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 こんばんは。
 哲学を学ばれた方に質問です。
 私は全くの素人ですが宜しくお願い致します。

 哲学の根底は、それぞれの価値観によって左右されるものなのでしょうか? それとも哲学の根底には、誰からもケチの付けようの無い「普遍の原理」等があるのでしょうか?
 「普遍の原理」があるのなら、それはどのようなものなのでしょうか?

 教えて下さい。宜しくお願い致します。

A 回答 (9件)

「普遍の原理」が哲学の目的か?といった議論は


とりあえず置いておきましょう。

19世紀ぐらいまでは「普遍の原理」みたいな
絶対的なナニかがあるだだろう、という前提で思索を重ねてきたのですが
20世紀に入ったあたりから「そんなモンはないだろう」という
風潮が中心的になってくるんですね。

より詳しく言えば
19世紀までは、例えばデカルトの「我思う、故に我在り」
(私の思考だけは疑いようがない真の実在である、といったコトですね)
なんていう言説がとても説得力を持ったわけです。

でも、20世紀に入ると
無意識の問題やら、言語の問題など
絶対概念の相対化が流行るようになります。
まあ、19世紀までの思想構造の解体をやってきたのが
20世紀だと言ってもイイと思います。
昨年10月に他界されたジャック・デリダ
http://richico.cocolog-nifty.com/richico/2004/10 …
なんて人が有名ですね。

#7さんが「人は必ず死ぬ。これは絶対原理」と仰っています。
死ぬ、という現象は確かに「普遍」に思えますが
実際に死んだら「違う」かも知れません。
あるいは、死後の世界が解明されたら
死の概念が変わるかも知れません。
死の絶対性も「死という言葉」の持つ概念次第で揺らぐ
ということです。
これが「記号論」とか「構造主義」と呼ばれる考え方の一例です。

で、思想構造の解体をしつづけ
20世紀も終わりに近づいてくると
●普遍の原理はないというのが普遍の原理である
といったトートロジー(論理循環)に陥りはじめ
現在は「未だ光明が見えず」といったところだと思います。

でもね。
人間はそんなに強くないから
どうしても絶対的なナニかにすがりたくなるし
その一方で今「そんな弱さが人間を苦しめるんだ」といった
仏教的な(空)思想が流行ったりしているんでしょうね。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/06 22:53

仏教も哲学の仲間として投稿します。



#1さんも言われる「唯脳論」は、全ては脳の所産であるという内容の本です。

都市も、文化も、言語も、社会制度も、思想、認識も・・・・ありとあらゆる人為的なものはハード、ソフトの両面において、全て脳の産物であり、結局、我々は脳の作り出した御伽噺の世界の中に閉じ込められているといった切り口で始まります。


仏教ではこれを「色」と言います。
(「心=脳」と仮定してのお話ですが・・)
般若心経でお馴染みの「色即是空、空即是色」の「色」ですね。

心(たぶん脳)こそが対象を創りあげているのであって、
その実体は「空(くう)」なんだということです。

何かをみて汚いとか綺麗と想うのは、心(脳)であって、モノ、そのものには汚いも綺麗も無いということです。汚いと想うのは心が汚れているからだというんです。


もし仮に「普遍の原理」を見出したとしても、それは絶対に心(脳)が作り出している「色」にすぎず、あくまでも人間の脳の機能・力量を超えることはなく、脳力という制限を超えることは出来ないんです。(まあ脳を言ったら反則かも知れませんが。。。)


この仏教の考えは真理、真実、的を射ていると思います。
だから仏教では、お釈迦さまが説いた教えをダンマ(ダルマ) = 自然法則と言うんです。


ですから、哲学の根底は「空」としておきましょう。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。
 
 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/06 22:53

参考程度に


「普遍の原理」はあるかと問われれば、やはり有るとしか言いようが無いのですね。どのような哲学者であれ、オギャーと生まれた者は必ず死にます。これ絶対的原理です。どのような高邁な理論を立てようが、神は死んだとのたまわっても必ず死が訪れます。また、どのような科学者が高邁な理論を立てようが、地球も太陽も人類の生まれるはるか昔から存在し、太陽は東から昇り西に沈みます。こんなことも普遍の原理です。ちょっときついですが、ニュートン先生が何を言おうがりんごは遥か昔も今も落ちますね。現代科学ができたからりんごが落ちるわけではありませんね。光だってアインシュタイン先生がいたから光があるわけじゃないですね。つまり、有るものは有るのですね。そう考えると普遍といえるものは意外と多いですね。その本質が何かを探求していると考えればいいんじゃないでしょうか。それを忘れると猿知恵になってしまうということでしょうかね。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/05 19:36

以前哲学を専攻しておりました。

そこで学んだものを端的に
説明できるよう努力します。

哲学史を紐解いてみると、当初はやはり「普遍の原理」とか
「絶対的な何か」を探る学問でした。タレースが万物の根源が
水であると説いてみたりしたのも、そうした背景を背負って
いたためです。長い間、「神(=絶対的な何か)」とは何かを
主な標的に哲学は様々な発展を遂げてきました。

「絶対的な何か」を探る学問と誤解されるのは恐らくこの長い
哲学史の影響によるものだと思われます。

しかし、近現代の哲学者の一人にニーチェが居ますが、彼が
「完全に神を否定」したことで有名なように、最早哲学の標的は
「普遍の~」と言った流れに留まりません。
哲学には“流派”のような考え方の違いと、その時代に盛んに
議論される“流行”のようなものが織り交ざり、「言語の問題」
一つとってもその思考法は様々です。

もし、哲学が何を探しているのかに興味をお持ちでしたら、
流れが分かりやすい「哲学史」の本を読まれることをお薦めし
ます。(「哲学」を学ぶこととはまた違った面白さがあると思います)
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/05 19:36

記憶が曖昧で探せ無いのですが、人類種が哲学をする原因は、



敵を欺く事、見抜く事、そしてより正しい選択を行う事

の必要性から発生していたんだと思います。 狐と狸のだまし合いがある軍事的理由から”哲学”の必要があって、選択と判断の誤りがなぜ発生するのかを追及する姿勢の必要性が公的に認められた段階で”哲学”という領域ができた。

知恵と知識を共有することによって、利益を得る場合(者)と損なう場合(者)がある。

一部の指導者達が”何を知り、何を準備(学習)すべき”かについて支援する。 自分達が生き残り、勝利するためです。


尚、素人かじりだったので「普遍の原理」は全く知りません。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/03 14:27

ha-ha-hakkusyonさんの以前の二つの質問に答え損ねた者です。



哲学の根底に「普遍の原理」があるのではありません。
哲学はもし「真理」(これは真実とは異なるものです)が存在するとすればそれは普遍妥当なものである、という前提のもとに真理を探究する学問です。つまり普遍の原理は到達すべき目標です。

その前提のもとでは当然のことですが、
○普遍妥当性とはどのようなものであるか
○真理が真理である理由は何であるか
○私たちが真理を知りうるとすればそれは何故か
○認識の問題とその可能性
○論理とは何か、とか、論理の限界はどこにあるか
○形而上学的問いの有効性
○価値とは何か
など、さまざまな関連問題について研究されてきています。
(念のために書いておきますが、哲学における問題はここに挙げたものにとどまりません)

また、今までの2000年以上にわたる探求の中で既に決着がついている問題、こうであろうと理解できるものも多くあります。もちろん、その逆に一時は「真理」であると思われていても後世の批判によって破綻した考えも数多くあります。はっきり言うとすでにある考え方に対してケチをつけるのは哲学を学んだものには容易なことです。

例えば#3の方の回答の中に
「絶対不変の真理は、ない。絶対不変の真理を説く人が居ればその人は、「全体主義者」もしくは「狂信者」である。ということです。敢えて真理が有るとしたら「万物は変化する」ということでしょうか。」と答えておられますが、この答え自体に、どの程度の普遍妥当性があるかどうかが問題になります。

「万物は変化する」というならこの仮の真理自体も変化して「変化しないものもある」ということになってしまいます。こういうものを自己言及のパラドックスと言いますが、このパラドックスを起こさないようにするにはどうすれば良いかということについて一応の答えが出ています。

哲学に限らず、自然科学においても、社会科学においても、学問をするということは、既に得られている結果をまず知り、現在ではどのようなことが問題になっているかを理解して、それについて探求することが求められます。そうした知識が必要であることは哲学でも同じことなのですが、(知識として知っていてもそれだけでは新たな問題を考える能力とならないため)それらの先哲の思考過程を出来る限り自分で考えてみて納得していく作業が特に哲学では重視されます。また、これは同時に批判能力を養うことになります。

ha-ha-hakkusyonさんがどのような理由で哲学に興味を持ったのか、私には判りませんが先哲との対話を通じて、そして自らの力で批判をすることによって少しでも真理に近づいていけるようになることを期待いたします。

最後に、哲学は価値観を形成する根底になります。ですから、価値観によって左右されるような哲学はありえません。あるいは言い換えるならば、同じ哲学的認識(普遍的真理)の上にたっていても異なる価値観を形成することはできますし、その時には価値観相互の優劣はありません。ただし、誤った事実の認識の上に立つ価値観はほとんど無意味なものです。価値観というのはその程度のものでしょう。

これだけでは充分な回答であるとは思えませんが、短い文にまとめられない己の非才さにあきれる思いです。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/03 14:27

私が学んだ事は;絶対不変の真理は、ない。

絶対不変の真理を説く人が居ればその人は、「全体主義者」もしくは「狂信者」である。ということです。敢えて真理が有るとしたら「万物は変化する」ということでしょうか。
一つジョークを紹介します。
天国で「人間にとって何が一番大切か」を議論しました。
先ずモーゼが頭を指差しながら「理性が一番大事だ」
次にキリストが胸を指差しながら「愛です」
次にマルクスが胃袋を指差しながら「経済ですよ」
次にフロイトが下半身を指差しながら「セックスでしょう」
最後にアインシュタインが「全て相対的だと思うがねえ」
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/03 14:14

> 「普遍の原理」があるのなら、それはどのようなものなのでしょうか?



『 普遍の原理 』など無いです、と言うより「真理」などいつまで経っても分らない、
と考えるのが、正しいのではないでしょうか。

昔の中国では、物質は五つの元素、< 木、火、土、金、水 >からなると信じられて
いたそうですが、素粒子の発見されている現在も、それが究極の元素だと言う証明は、
まだ出来てないのではないでしょうか。

質問「No.1149816」> 真実を探求することは全ての人間に必要。

そんなことは有りません。
もし「知恵遅れ」などで生まれてくれば、その人は、一体どうすれば良いのでしょう。
単に「真実を探求したい」と思った人が、追求すれば良いだけのことです。

例え「聡明」に生まれて来て真実を探求したとしても、下の疑問に即座に答えられる、
とでも言うのでしょうか。

・ 宇宙の果てはどうなっているのか?。
・ 宇宙はいつから存在するのか?。
・ 引力や磁力の力は、なぜ発生するのか?。

ちなみに「釈迦」は、知恵第一の弟子に、考えても答えの出ないことには執着するな、
と答えています。

質問「No.1149816」> 真実を探求する者は優れている。

優れているかどうかは、誰かが、勝手に決められるものでは有りません。
価値観は人によって異なるものですから、他人にとやかく言われる筋合いは無いです。

質問「No.1148225」> 「哲学とは真実を知る為に考えること」等と言う趣旨の説明

『 哲学とは真実を知る為 』と言う見解には、私は賛成できないです。
「真理や原理」を知りたいだけなら、「物理学などの科学系学問」の方が適している、
のでは無いのでしょうか。

哲学本など、今まで読んだことは無いですが、哲学の目的は【 考え方 】を学ぶこと、
なのだと、私は理解しています。

仏教も、哲学の一種になると思いますが、《 生き方の「哲学:考え方」を学ぶこと 》
と理解すれば、分り易いでしょうか。

まぁ、そう言う「トンチンカンな自己見解」が書いてある哲学書など、ゴミと断定し、
即刻その本を、ゴミ箱に放り込んでしまうのが、ベストだと思います。

良ければ、その「書名」などを知らせてくだされば、今後の参考になります。
それから、質問の終了が早すぎるので、解答が書き難いですね。(w
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/03 14:12

直接の回答ではありませんが、養老孟司さんの『唯脳論』を一度読んでご覧になったら如何ですか?そのあとであなたの設問の意味を考えてみるとよいのではないかと愚考します。

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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。

 おすすめ頂いた本、早速探してみようと思います。

お礼日時:2005/01/03 14:10

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