飢餓にも、
6 真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、
7 真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、
8 ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、
9 人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、懲らしめられているようであるが、殺されず、
10 悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。
+++++
忍苦・艱難・危機・行き詰まり・鞭打ち・入獄・騒乱・労苦・徹夜・飢餓は、全て、パウロが甘んじて受けてきた迫害で、そのために、彼は、コリントに行けなくなってしまっている。ぎりぎりの状態です。そして、十二使徒に拒絶される。(私だったら、と考えると、過呼吸が起きます。パニックです。)
そして、この手紙で、”(仲間外れの)弱さは、私の強さである。なぜなら、自分の力で戦おうとせずに、神にすべてを任せるから”。。。コリントの皆さんも、そうしなさい。というアドバイスを授けています。 ぎりぎりの状態で、投げ出さず、自棄にならず、平常心であり続けるのです。
手紙を何度か読み返してみましたが、ここでいう香りは、キリストのかおり。イエスがたとえた、闇を照らす”光”や、ものを腐らせない”塩”と同じものではありませんか。私には、そう思われました。
お礼の中の再質問に答えているかどうか、はなはだ疑問ですが。正直なところ、現在のところ、これ以上の回答は、不可能かと、思います。
最期に、”告白”を書いたアウグスティヌスが、”改宗者”パウロを慕うのは、とてもよくわかるように思います。
ご回答をありがとうございます。
★ パウロは・・・イスラエルの十二使徒からは、律法に即した”朱印
状=使徒のお印”が、下りなかった、と聞いています。正式ではなかっ
た。
☆ 異邦人への宣教を担当するということで合意が 正式に(腹の中ま
では分からないかたちながら)成ったとは思います。パウロの集めた献
金を 受け容れるようになっています。
★ 2コリント6:3-10
★ 忍苦・艱難・危機・行き詰まり・鞭打ち・入獄・騒乱・労苦・徹夜
・飢餓は、全て、パウロが甘んじて受けてきた迫害で、そのために、彼
は、コリントに行けなくなってしまっている。ぎりぎりの状態です。そ
して、十二使徒に拒絶される。(私だったら、と考えると、過呼吸が起
きます。パニックです。)
★ そして、この手紙で、”(仲間外れの)弱さは、私の強さである。な
ぜなら、自分の力で戦おうとせずに、神にすべてを任せるから”。。。コ
リントの皆さんも、そうしなさい。というアドバイスを授けています。
ぎりぎりの状態で、投げ出さず、自棄にならず、平常心であり続けるの
です。
☆ ただパウロは もっと先へ行ってしまっています。自分がすでに死
んでいるとも言っています。
▲ (ガラテア書 2:19-20 ) ~~~
わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだ
のです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内
に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わ
たしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰による
ものです。
~~~~~~~~~~
★ 手紙を何度か読み返してみましたが、ここでいう香りは、キリスト
のかおり。イエスがたとえた、闇を照らす”光”や、ものを腐らせない
”塩”と同じものではありませんか。私には、そう思われました。
☆ そうですね。ただし わたしの注目は 《死から死にいたらせる》
という表現にあります。そんなものなのかなぁと。
★ 最期に、”告白”を書いたアウグスティヌスが、”改宗者”パウロを慕
うのは、とてもよくわかるように思います。
☆ それは 楽屋事情と言いますか 理論や思想に直接は関係しないの
ではないかと思います。
No.5
- 回答日時:
聖書は“仏教の眼”で解釈しています。
だから、“救いと滅び”の究極地点は天国と地獄、という捉え方になります。
心は使うほどに育つ、という“持論”に立てば“良い行い”からは救いの手が差し出され、“悪い行い”には滅びの手が伸びてくる、と云う事です。
霊性は誰でも分かります。
向上心が進んで、菩提心となれば、それは霊性の働きによるものでしょう。
ただ、霊性と云う言葉が一般化していないので、それと自覚されないのです。
香り、は雰囲気と云い変えても良いかもしれません。
“好ましい心の状態にある人”の周囲は雰囲気も良く、“そうでない人”の周囲には不快感が漂う。
誰もが感じる事ではないでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ 聖書は“仏教の眼”で解釈しています。
☆ そうですか。
★ だから、“救いと滅び”の究極地点は天国と地獄、という捉え方
になります。
☆ ん? 地獄・極楽?
★ 心は使うほどに育つ、という“持論”に立てば“良い行い”からは
救いの手が差し出され、“悪い行い”には滅びの手が伸びてくる、と
云う事です。
☆ よい・わるいは どうやって判断するんですか?
★ 霊性は誰でも分かります。
☆ そう言えそうだとは思います。
★ 向上心が進んで、菩提心となれば、それは霊性の働きによるも
のでしょう。
☆ ほおう。だとすれば 理性や感性によるのではないからには
思考に非ず・つまり 非思考の庭(つまり 信仰)におけるケミス
トリーのようなものでしょうか?
★ ただ、霊性と云う言葉が一般化していないので、それと自覚さ
れないのです。
☆ 仏性は 一般化していますよ。アートマンも いくらか知られ
ています。
★ 香り、は雰囲気と云い変えても良いかもしれません。
☆ ただよう何かとしては 同じようなものでしょうね。
★ “好ましい心の状態にある人”の周囲は雰囲気も良く、“そうでな
い人”の周囲には不快感が漂う。
誰もが感じる事ではないでしょうか。
☆ けれども そのとき・中で ほろびる者が あたかも自分のそ
の状態を自覚せよと言われるかのように 《死から死に至らせる》
香りを受け取る・・・のか?
★ “悪い行い”には滅びの手が伸びてくる
☆ って 滅びの手とは 何ですか? 誰もが一度は その手が伸
びて来たという経験を持ってますよね。
人びとは 何とか切り抜けて来ている。けれどもその中で なんで
死の香りと言うまでの場合が 出て来るのか?
パウロの口がすべったまちがい?
No.4
- 回答日時:
聖書の四福音書のイエスキリストのは、まるで、ケロイドスコープのようで、違う日に、違った心の状態で読むと、全く違った絵が見えてきます。
個人的には、人間の言葉ではないからだ、と、感じます。それに対して、抜粋は、いかに霊感に満たされているとはいえ、人間の書いた文章なので、背景や前後の文章を取り払って、意味を成すものなのか、私には、よくわかりません。(外部からの弾圧と、内部の内輪もめで、キリスト教の一番危ない時代でした。それに加えて、パウロ自身も苦しんでいて、コリントスへの再訪を断念した、と知らせる手紙です。)
A:イエス・キリストは、罪のあるすべての人間のために十字架にかかりました。ですから、誰にでも、チャンスは与えられている。
B:香り、と聞いて連想するのは、祭壇で焚き染める香のかおり。。。子羊を捧げものにしたときの肉の焼けるかおり。。。アベルとカインの捧げもの。。。アブラハムがイサクをささげようとしたときに、現れた子羊。。。人間の罪を帳消しにするため、捧げものとなったイエス・キリスト。。。というふうに、次々と、続きます。神は捧げものがお好きで、イエスの教えを守る人間には、イエスの知恵の香りがするのかもしれません。
この時代のパウロは、ご存じのように、キリストの教えを勝手に捻じ曲げて、布教する“偽伝道師”に手を焼いています。パウロにとって、彼らは、自分の名声のためにイエス・キリストを利用している風にしか、みえなかったでしょう。彼らは、パウロにとって、万死に値する存在でした。
彼のたくさんの手紙が、愛の宗教と呼ばれる、のキリスト教の教義の礎になります。彼のような人が、伝道の対象者を、”滅びるものと救われないもの”と言うふうに、偏見をもって決めつけるようには、私には、考えられません。
あぁ、日本語は難しい。何か、どこかで間違っているような、嫌な感じがします。
キリスト教徒でした。
ご回答をありがとうございます。
★ (外部からの弾圧と、内部の内輪もめで、キリスト教の一番危ない
時代でした。
☆ 迫害を受けるときも 国教になり迫害は受けなくなったときも 社
会環境として同じことだと考えます。
言いかえると 個人の問題であり なかんづく他の誰でもない《われ》
の生き方に帰着するのではないかと思います。
そしてもし 言われるように《一番危ない時期にあった》とすれば そ
ういった極端な情況でこそ 本音が出るものです。
わたしは アウグスティヌスを通じて育ちました。(のちに 逆らうこ
ともしています)。かれは かれが使徒と言えばパウロのことであり
パウロ色にあふれています。
そのパウロにわたしは信頼しています。なまじっかなことは言わない。
書かない。と。
(なま(生)しい(強い):中途半端に無理なことを言う)。
★ A:イエス・キリストは、罪のあるすべての人間のために十字架にか
かりました。ですから、誰にでも、チャンスは与えられている。
☆ わたしから反論がつづきますが 問題は 《死から死にいたらせる》
・つまり そのことを確認させるように知らせるとはっきり言っている
ことにあります。
《死の香り》がただようようにして 《チャンスがあるよ》と言ってい
る。――こういうことなんでしょうか?
★ B:香り、と聞いて連想するのは、祭壇で焚き染める香のかおり。。
神は捧げものがお好きで、イエスの教えを守る人間には、イエスの知恵
の香りがするのかもしれません。
☆ これは 香りとしては 同じようなものかも知れないということで
すね。いま伝える内容としては ずいぶん違う側面もあると思われます。
《ほろびる者》にそのことをあたかも自覚せよと言っているというよう
な。
★ “偽伝道師”に手を焼いています。
▲ ( Ⅱ Cor. 11:14-15 ) ~~~
サタンでさえ光の天使を装うのです。
だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大し
たことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるで
しょう。
~~~~~~~~
☆ こういう《裁き》は よくないような。
サタンは イエスの磔の死によって滅びました。
パウロは 《人情》が出た・・・のでしょうか。理論ではなく。
★ ~~と呼ばれる、〔の〕キリスト教
No.3
- 回答日時:
私は、キリスト教徒では無いので、一般的なキリスト教徒が、この節の解釈としている事を書きます。
A:滅びる者と救われる者は、キリストの最後の審判で分かれる。(パウロは、キリストに捕縛される者(キリスト教徒)が救われる者、キリストに捕縛されない者(キリスト教徒以外)を滅びる者と考えているようであるが、必ずしも、滅びる者を明言してはいない) あくまで、審判の日まで、この区別はなされない。
B:香りは、ローマ軍の行進の際にたかれた香になぞらえたもので、キリストの福音の伝道=キリストに対する知識の伝道を意味する。 これは、将来の審判の日にわかれる、「救われる者」、「滅びる者」の両方で、キリストによって、神に捧げられる良い香り(知識)と述べています。(キリストの言葉は、「神」と同じ、絶対的な良い知識と言う意味なのでしょう)
当然ながら、「わたしたち」=「キリストの伝道者」です。
なお、「救われる者」と「滅びる者」は、香り(知識)を嗅ぐ(知る)立場ですから、香りを漂わすわけではありません。
キリストの福音の伝道は、「救われる者」に対しては、今生の命から来生(永遠)の命につなぐ香り(知識)であり、「滅びる者」にとっては、今生の死を将来(永遠)の死へつなぐ香り(知識)だと言う事でしょう。
キリスト教徒にとっては、これはパウロの信仰に対する宣言と捉えられているようで、パウロが誠実にキリストの言葉(福音)をそのままに告げる事を宣言したと言う意味のようです。
したがって、哲学的と言っても、この文の前提もわかりませんし、論理的には成り立っているようなので、特に何も解き明かせないんじゃないでしょうか?(純粋な宗教の問題だと思いますよ)
キリストの福音も、最後の審判も納得できない人にとっては、意味の無い文章です。(つまり、キリスト教徒以外には、意味を成さないと言う事です)
この文から読み取れるのは、キリストの知識が、「神」にとって、良い香り(知識)だと言う事。(つまり、キリストの福音の伝道は、「神」にとって、良い事だと言う事)
「神」は、キリストに対する知識に対する態度により、何らかの行動を起こすようである。(文意としては、「救われる者」と「滅びる者」を選別するかのように捉えられる)
キリストの福音の伝道=キリストを知るという知識の香りが、「救われる者」に命から命をつなぎ、「滅びる者」には、死から死をつなぐ。(キリストの福音の伝道に対して、どのような態度を取るかで、「救われる者」と「滅びる者」にわかれる)
まとめると、以下のとおりです。
1.最後の審判がある。
2.最後の審判で、「救われる者」と「滅びる者」が、キリストによってわかれる。
上記までは、本文には書いていないが、キリスト教徒ならば、常識でしょう。(キリスト教の教義です)
3.キリストによって伝えられた福音は、「神」にとって良いものである。
4.キリスト教の伝道師は、キリストの福音を伝道によって、周囲に漂わせる(拡散させる)。
5.これは、キリストによる「神」に捧げられた良い香りである。(キリストの福音の伝道の正当性の宣言)
6.「救われる者」も「滅びる者」も、そうなる為に、この香り(知識)が必要である。(選別には、キリストの福音を知る必要がある)
7.本文で、明言はしていないが、キリストの福音を受け入れた者は、「救われる者」となるようである。
8.このような務めにふさわしい人はいるでしょうかの解釈は、そのような者はいない。(キリストしか出来ない)
9.「神」の言葉と称して説明するのではなく、誠実に、キリストと結ばれる事(キリストの言葉を理解する事)で伝道を行っている事を宣言する。(「神」の威信に頼るのでなく、キリストの言葉を誠実に伝える事の宣言)
10.キリストの言葉を誠実に伝える事が、8の回答となる。(この事によって、務めにふさわしい事を保証する)
なお、選別は、キリスト教の教義でなされているので、この文章では説明はありません。(何故、選別されるかは、この文章ではわからないと言う事です)
キリスト教の教義では、「救われる者」は審判の日に復活して永遠の命を得る、「滅びる者」は現世の死のままと言う事でしょう。
別に、最初から死んでいる者が死ぬわけじゃないです、復活しないだけです。(これが、「死から死に至る」と表現されています)
「香り」は、あくまで、行進(伝道)の時にたかれた香の対比であり、その匂いの良いは、「神」にとって「良い」と言う意味だけです。(良いしか言っていないし、悪い香りと言う物は、この文にはありません)
単純に、伝道の正当性があると言っているにすぎません。
強いて言えば、この「香り」を嗅いでいない者はどうなるのかですが、この文ではわからないですね。(昔は、キリスト教伝道師は、全ての人にこの香りを嗅がす為に伝道していたのかもしれませんね)
お久しぶりです。ご回答をありがとうございます。
★ A:滅びる者と救われる者は、キリストの最後の審判で分かれる。
☆ まぁ そうされているわけですが。
★ (パウロは・・・必ずしも、滅びる者を明言してはいない)
☆ 個別に特定して裁くようには していないかも。
★ あくまで、審判の日まで、この区別はなされない。
☆ 神の予知にあっては 生命の書に名が書かれている。
★ B:香りは、ローマ軍の行進の際にたかれた香になぞらえたもので、
☆ ふむ。なぞらえるナラハシなどがあった。
★ これは、将来の審判の日にわかれる、「救われる者」、「滅びる
者」の両方で、キリストによって、神に捧げられる良い香り(知識)
と述べています。
☆ そうなんです。どちらにも 同じ《よい香り》なようです。
★ (キリストの言葉は、「神」と同じ、絶対的な良い知識と言う意
味なのでしょう)
☆ ただし ほろびる者には 死から死にいたらせるものとなる。す
でにさだめられているかのごとく。なにゆえ?
★ 「救われる者」に対しては、今生の命から来生(永遠)の命につ
なぐ香り(知識)であり
☆ この今の世・いまの生身の自分において 復活するのだと個人的
には受け取っています。永遠の現在です。
★ 「滅びる者」にとっては、今生の死を将来(永遠)の死へつなぐ
香り(知識)だと言う事でしょう。
☆ 《今生の死》が さだまっていると言っていますよね? なにゆ
え?
★ これは・・・パウロが誠実にキリストの言葉(福音)をそのまま
に告げる事
☆ もはや生きているのは 自分ではなく キリストであると言って
います。
★ したがって・・・純粋な宗教の問題だと思いますよ)
☆ ぢゃあ 無意味ということではないでしょうか? あぁ 次にあ
りました。
★ キリストの福音も、最後の審判も納得できない人にとっては、意
味の無い文章です。
☆ 次も同じです。
★ つまり、キリストの福音の伝道は、「神」にとって、良い事だと
言う事)
つづく
No.1
- 回答日時:
A: 《滅びる者 と 救われる者》とにあらかじめ分かれている、という事ではなくて心構え によって次第に分かれて行くという事です。
芳香を放つ様になるか、悪臭となってしまうか。
心して生活したいものです。
B: 《香り》とは、霊性の事です。
好ましい霊性は快い香りとなり、好ましくない霊性は不快な臭いを撒き散らします。
心して生きたいですね。
ご回答をありがとうございます。
★ A: 《滅びる者 と 救われる者》とにあらかじめ分かれている、という
事ではなくて心構え によって次第に分かれて行くという事です。
☆ 後出しじゃんけんになりますが そのくらいは ふくんでいたはずです。
つまり 一般に良し悪しがあるのは分かりますし その区別は ふつうのこ
とだと考えられます。
ですが それが 究極のかたち(内容)として 滅ぶか救われるかに分かれ
るのは どういう意味か? です。
★ 心構え によって次第に分かれて行く
☆ のは なぜか?
★ 芳香を放つ様になるか、悪臭となってしまうか。
☆ それは いちおうそういう風に言えば 何となく通るかも知れないとい
う程度の説明ではないでしょうか?
★ 心して生活したいものです。
★ B: 《香り》とは、霊性の事です。
☆ でも だとしても 霊性は ひとに分かりません。
★ 好ましい霊性は快い香りとなり、好ましくない霊性は不快な臭いを撒き
散らします。
☆ というふうに パウロの文章は言おうとしています。そこまでは 分か
るはずです。でも なぜ?
《死から死にいたる》って なら そういう人は はじめから死んでいるし
ほろびている・・・ということなんですか?
納得できません。
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№3つづき1
★ (キリストの福音の伝道に対して、どのような態度を取るかで、
「救われる者」と「滅びる者」にわかれる)
☆ すでに分けられていることが 判明するかたちを採る。
★ 6.「救われる者」も「滅びる者」も、そうなる為に、この香り
(知識)が必要である。
☆ なにゆえ 人間がふたつのグループに分けられるのか?
★ 8.このような務めにふさわしい人はいるでしょうかの解釈は、
そのような者はいない。(キリストしか出来ない)
☆ 語るのは パウロら人間である。
▲ 2:17 わたしたちは・・・神の御前でキリストに結ばれて語って
います。
★ 9.「神」の言葉と称して説明するのではなく、誠実に、キリス
トと結ばれる事・・・で伝道を行っている事を宣言する。
☆ そもそもキリストによってこの《愚かな宣教》に就かせられてい
ます。
つづく
№3つづき2
★ 10.キリストの言葉を誠実に伝える事が、8の回答となる。
☆ ヒラメキと良心にしたがうこと。そのことで キリストの香りと
なる。それはキリストが 取り計らう。
★ 選別は、キリスト教の教義でなされているので、この文章では説
明はありません。
☆ 聖書記事を超えて 哲学として どう扱うか?
★ 「死から死に至る」
☆ 《ウソ・イツハリによって善の欠けの出来た死の状態から その
死が死なない状態になる》という解釈はなされています。でもなぜ?
★ その匂いの良いは、「神」にとって「良い」と言う意味だけです。
☆ でも何故?
★ 強いて言えば、この「香り」を嗅いでいない者はどうなるのかです
が、この文ではわからないですね。(昔は、キリスト教伝道師は、全て
の人にこの香りを嗅がす為に伝道していたのかもしれませんね)
☆ おまえは すくわれないよと知らせている? なぜ?
№7つづき
★ アウグスティヌスが、”告白“の告白部分を書いたのも、いかに自堕
落に見え、腐臭を放っている人間にも、Humanity が存在している限り、
Grace と Faith によって、神と仲直りする希望がある、ということでは
ないですか。
☆ ええ。そのとおりだと思います。(10)ですね。
そして 《 confessio 》は 告白と同時に 信条の吐露あるいは〔神の〕
賛美の意味だとも言われています。
でももし 懺悔しなければならなかったアウグスティヌスやユダヤイズ
ムのイエス派を迫害した者としてのパウロを問題にするというときには
次の言葉を引いて来るでしょうね。
▲ (マタイ福音 9:13 ) わたしが来たのは、正しい人を招くためで
はなく、罪人を招くためである。