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中世の三美神と、ルネサンス期の三美神とで、違いがあると思うのですが、なぜ、ルネサンス期にこのような違いが誕生したのか教えてくれませんか?

A 回答 (2件)

神に対する不信があったからです。



神にべったりじゃなくて、人間中心に
しよう、とするのがルネッサンスだからです。

どうして神に対する不信が出来たのか、といえば
十字軍の失敗、免罪符、コレラに対して無力
などの事件があったからです。
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ルネサンスとは、ギリシア・ローマの文芸の再生を目指そうというもので、その本質は人文主義(ヒューマニズム)です。



歴史でこのへんをやると、添付の図の3つがよく出てきますよね。同じ主題なのにこの違いなはんだと。
左から1世紀のローマ時代のものでポンペイから出土した壁画。真ん中は14世紀ごろの写本。右はルネサンスを代表する画家の一人ボッティチェリの「春」の一部。見ての通り、古代は裸体、中世は着衣でポーズも硬く、ルネサンス期は透け透け衣装です。

ルネサンスとは、14~16世紀に西ヨーロッパ各地で思想や芸術、学問などで展開された文化運動の事です。
中世にいったん失われたギリシア・ローマの文化が復活したとして19世紀の歴史家によってフランス語の再生を意味する「ルネサンス」と名付けられました。中世に西ヨーロッパにおいて聖俗ともに絶大な力を持ったローマ=カトリック教会ではなく、人間の理性を信じ、現世的で世俗的な人間中心の世界観がその中心でした。

西ローマ帝国滅亡前後の混乱で、それまで高度に発展していた、政治経済文化芸術などは一気に衰えてしまいます。
そこで大きな力を持ったのが、ローマ帝国の国教であったローマ=カトリック教会で、中世の西ヨーロッパ世界の大きな基礎となります。
11世紀ごろから西ヨーロッパの混乱が収まり、経済も発展し都市も成長し始めます。
そのなかでローマ教皇の呼びかけで聖地イェルサレム奪還のため各地の王が十字軍を東方に派遣します。
十字軍が向かった東方、イスラーム世界やビザンツ(東ローマ)帝国こそ、古代ギリシア・ローマの文芸を継承発展させていたのです。
西ヨーロッパの復興・発展と十字軍の失敗は、ローマ=カトリック教会の権威を揺るがし、ルネサンスや宗教改革へ繋がります。

ルネサンスは、まず、東方との交流がさかんで、都市化商業化が進んでいたイタリアの都市の市民や都市貴族を担い手として起こり、ネーデルラント(オランダ)、フランス、ドイツ、イギリスなどにも広がっていきます。


絵の話が遅くなりました…
古代ギリシア・ローマギリシアでは人間のもつ肉体美が重んじられていました。ギリシアやローマでは神話の神々の像がたくさん作られていましたが、多くは裸で、男神なら筋肉ムキムキとか女神なら柔らかいとか理想化された人間の形をとっていますよね。

ところが、中世では良くも悪くもキリスト教が人々を縛ってしまいます。イエスを十字架に送ってしまった人間は罪深いものであり、人間の欲はいけないものと考えられ、裸体などは性欲などと結びつけられて否定され、裸体の像や絵は作られなくなってしまいました。三美神も3人の女性とわかるだけのまるでリアルでもなく記号のような描かれようです。このキリスト教の悪い縛りは学問にも及びます。古代ギリシア・ローマには、実に様々な自然科学・人文科学はあり、かなり高度なものもありました。天文学でも、地球球体説や、球体を証明する方法などもありましたし、天動説なども考えられていましたが、ず~っと後の中世には、神様が作ったここが宇宙の中心だと地動説は否定された…とか大幅に後退しています。

そしてギリシア・ローマへの回帰を目指すルネサンスです。再び人間が肯定され、絵や彫刻でも人間が描かれます。記号ではなく美しいものとして。主題がイエスとマリアの聖母子像でも、描かれているのはかわいい赤ちゃんと美しい女性で、写実的かつ生き生きとしています。ボッティチェリの三美神も、宗教的な歯止めからか応服は着ていますが、透け透けでほぼ裸体と言っていいでしょう。ポーズもハンコで捺したような真ん中の絵とちがって柔らかい動きを描きだしています。

だらだら脈絡なく書いてしまいましたが伝わりますか?
「中世の三美神と、ルネサンス期の三美神とで」の回答画像1
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