これには批判もあると思うが、超越や解放を目指すなら、という話。
生き残りに懸ける命は勿体ないと私は思うのだけれど、皆さんはどう思いますか。
生き残るために策を練り、生き残るために心を押し殺し、生き残るために命を削り、生き残るために我慢する。生き残るために戦う。生き残るために、、、の後にはどうも悲壮感が漂っている場合が多い気がする。命(存在)を懸ける対象としては、生き残りというのは不適なのではないか。
生き残るために楽しみ、とか、生き残るために喜び、とか、生き残るために安心し、とか、生き残るために協和し、というのは無いわけではないが、あまり聞かない。
太古から現代まで、ずっと存在してきたサバイバル原理というか、闘争原理を破壊して、超越や解放を目指すことはできるだろうか、という話。これは、雲の上の御伽噺だろうか。生存原理は存在原理に劣るという主張と捉えてもいい。
たまにはこういう話も振ってみようと思い立ち。それが今夜でしたという話。
追伸:
超越とか解放というのは、例えば、食べなければならないという生存のルールに支配されなければ、あなたは何をしますか?みたいな問いに対する答え。過去から現在までの生命の営みを無視することともとらえられますが、非現実的で意味がないと思うことなかれ。良ければ考えてみてくださいな。
最近マイブームの、岡本太郎的に言えば、 一瞬を生き切れ! と言う事も出来るかな。
存在を透徹しようとする哲学人たらんとするなら、こんな問いにも当たってみてもいいかもしれない。
知らんけど。
No.20
- 回答日時:
矢吹丈が言っている「真っ白な灰に燃え尽きる事」は「真っ白な灰に燃え尽きる感」です
矢吹丈が「真っ白な灰に燃え尽きる感」を抱いたのは彼の身体が極限状態に達しそれ以上戦ったら死ぬと言う極限状態に達していたのでジョーの脳がジョーの身体を守る為にものすごく大量の生理ホルモンを分泌しそのものすごく大量の生体ホルモンによってジョーか包まれそのホルモン働きによって脳が一瞬麻痺するとともに「究極の充実感」に包まれました
その究極の充実感をを得たからこそジョーは「真っ白な灰に燃え尽きる」的な事を言ったと言うことです
ついで言いますと
私が経験したトランス現象でトランスに達したその目の前が真っ白くなったと同時にそれまで経験したことのない涙を流す程の「幸福感」に包まれました
更に言いますと
目の前がに真っ白くなったその瞬間に真っ白い何かが下から上へ登って行くのが見えそれを私は「天使」と感じました。
No.19
- 回答日時:
質問者さんは私の回答の一部を誤解されてますね
私は「幸福感」とは言いましたが「幸福」とは言ってません
幸福感と幸福とは似て非なる事です
極論を言えば例えヒトは「不幸のどん底」に有っても「究極の幸福感」に包まれ一瞬があるならその一瞬の為に人生を捧げる事があるのです
人が「究極の幸福感」を得るには命の危機が迫るほどの極限に達しなければなりません
なるほど。それは太郎語録を開けば、歓喜と呼ばれているもの事だと推察しました。
彼はこうも言っています。
「幸福なんて、鈍感な奴が語ることだ。」
No.18
- 回答日時:
「限界」に達しその突き進むと何らかの形で「命」に関わると「脳」はブレーキをかけます。
そのブレーキは「能自身が分泌する多量の生体ホルモン」です
脳自身が分泌した多量の生体ホルモン脳が包まれると脳は一瞬麻痺しそれによって脳はリセットされます
脳が一瞬麻痺したときの今までに感じたことをないような「幸福感」や「充実感」に包まれます
この脳の生理現象を「トランス」や「エクスタシー」や「ランナーズハイ」等と呼びます
実際に私は三度経験し三度ともあまりの「幸福感」に自然と涙を流しました。
この「幸福感」や「充実感」は日常経験しうる「幸福感」や「充実感」とは比べものにならないほどの凄さです
「一瞬の為に人生を懸ける」にはエクスタシーやトランス・ランナーズハ等いったい脳生理現象を経験することがとても重要です
No.17
- 回答日時:
もっと簡単には理解できます。
abstract は抽象=「共通するもの、共通項」のことを言います。一方、concreteness具体は、個別、特殊、個物、「このものだけに言えるもの」を指します。No.16
- 回答日時:
矢吹丈が「完全燃焼したその瞬間」の為にジ人生を懸けたのは「完全燃焼したその瞬間」彼の人生では二度と味わえない「究極の幸福感」・「究極の充実感」を得られる事を彼は知っていたからです
それはジョーがライバルである力石徹と戦ったあとにそれまでに感じたことの無かった「幸福感」や「充実感」を得た経験があったからです
ジョーが「人並みの幸せ」を拒否したのは「人並みの幸せ」でえられる「幸福感」や「充実感」では全然物足りないからです。
だからそこジョーにとってとって「人並みの幸せ」と言える時間が「退屈」でしかないのです
このことから言えることは矢吹丈は「とてつもなく欲深い人間」だと言う事です。
「とてつもなく欲深い人間」だからこそジョーは「究極の幸福感」や「究極の充実感」を欲したのです。
「とてつもない欲深さ」が「完全燃焼」を目指す原動力となったのです
但しそれだけジョーが「完全燃焼」に向けて邁進したのではありません。
ここから先の話は「脳生理」の問題です
ジョーが「完全燃焼」に向けて邁進できたのはジョーの「とてつもない欲深さ」がジョー自身の本能(生存本能等)と一体化し「とてつもない欲深さ」が本能と化したからです
ジョーが「完全燃焼」を目指しそれに邁進したその行動はジョーにとっては「本能的行動」なのでだからこそジョーにとって「完全燃焼」に向けて邁進したその行動は一切苦にならなかったのです
上記を踏まえ
質問者さんが仰っている
「この一瞬に爆発」させるには
・とても強い欲望を抱いていること
・その欲望が本能(生存本能など)と一体化すること
です
更に言うと
「年齢に関係なく」とても仰っていますが年齢は大いに関わります
その理由
人格が形成されていないときには欲望と本能は一体化する可能性がありますが、人格が形成されてしまった場合には本能と欲望が一体化することはほぼないのです
オマケ
性欲と破壊衝動(破壊欲求)が一体化したために性欲が湧くとヒトを殺したくなる衝動に駆られ結果ヒトを殺す事を「快楽殺人」と言います
快楽殺人の代表と言えば「デッドバンディー」です
岡本太郎はこう言っています。
「年を経るとともに、若くなっていっているのが実感される。」
僕も、あしたのジョーは大好きで、高校時代に復刻版ですが全巻揃えて読みふけったのを憶えています。
ジョーはストイックであり、彼の抱いていたそれは欲望ではなく渇望であったと思います。何を渇望していたのかが、全巻を通じて語られるんですよね。ジョーは愛し愛されることを渇望していたのか?NO!、信じあえる師弟関係?NO!、ボクサーとしての成功?NO!、友との出会い?NO!NO!NO!。
壁の内側の支配の象徴である力石、彼との闘争を経て得られた力石に対する信頼、全力でぶつかっていいのだという安心感、そんな力石亡き後、目標を失って燃焼できずにさまよった挙句に到達した生き方(第二の孤独)、そこで討ち果たすホセとの決闘、どこを切り取っても幸福なんかない。幸福なんかないけど、真っ白に燃え尽きて、決して虚しからざる生き様を貫徹した。ジョーについて語ると終わらないのでこの辺にしておきます^^
いや、語る表現は違えど、ムカリンさんと同様に、私もジョーが好きなのです。
No.15
- 回答日時:
補足です。
「皆と同じもの」=抽象を椅子取りするのでなく、「個々に想うもの」、「個人でこれだ❗と想うもの」=具体を徹底させることが「爆発」になるのだと思います。脱椅子取り宣言になります。抽象とは普遍性を帯びるということでもあります。一方で具体は特殊性を帯びることであります。
具象を描いているのに、具象を描くには、抽象的な捉え方やテクニックで描かざるを得ないことを知って、むしろ抽象絵画の世界に飛び込んでしまえと思ったのかもしれません。岡本太郎は。
抽象とは、物を平板に、或いは直線に切り刻み、ボリュームはより破壊力を増し、空間はより広げられる。色彩はより鮮度を上げ、光はまぶしいほどであり、影は逆に漆黒を帯びる。
そんな”感覚のブースター”でもある抽象能力でありますが、具象の持つ奔流、生命エネルギーだけは抽象化することができない。それは不可解であり混沌としていて、捉えどころがないのに圧倒的な畏怖を人に与える。そんな具象を描きたいと思い、敢えて抽象の道を行ったのかな?と、想像してみました。
難しい方の道を行くのが、岡本太郎の信念だからです。
No.14
- 回答日時:
これだ!!、と思うものに時間、生活、エネルギーを惜しみなく注力尽力することを、「太郎さんの爆発」だと思っています。
基本的に、あしたの「ジョー」とジョーの存在を未来、明日の約束=幸せと思い、ジョーを育てた段平の姿と行動が「爆発」でしょうね。瞬間を手抜きせず生き切ると言うことですね。明日のためにその一「ジャブはえぐりこむように打つべし」
でしたか。
段平が爆発、。うーむ。瞬間を手抜きせず生き切る、素晴らしいと思います。
私は、ジョーがそのジャブ一つで打ち破ったのは、塀の中のルールだと思います。そのルールとはつまり力石ですが、最初の爆発は、ジョーが喧嘩上等で力石にボコボコに打ちのめされた時だったのではないでしょうか。
あれがジョーの爆発だったのだと思います。それに具体的な希望、指針を与えたのが段平だったと私は思います。
No.12
- 回答日時:
「抽象」という言葉を哲学辞典で引いて考えてみたところ、この思考作用によって
言葉が生まれ、その組み合わせで概念が生まれ、形而上の世界が作られ、イデア(
本質)に至る、という言い方のほうがいいように思いました。
また、抽象芸術は何を抽出するかといえばそれは「本質」であるということですか
ら、「抽象と現実のぶつかりあい、引き裂かれたところに人間の本当の存在がある
ので」という言葉で太郎が言いたかったことは、抽象=本質と現実=具象つまり物
質という相対するもののぶつかり合いの、その矛盾に魂(自我)が燃え上がろうとし
ている…
魂(自我)が人間の本当の存在である、と。
そういう三者の関係性があると考えることが理が通っていると思います。
うーん、難しいですが、イデアに相対するものが「血潮」(=自我、意志だと思いま
す)ではなく、それは「三つ巴」である、と。
その通りだと思います。そのように考えることが筋が通っていると思います。しかし敢えて言います。
爆発というのは、筋が通らないことなのではないでしょうか?
私はこのように想像しました。遥かな昔、世界は生々しかった。残酷で美しく、破壊的であり創造的であり、矛盾の塊であった。そこに流々として、世界が不確かに定まりながら在った。このような世界が、原始人の観た世界であったと思います。
やがて霊感を通じて自然の中に神々を見出して、アニミズム的神話と生活様式が生まれた。ここまではまだ言葉は素朴であった。
やがてそこに人間は、人間の世界を作った。それは壁です。自然界と対峙するための、壁を作ったのです。つまりこれが人間を護る人間の言葉の世界、つまり文明の萌芽です。
この文明を携えて、生の世界という、熱く重々しい生命エネルギーを引きずりながら、イデアの住まう天空の頂を目指した。これが最初の、古代都市の趣であったと思います。
この言葉(壁、分別、文明、抽象)と、生命世界(自然、具象、血潮)のぶつかり合い、引き裂かれたところに、血の通った人間が生まれる。
こうだと思いました。
生命力というのは、何も人間にだけあるわけじゃない。それこそありとあらゆる生命、また生命的に見える宇宙の諸現象におもむろに存在しております。
そこで人間とは何かを問うたときに、この言葉というものは欠かせないのです。これなくして人間像を描けることは有り得ない。そしてまた同時に、人間は生きています。
一方で、言葉は生きているだろうか?抽象された世界の枠組みは生きているだろうか?微妙ですよね。私には形骸に見える。幾何学で論じる真円に、生命は宿っているだろうか?
否。
生命の本質は、爆発だからです。不可解な奔流であり、エネルギーだからです。
もし太郎が、抽象画ではなく具象画の世界に行っていたなら、気が狂っていたかもしれない。彼はピカソに出会って良かった。
壁の内側奥で眠っている人々は、その内に血潮の通っていることを再認識すべきというのは、せいぜい、風通しを良くしようぜ、という程度かもしれない。
だけれど、爆発だ!と言ったからには、その壁を破壊するくらいのパワーは裕にあるべきであり、壁を破壊するということは、原始時代の精神性に舞い戻ることです。そこでもう一度、生の世界に対峙して、人間を生き直すことなのではないでしょうか。
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それが無いから燃え上がる、と言うところのそれとは、歪さや欠けのことではなく、あるべきはずのものがないと言う意味です。
命を粗末にしろと言うのではない。
後生大事に抱えていては、自分の血の一滴も流さないようでは、生きたとは言えないのではないか?
いや、本来的に皆、流しているはずだ。その血潮の温度を無視するから、痛みの分からない痛い奴になってしまう。クールな、空白な奴になってしまう。
その熱さを、痛みを、自分で感じて、生きている昂ぶりをむしろ誇りに思って、吠えなければならないだろう。
透徹した視力を持った哲人であっても、この道の奥底を見据えることはできない。そこには悲しみなんてない。燃え上がった血の湧き出す、炉があるだけだ。
その熱い中身が絶対的に冷たい世界に流れ出すとき、世界が華ひらくのではないだろうか。
理哲な賢人にはわからないことだ。
僕は最近、自分に対する不満をふつふつと感じる。
なんて下らない奴なんだと。胸の内にメラリと燃えるものがある。
自己否定。これこそが、モチベーションなのではないでしょうか?
No.61
>これは、社会のシステムの問題でしょうなあ。
なんでも商品化してしまう。この性分は問題になると思う。月の土地を販売した話など聞くと、本当に恥知らずだと思う。お前が月を作ったのか?お前が月に到達したのか?何もしてないじゃないか?お前は価値を付けただけ。
これは、私の商性に対する懐疑でもあると思います。価値とは、お金とは何か、どうあるべきかの話になるかもしれません。
しかし敢えて言うなら、その目的とは、酷で冷たい世界、酷で冷たい運命に対する、爆発だと言ってよいでしょう。
私の言う、「私は冷たかった」と言うのは、熱意を持てる対象を持ってこなかったというのではない。人間として、冷たかったという意味なのです。他者からは優しい人だと言われてきた。しかし太郎は言う。「好かれる奴ほどダメになる。」おもろいやんけ、と俺は思った。
なかなかいいパンチをしてやがると。
私は太郎の言葉に従っているのではなく、古より太郎が受け継ぎ、また自ら顕現した熱い生き方を、俺もしてみようと思っただけなのです。
俺は若いころこんなに働いたのに、年を取って邪険にされている。不公平だ!こんなことを言う大人は、はっきり言って凡俗以外の何物でもない。
気持ちは分かるが尊敬の対象にはならない。
そうではなくて、俺は若いころこんなに働いた、年を取って邪険にされている。だからなんだ。俺は俺の信念に従って働いたんだ。俺はそれに絶対の自信がある。お前ら若い者に同じような自信があるかね?ないならつけてから出直してきやがれ!
とか、
年取って邪険にされている。まるで役立たずと言わんばかりだ。うれしい限りだね。俺がいなくても、お前らはやっていける。それだけ成長したってことだ。俺も頑張った甲斐があったよ。
とか、
なるなら、威勢のいいおっさんだなwとか、やさしい大人だなぁ、とか、若い者もいろいろ思うところがあるでしょう。
しがらみの多い世の中で、純に生きていく事は、ただ生きて行くことよりも難しい。しかし思える。純に生きるとは、決して打たれない生き方の事ではないし、汚れない生き方でもない。縛られない生き方でもないし、疲れない生き方でもない。打たれ、汚れ、縛られ、疲れ、それでいて純なんだと、思えるようになった。その意味で、私は今までただ生きていただけだったかも知れない。必要以上には打たれたくない、汚れたくない、縛られたくない、疲れたくない、でもそれらは本当は、語弊を恐れず言えば、気持ち良いんだ。正面から取り組めば、障害は生きがいになる。そう思えるのです。
盲点からの打撃は失神を呼び易い。正面から、分かって受けた打撃はあまり失神しない。正面から受けて、気絶してみたい。どうかしてるのだろうか、俺は。
心をゼロにして話を聞いてみる、これは大変良いことを聞いたと思いました。ありがとうございます。
ここに人生をわずかにも告白し、痛みを感じて来たことを身をもって知っている人に、さらに痛みを感じるべきだなどと間抜けたことは言いません。ストイックになるべきとも言いません。自他の痛みを知って、闘志を起こし、自己を励起して、道を切り開くことが、私には必要だったし、時代の要請でもあると思う。
最後に補足しておきますが、これらの話は勿論、自傷や自殺を勧めたり、行使したりする話ではありません。
履き違えのないように、念の為。