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 こんばんは。
 現在マスコミや一般常識ではイスラム教は排他的な宗教で、他宗教に対して攻撃的な宗教であると思われており、現に私もそう思っていましたが、イスラム教への議論をみているなかで、「イスラム教に他宗教を攻撃しろ、とかかれた教えはなく、むしろ慣用的だ」という文章を、ちらちら見かけました。
 それが本当ならば面白いのですが、調べてみてもうまく見つからず、かえってイスラム教の攻撃性(聖戦・ジハードはまさしくそうだと思うのですが)が強調されるものばかりで、首をひねっています。
 どなたか、こういう点だから寛容といえる、などとお答えしてくれる方はいらっしゃいませんか? またよいページをご存じの方は教えてください。

A 回答 (6件)

私の知っている寛容、と言われた根拠は、イスラム教国家拡大の歴史にありました。


スペインのアルハンブラ宮殿に見られるように、昔イベリア半島の南端など、アラブ人に侵略され、イスラム教国家が建設されました。
そこでは、イスラム教徒でなくても、ユダヤ教徒(当時、ヨーロッパのキリスト教国家では迫害されていました)もキリスト教徒も、ジズヤを払うだけで良く、追い出されたり、異教徒として殺されたりしなかったという事が、論拠となっていたと思います。
また、ユダヤ教やキリスト教を「啓典の民」として尊敬する考え方があります。
また、イスラム教徒でありさえすれば(改宗さえすれば)原則的には、人種や階層等の差別はなく、信仰告白でみな平等になります。
カトリック教会のヒエラルヒーのようなものはない、ということになっています(現実は知りませんが)。
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この回答へのお礼

おお、まさしく寛容の根拠です。ありがとうございました。キリスト教もユダヤ教も、「経典の民」ですか。イスラム教自体の考えは、かなり進歩的ですね。

お礼日時:2005/01/16 01:12

詳しくはありませんが、個人的な事情で宗教について少々調べているところです。


宗派にもよるのだと思いますが、イスラムでは自分が教えを守っていれば、教えを広めないといけないというようなことはないと読みました。
コーランも一度読みましたが、そのような記述は記憶に残っていません。
他宗教を勧誘したり、教えを広げようとする意識は、そうないようです。

キリスト教のほうが、教えをひろめるという大義名分のもと、他国への侵略の歴史がいろいろあるようです。
十字軍なんかがその筆頭にあげられるようですが。
イスラムはその侵略に対抗してきただけで・・・自分から他国へどうこうしようとはしていないはずです。

宗教については、深い問題で、解釈しだいでどれが正解という自信もないので、「回答に対する自信」に「あり」とはつけられませんが・・・・・・。
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イスラム教の攻撃性って


自立したい子と過保護な親の図でしょう。
「いちいちうるさいなぁ!」
この部分だけ強調しているように感じます。
それは出来の悪い子供見るようで可愛そうになりますね…

直接の『寛容』ではありませんが、
経済的に優れた国と対比すると寛容的かなぁと思います。
経済的に優れている国ってどうしても、他人が敵であったり競争相手でしょう?
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イスラム教が戦いを肯定しているというのは、教えを広める際に障害が生まれたら、それを除くために闘うのは聖戦だという教えが拡張してとらえられたもので、決して、排他的な宗教ではありません。



寛容かどうかの判断はできません。というのは、他宗教を攻撃した歴史は、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、ユダヤ教、ヒンズー教など、すべての宗教にあります。宗教における寛容の定義がはっきりしなければ結論は出せませんね。少なくとも、現時点で最も攻撃的な宗教はキリスト教だといえます。ただし、宗教に原因があるのではなく、その宗教の力を利用している人(国)に問題があるからです。今のイスラムは、不必要に干渉してきた他宗教に出て行ってもらいたいだけです。
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この回答へのお礼

なるほど、聖戦は障害を取り除くための戦いですか。過激派が聖戦を叫ぶのはここを捉えてのことなのでしょうね。
宗教と国家のつながりは、日本人である私には考えるのが難しく、頭が痛いです。イスラムの方は民主主義もやっぱりキリスト教の干渉と思ってしまうのでしょうか。

お礼日時:2005/01/16 01:09

宗教ってその宗派の人にもいろいろな考え方を持っている人がいるとおもうんです。


ジハードなどのテロをやっている人は解釈を自分なりに捻じ曲げた結果過激派のイスラム教なわけで。
普通に生活してるイスラムの人は宗教を大事にしたいい人のほうが当然多いとおもいます。

わかりやすく仮の話でうちの母は創価学会員ですが普通のおばちゃんです。
私は無宗教でポリシーを持っているのでそうゆうふうに話すと母や周りの創価学会員もそれを認めてくれます。 ただ会ってきた人の仲には感じの悪い創価学会員さんもいました。 久本雅美やロベルトバッジオは創価学会員としても有名ですがとてもいい人みたいです。 逆にキリスト教の人も同様。
イスラム今日人口は非常に多く国や人種によって考え方も違いますからいろんな人がいるんだとおもいます。 だから人によるんだとおもいます。
多くのイスラム教の人は他人にたいして他人の笑顔などがあるから私たちも幸せでいられるって言う人が多いみたいです。 答えになってないかもしれませんが
信じるものは違えど分かり合える人とは分かり合えるんだとおもいます。

参考にならない意見愚だ愚だとすいませんでした。
失礼いたします。
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この回答へのお礼

過激派が聖戦をねじ曲げて解釈しているというならば、威勢良く聖戦を叫ぶ人を、イラクの一般市民は「何いってるんだコイツ?」みたいな感触で受け止めてると思っていいんでしょうか。なら、居間のイラク問題って反米感情と、イスラムの教えと、過激派の思惑とまた複雑に絡んできている問題なのでしょう。うーん……

お礼日時:2005/01/16 01:04

そこがマスコミの恐ろしいところです.


イスラム教信者の人全員が排他的なはずがありません.
イスラム教の中でも過激派というのがあって,そこの人たちが排他的(語弊があったらすみません)なのです.
マスコミもそこらへんをきちんと考慮して放送すべきだと思います.
「イスラム教の人は攻撃的である」という見方はとてもかわいそうです.

イスラム教という大きな枠組みがあって,その中でも派閥がある,とでも考えてればわかりやすいかと思います.
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この回答へのお礼

確かに「イスラム過激派」や「イスラム原理主義」という言い方をしますものね。派閥ができていることに、納得しました。と、なると一般市民はさほど他宗教を勧誘したり、イスラムの教えを広げよう、とする意識は低いのでしょうか。

お礼日時:2005/01/16 00:58

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