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旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシア語で書かれていたらしいです。
それならどうして「救世主」を意味するヘブライ語「メシア」が新約聖書の至る所に見られ、ギリシア語の「キリスト」が2,3の福音書のわずかの個所しか見られないのでしょうか?ひとつの福音書の中で、ひとつの概念をあらわす語をギリシア語とヘブライ語によって示すのは疑問です。

A 回答 (5件)

「メシア」は、古代においては「民族の危機の救い手」一般に付けられた普通名詞であり、特定の一人を意味しませんでした。

それに対し、「キリスト」は「メシア」のギリシャ語訳で、元々の意味は同じなのですが、事実上、イエスにのみ使用されるようになりました。すなわち、「固有名詞化」されたということです。これは、水戸黄門の「黄門」が中納言の中国語訳だったのが、いつのまにか、水戸光圀の固有名詞になったのと同じです。この結果、新約聖書では、一般に次のように使い分けられています。

「キリスト」は、単独で使用されるより、「イエス・キリスト」と繋げて使用される場合が多いです。また、「キリスト」と単独で使用される場合でも、それは、救世主一般を指すのではなく、必ずイエスを指します。それに対して、「メシア」は、不特定の救世主、あるいは、「あの預言されていた救世主」の意味で使われます。例えば、イエスが、本当に「あの預言されていた救世主」なのかを疑うような場面で使われます。英語の聖書でも、「あの預言されていた救世主」は、"the Messiah"、また、キリストは、"Jesus"、イエス・キリストは、"Jesus Christ"として使い分けられています。

もう一つの背景は、「イエス・キリスト」という呼び方が、「イエスであるキリスト」という意味であることから、キリスト教徒の「信仰告白」の言明として使用されるようになったことで、「イエス・キリスト」という呼び方が定着しました。「イエス・キリスト」と言うことにより、「私は、イエスが神の子であり、我々の罪の贖いのため処刑され、3日後に復活したことを信じます」という意味になります。
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1:ローマの信徒への手紙 / 1章 1節


キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
:ローマの信徒への手紙 / 1章 6節
この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――
5:ローマの信徒への手紙 / 1章 8節
まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。

このようにローマ書にいくつもキリストと言う文字が出てきます

どの聖書を見ているのか?そこをはっきりさせる必要があるとおもいます
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原始キリスト教の頃は、イエスは人間だと考えられていました。


ある時、イエスは神の子だとする勢力が増してきて、イエス人間説を取る宗派を弾圧し殺してしまいました。
それだけではなく、自分たちが決めた4つだけを福音書だと決め付け、他の文章は焼き捨てさせました。
メシアとキリストと聖書の表記を分けることで、より神秘性を高めました。
それで、王であるとするところはキリスト、神が人間を救済するような表現にしたいときメシアと別々に表記したのだと思います。
つまり情報操作です。
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質問文からは、福音書に限った質問をしているのか、新約聖書全体について質問していているのかがわからないように思います。

ところで、どの団体が(あるいは誰が)訳した、どの版について質問しているのかを質問文に書く必要があるのではないでしょうか。
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〈「救世主」を意味するヘブライ語「メシア」が新約聖書の至る所に見られ、ギリシア語の「キリスト」が2,3の福音書のわずかの個所しか見られないのでしょうか?〉


どこかのいい加減なホームページを鵜呑みにして、投稿したのでしょうが、新約聖書を実際に開いてみれば、キリストという言葉だらけだということがわかります。

〈ひとつの概念をあらわす語をギリシア語とヘブライ語によって示すのは疑問です。〉
これも、実際に新約聖書を読めばわかりますが、メシアという言葉が使われるのは、会話や、会話を引用した部分です。「ヨハネの黙示録」は違いますが、あれは黙示録という、特別なジャンルの文書です。
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