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創価学会の方にお聞きします。私は、副白百合長の役目をさせていただきます。
自分自身、苦しい事が、解決できない悩みがあったので、期待を決めて、お題目にはげみました!最高6時間の時も!活動にも参加したり御書を学んだり。
何一つ祈りは叶いませんでした‼️最近やる気を失せ、学会員の方々にも会いたくない状況です(*T^T)どうしたら良いかアドバイスお願いいたします。

A 回答 (14件中1~10件)

この質問は、本当に本物の創価学会員による質問なのか、大いに疑わしいところがあります。

アンチ創価学会勢力の一人が、学会に関する中傷回答を引き出すための「やらせ質問」の可能性もありますね。それに、質問者は「副白百合長」に就いていると主張していますが、正式には漢字ではなく「副しらゆり長」です。

それはともかくとして、第三者も閲覧していることですし、質問者が本物の創価学会員とであると仮定して回答します。

創価学会の歴代会長は、「行き詰ったら原点に返れ」と指導しています。学会員にとっての「原点」とは、日蓮大聖人の「御書」です。

学会や御本尊を疑うというのは、要するに信心が行き詰まったということです。その場合、どうするか。疑って信心をやめてしまうのか。それとも、疑うような弱い心をねじ伏せるのか。それによって、結果は天地雲泥の差が生じてしまいます。

大聖人は、御書の随所で、「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(兄弟抄など)と仰せです。信心を疑い、自分の弱い心を「師」とする、つまり自分の弱い心に屈服して、「もうだめだ、やってられるか」と心が折れて信心を投げ出してしまう。それが「心を師とする」ということです。そうではなく、そのような弱い心を誡め、自分を善導していけるような確たる規範を自分の心の中に確立する。それが「心の師となる」ということなのです。

確たる規範とは、「御書」であり、また、「御書」を根本とした学会の歴代会長の指導です。「御書」を根本にすれば、自分に起こってくる様々な理不尽と思える出来事も、「ああ、そうなのか」と納得でき、困難を乗り越える力となります。自分の弱い心を根本としても、解決策は出てきません。堕落や破滅の方向に迷い込んでしまうものです。

戦時中、軍部政府の学会に対する大弾圧で、学会の幹部が20名ほど逮捕されましたが、牧口先生と戸田先生以外の幹部は全て、弾圧に耐えかねて退転、つまり信心をやめてしまいました。それのみならず、牧口先生、戸田先生のことを「あの野郎!」「あいつに騙されたんだ!」と、先生たちにお世話になった恩を忘れてボロクソに罵倒し、脱会を呼び掛ける者も出てきました。これなども、所詮、根本としたのは御書ではなく、自分の弱い心であったがゆえに、このような見苦しい醜態をさらすしかなかったわけです。質問者も、もしこの中にいたとしたら、間違いなく「退転組」そして「罵倒組」に加わっていたことでしょうね(哀れ笑い)。

「叶(かな)ひ叶わぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」(日厳尼御前御返事)。願いが叶わないのは日蓮の責任ではない、ということです。御本尊様の仏力・法力は広大無辺です。ですが、我々の信力・行力が弱いと、その力を引き出すことはできません。一念三千の原理により、御本尊に願っている時に、「この祈りは叶わない。どうせ、だめだ」という疑いの心があれば、本当にそのような方向に行ってしまい、祈りは叶わないのです。「この祈りは、絶対に叶う。叶えてみせる」という、強靭な「信」があってこそ、祈りは叶うのです。

もちろん、現実の努力を何一つせず、“祈りさえすれば何とかなるだろう”という横着な信心では、祈りは成就しないのは当然です。強い信心に立ったうえで、あらゆる知恵を湧かせて努力し、挑戦していく。そこに祈りと努力が最大に合致し、祈りは叶っていくのである。それが、創価学会が実践する日蓮仏法のあり方なのです。
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信者ではありませんが、身内に創価がおり、教団の内情に詳しいので回答します。



10時間通しで題目をあげろとか、寄付しただけ功徳がつくとか、普通の宗教では考えられない異常なことを教団は言います。
教義面で異常な点が多すぎるために、うつ病、分裂症、家庭不和、反社会性人格障害、突発性の暴力、対人トラブルなどが頻発しています。
精神病患者や凶悪犯に創価学会員が多いことは、司法界だけでなく精神医療でも取り上げられることの多い話題です。

警察や裁判所から組織犯罪だと断罪され、世間を騒がした大事件を起こしているのも創価学会ぐらいなものです。マスコミはこれだけの組織犯罪を発表しています。
創価学会は間違った宗教であることを自らが証明しています。

言論出版妨害事件、共産党委員長宮本邸盗聴事件、YahooBB個人情報漏洩事件、NTTドコモ通話記録窃盗事件、練馬投票所襲撃事件、大阪事件、コーヒーカップ謀略訴訟、偽造写真事件、シアトル事件、月刊ペン事件、中傷ビラ事件

誰もが知る凶悪犯の多くは創価学会員だったと報告しているマスコミの報道も見逃せません。
悪しき教えによって犯罪史に名を残す人を次々と輩出しているのですから。
http://rapt-neo.com/?p=10604

創価学会よりも信者が多く力のある、キリスト教、神社本庁、日本会議から、長く語り継がれるような凶悪犯を輩出しないのなぜでしょうか。
言うまでもありません。創価学会員固有の問題だからです。


ヒントになるかもしれない文献を転記しますので参考にしてください。

【衝撃!】 現役創価学会員(精神科医)の内部告発
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/5449 …

私は精神科医として、多数の創価学会員の患者を診察治療してきました。
幹部から紹介されてくる学会員が大部分でした。
私自身、幼い頃から創価学会員で、熱心に信仰をしていました。

■創価学会員の精神障害の多さと悪性度の高さに愕然■

現在の創価学会員の精神障害は主に「うつ病性障害」となっています。
熱心な創価学会員ほど、「うつ病性障害」になり、そして熱心な創価学会員ほど治らず、悪性の経過を示します。
私が創価学会を心の中で退会したのは必然でした。
私だけでなく、創価学会員の精神科医は、表には出さなくとも、心の中では創価学会を退会しています。

■「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など精神障害が創価学会員に異常多発■

「児童相談所」を訪れる半数以上は、創価学会員であることは業界の通説です。
そして、それは「新入会者」よりも、古くからの「強信な創価学会員」に多く起こっています。

創価学会の家は、学会活動で子供の教育に手が回らず、子供が非行化するという意見もありますが、実は池田大作が招き込んだ“無数の悪鬼”が暗躍していることを忘れてはなりません。

創価学会の幹部の子供は、高い確率で非行化しています。
同時に、高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患しています。

東京の創価学会本部には、毎週数回、精神科医が行きます。
創価学会本部職員およびその家族に、精神障害が多発しているからです。
創価学会本部に精神科クリニックがあるのと同じですが、薬は処方せず、カウンセリングだけを行います。
薬を処方するならば、クリニック開設の手続きをしなければなりません。
それは創価学会の体面上、行えないのです。

うつ病性障害が治らずに苦しんでいる婦人部がいます。
一族全員、熱烈な創価学会員で、彼女は県の女子部のトップにまでなった強信者です。
彼女は、うつ病性障害でも重度の部類でした。しかし、本人は「信心が足りないから病気が治らないのだ!自分の信心が試されているのだ!」と頑固でした。
自殺願望も強く表れていました。重度のうつ病性障害は、地獄の苦しみです。
彼女も創価学会の邪義の犠牲者の一人と言えるでしょう。


「創価学会 駆け込み寺」から転載します。
https://blog.goo.ne.jp/kim_jung_nam/e/1c638df3b1 …

創価学会における不変の真理は、

1.創価学会は正しい
2.三代会長(牧口・戸田・池田)は素晴らしい

これだけである。これ以外は、釈迦も日蓮も、ハッキリ言って、どうでもいい。

しかし、末端の会員は、この「どうでもいい」事を真理だと思い込まされている。
だから、色んな事に「矛盾」を感じてしまう。

宗教とは、キレイにマインドコントロールされる事に価値がある。
不安の充満する世の中である。
だから、「AとはBである!」「CとはDである!」と、確信を持って言い切ってくれる宗教にあこがれる。
確信ある言葉に、不安が解消される。

だが、創価学会には矛盾が多過ぎる。
なぜ、矛盾が多いかと言えば、やはり「宗教」を道具とした「経済体」だからだろう。
純粋の教義を求めている宗教団体には、これほどの矛盾は無い。
浄土真宗、曹洞宗などは、実にマジメに仏教に向き合っている。
確かに、坊主もメシを食う必要があり、「法の純粋性」と「経済」という矛盾からは、どうしても逃れられまい。
だが、浄土真宗、曹洞宗などの場合は、「法の純粋性」を求める気持ちのほうが強い。
正真証明の「宗教団体」なのだ。

創価学会を宗教団体だと思っているのは、末端の会員だけであり、上層の人間は「経済団体」であるとハッキリ自覚している。
これを自覚できない者は、出世できない。

「経済団体」だから、教義もコロコロ変えてしまう。
「大御本尊を拝まぬものは幸せになれない」などと言っていた口が、コロッと逆の事を言い出す。

こういう本性が、創価学会運営のいたる所にあらわれる。
指導と現実が、いたる所で異なる。
聖教新聞に載っている指導と、実際に、幹部を通じて流れて来る指導が異なる。
「ウラの指導」と「オモテの指導」がある。
だから、純粋な会員は、この矛盾を、どう理解したら良いかわからなくて、迷う。
キレイにマインドコントロールされたいのに、それが不可能なほど、創価学会には矛盾が多い。

「信じよう」「信じよう」と自分には言い聞かせるものの、「信じられない」という声が、心の底からこだまする。
その心の声を封印するかのように、創価学会の書物を読んだり、幹部の口先の指導を聞いて、無理に納得しようとする。

そうなると、人間はどうなるか? 精神が壊れるのである。

(中略)

創価学会員には、極めて神経症的傾向の強い。
という事は、いつ心の病いなってもおかしくないのだ。
創価学会の数々の矛盾に遭遇し、それでも、その矛盾を無理に自分の中で解釈し、自分の心を偽る事で、本格的心の病が噴出する。


精神分裂とは、精神機能の統一性が損なわれる病気で、現実を正しく判断する能力が妨げられ、感情の正しいコントロールや正しい意志決定が出来なくなる。
幻覚、妄想、周囲への無関心、学業不振、労働意欲の低下、急激な興奮を引き起こす場合もある。

創価学会員には、精神分裂的傾向を持っている人間が多く見られる。
幻覚、妄想まで至る人間は少ないが、精神が不安定で興奮しやすく、仕事や家事などの意欲が低下してしまう。
中にはひきこもり的になるタイプもある。
仕事も勉強もせず、いわゆるニートで、人と接するのは創価学会の会合だけ、という人間もしばしば見かける。

これは、創価学会の教えによって、「心の声」を長く抑圧する事で、精神的な統合がとれなくなってしまう。
これが精神分裂の発生原因になっていると考えられる。

創価学会本部の周辺に、しばしば精神分裂を煩った創価学会が来て「池田先生に遭わせて欲しい」と懇願する。
彼等はマルセ(精神病)、マルキ(キチガイ)と暗号で呼ばれ、証拠写真を撮って追い返される。
精神分裂患者を生み出したのは創価学会という組織なのに、精神分裂になった会員には、創価学会は冷たい。

まあ、創価学会員が個人経営する精神病院が数多くあり、そこで患者を面倒みている(金を貢がせている)のだが・・・
創価学会を脱会した後も、精神分裂の傾向がとれない人もいる。
精神が不安定で興奮しやすいという傾向が、多くの脱会者にも見られる。

自分のノイローゼを全て創価学会の責任として押し付けるあり方にも疑問がある。
しかし、創価学会という組織が、ノイローゼを生み出す大きな原因となっている事は間違いないだろう。

活動家である創価学会員に言いたいのは、創価学会に対し不安を感じたならば、活動を停止せよ、という事。
活動を停止する事で、今まで抑えつけていた、自分の心のフタを開ける事が出来る。
それも、中途ハンパな期間ではなく、数年は活動を停止すべきである。
活動停止して期間が短いと、まだ心の不安定さから逃れられない。
ちょっとした他人の言動に、影響力を受けやすい。
そこで活動に戻ると、大変に危険である。
分裂傾向を助長させる結果になる。

すでに脱会した人で、まだ心が不安定であるという人は、創価学会関係から自分の環境を完全に遮断する事。


回答:創価学会は集金集票目的の営利団体で、信者に反社会的行為に荷担させ、何度も教義を変える破綻した宗教なので、宗教論を問うこと自体が間違っているのです。
創価学会から脱会して信仰をやめる以外に方法はありません。
脱会者の似顔絵を会館の階段に置いて信者に踏ませるとか、本当にあり得ません。
「創価学会の方にお聞きします。私は、副白百」の回答画像13
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哀しいですね…


【魔】に負けてますよ。

「副白百合長」でありながら、創価学会のなんたるかがわかっていないようです。
【何一つ祈りは叶いませんでした】と過去形で結論付けているのが大きな間違いです。

もっと、御書をよく学んで、もっと信じて、一般の方々に憧れられるような振る舞いをすれば良いだけじゃないですか。

祈れば、すべて良い結果になるわけではありませんよ。
どのような結果が出ても、ポジティブに考えられて次に進めるというのが、願いがかなうということなのです。
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拝んでも悩みは解決しないでしょう。



自分から問題に働き掛け、行動しないと解決しないのでは?
なぜ拝むことでかなうと思うのか分からない。
一体何に拝んでいるのでしょう?
誰かが代わりに解決してくれるのですか?
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追記です。


ある方も願いが叶わないどころか、正体不明な頭痛に悩まされていたそうです。
仏壇は安い卓上タイプのもので、冷蔵庫の上に置いておいたそうです。
ある日、冷蔵庫のドアを開けるたびに頭痛が生じることが分かり。
はっとしたそうです。
そうです。冷蔵庫のドアを開ける振動がご本尊様に伝わっていたそうです。
すぐに、仏具店から新しい仏壇を買い。猫などがご本尊様に御失敬しないように気を遣うようにしました。
それ以来。頭痛が消え。願いが叶いまくりになったそうです。
ご参考になれば幸いです。
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願いは道理なら叶います。


私は困ったことがあって1日3時間くらい唱題を続けました。
すると。ご本尊様が優しく強く語りかけてきました。
すると、困ったことが何事もなく解決してました。
諸天善神が動いてくれるのです。
弱い祈りでは諸天喜神は動いてくれません。動け!と叱りつけるようなイメージでやれば良いそうです。
貴方の悩みを仲間にも相談してみます。
顔が変わるくらい強盛な祈りでなければなりません。



https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11297379.html
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昨日も寺社参りで病が治るのか、というような質問に答えました。

同じようなことの繰り返しになります。宗教では病気は治りません。お釈迦様でも強烈な腰痛に悩まされ続けておられました。治らないのです。民間療法も治らないと思います。治るのなら国家が認可を与え、医者が使うでしょう。私の同級生は熱心な信者で、乳癌を患いました。しかし題目だけで治そうとしたようです。最後に医者に行ったときは完全に手遅れでした。まだ若かったです。男子部、成年部で音頭を取って精力的に活動していた人も、脳梗塞で寝たきりです。それと、役には立たない知識ですが、題目を六時間では少ないです。十時間の人が多くいます。殆どが女性です。勿論功徳は貰っていないでしょう。ただ、一心に題目を唱える、という行為は、無心になって座禅を組む行為と同じことです。つまり、どう表現するのか? 忘我の気持ちですか。それになり切れば新しい境地が生まれます。別に何も良いことが起こるわけではありません。ランニングハイと言いますね。あれも同じです。そういう境地を味わうのを極楽を経験したと教える宗教もあります。繰り返しますが、何も出てきません。ただ、お釈迦様の時代には、そうして空を飛んだり、水の中で生活ができる人が多かったといわれます。お釈迦様が禁止されました。しかしお釈迦様もそういう瞑想法を長年してこられ、新しい瞑想法で悟りを得られました。その方法以外では悟りは開けないのです。でも悟りを開いても、生きている間に良いことが起こるわけではありません。悟りは三度開かねばなりません。そうすると阿羅漢になれます。阿羅漢が死ねばすべてが終わります。何の痕跡も残らない。ろうそくの火がふっと消えるように消滅します。それが仏教の最終目的です。あらゆる苦悩は生きているから起こります。死んだ瞬間に別の世界で生まれます。苦しみが始まります。だから生まれないのです。完全に無くなってしまうのです。苦痛から逃れられます。四大苦悩、生老病死。生が最大の苦痛の原因です。いくら神仏に願ってもそれは幸せには繋がりません。消えて無くなるのは怖いようです。怖いから宗教が生まれました。しかし実際は消えて無くなるべきなのです。創価学会でいかに頑張ろうとも功徳など得られません。もちろん一生ですから良いこともあるでしょう。しかしそれは偶然であり、神仏のご利益ではありません。
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創価学会 壮年部の者です。



>どうしたら良いかアドバイスお願いいたします。

題目を何時間唱えても、解決できない悩みは解決できない。

もちろん、題目を唱える事は大事で、悩み解決の因とはなりますので、
決して無駄ではない。

問題は、自分がやった!!という事に意識が強くなり、肝心の『法』や組織、同士
を疑う事に問題があり、その事自体があなた自身の福運を消してしまっては、本末転倒
だという事です。
題目を6時間唱えて、そうした命が現れたのなら、むしろ御本尊に感謝し、組織に感謝し、
同士に感謝するべきだと思います。それこそがあなた自身の宿命転換なのですよ。
その宿命が転換されるから、キチンと結果がその後に付いてくるのです。

信心は、あくまでも『法』(御本尊)根本です。
人に依らざれ、、、ですよ。
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この回答へのお礼

そうですか?その思いに、至らない‼️自分自身に情けないです(*T^T)
理屈はわかっていても、何でも期待しちゃってしまいます。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2019/09/26 19:48

まともな回答をすれば、題目や活動は手段であって目的ではありません。


題目をあげたから、活動したから願いがかなうに違いない・・という呪縛を取り払うことです。
学会では成功体験ばかりが強調されますが、それに惑わされないことです。
祈れば願いがかなう・・・のではなくて、精神的に何となくそういう気分に浸れるということです。
それにうまく乗っかればでうまくいく。
でも乗ることが出来なかったら、うまくいかない。
学会に限らず、祈りはその程度に利用しておいた方がいいです。過分に頼るから叶わないことで落ち込むんです。
祈りを煽る・活動を煽る教義を、もっと客観視すべきです。
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努力する方向が間違っています。


一生懸命にお経をあげるのではなく、自分自身が問題の解決のために動くことが大切なんです。
それをせずに、まさに「神頼み」をしたところで何も変わりません。
「神」は望む者を助けるのではなく、その者の努力を実らせるんです。
「拝めばすべてが解決する」なんて子供騙しを信じてはいけません。

その組織はさっさと抜けたほうがいいでしょう。
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