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昭和40年代の結婚に本家、分家の制度はなかったですか?

A 回答 (6件)

典型的には「墓」を見ればわかります。

別に「制度」ではなく、自然の成り行きということです。
基本は太平洋戦争前の「戸籍制度」に基づいていることは確かですが、戦後は制度自体がなくなっています。

先祖からの墓の面倒を見るのが「本家」であり、通常は長男です。その長男の一家が亡くなればその墓に入ります。長男以外が墓を継げば、それが「本家」になります。
次男以下の家族は、その墓の面倒を見ませんし、死んでもその墓には入りません。別な墓を作るか、墓を持ちません。それを「分家」と呼びますね。
次男以下であっても、結婚して一家を構えなければその墓に入ります。その場合には「分家」とは呼びません。

それは今でも考え方は同じです。
ただ、子供たちが全て都会に出て、誰も田舎の墓の面倒を見なければ、「本家」「分家」の考え方も成り立ちません。そんな「荒れた墓」が増え、「墓じまい」する家も多くなったようです。なので「本家」「分家」とも言わないケースが増えたのでしょう。
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制度はありません


分化は残っていました
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法制度としては、そのようなモノは


存在しません。

しかし、事実としての本家分家の区別なら、
現代でも残っていますよ。

田舎に行けば、それが判ります。
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中部地方では、本家(ほんや)、新家(しんや)という言葉でしたね。

本家の行事には新家は総動員されていました。本家の男子の嫁に新家の女子をあてることもよくありました。
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「制度」としては存在しない.



「人の意識」は別の話.
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その時代なら場所にも因りますが、


本家だとか分家とかの意識を色濃く残してる残ってる事は有ったと思います、其によって序列が巾を効かせたり、従わなければ成らない、顔を立てなければ成らないとかでも。
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