1. たとえば こういう表現があります。
▲ (パウロ:ローマ署 1:17 ) ~~~~~~~~~~~~~~~
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。
これは、「信仰による義人は生きる」(旧約・ハバクク書 2:4 )と書
いてあるとおりである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2. 煮詰めて言えば こういう問いだと思います。:
〇 《信じる》とは どういう行為か?
3. 人間の意志行為であるとすれば 確かに何かを心に受け容れるこ
とだと見られます。《受け容れる》という意志行為でしょう。
4. 何を? ――と言っても 人知で分かるのは無理ですよね?
5. 言うなれば 《無根拠》をである。つまり 無根拠を根拠とする
ことである か?
A 回答 (12件中1~10件)
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No.2
- 回答日時:
十字架を背負う
十字架が木のイメージが有るのですけ今さらな感じがしますが。ど
金属だと巨大な剣を背負うキャラになりますよね。
先ほど気がつきました。
丸太に気がつきませんでした。
No.3
- 回答日時:
信仰によっていきるは、喩えれば、大乗仏教であって、小乗仏教ではないということです。
ご回答をありがとうございます。
★ 大乗仏教であって
☆ 菩薩あるいは仏界が 世界観にくわわったということでしょうか?
そしてそれは 人間の修行といったチカラ〔のみ〕によっては 成就
し得ないゆえと。
このブッダタ―(仏性)は―― 一切衆生悉有仏性と言われるわけです
が―― 問題としては それが《或る根拠》であるか否かだと思われ
ます。(この質問の問題意識としてはです)。
そこんところが わたしには あいまいであるように思われます。
ということは そのブディズムにおいてやはり:
☆☆ 2. 《信じる》とは どういう行為か?
☆ が明らかではないように思われます。どうですかねぇ。
No.4
- 回答日時:
極力自己の行為=コントロールで世界を構築するというのが小乗仏教なら、そんなものは不可能だと思います。
究極の他者から身近な他者も含めて互いの関わり、強力なしに、世界構想創造はあり得ないでしょう。大乗仏教がリアリズムを持ってます。他者抜きの世界はあり得ませんね。ご回答をありがとうございます。
★ 極力自己の行為=コントロールで世界を構築するというのが
小乗仏教なら、そんなものは不可能だと思います。
☆ 自律しようとしたのかも分かりません。その昔。その初期に
は。
★ 究極の他者から身近な他者も含めて互いの関わり、強力(協
力)なしに、世界構想創造はあり得ないでしょう。大乗仏教がリ
アリズムを持ってます。他者抜きの世界はあり得ませんね。
☆ そうなんですけれどね。
つまり 関係主義は 構造主義も言っているわけですから その
あと《信仰》が どこでどう出て来るか? しっかりと整理した
いとは思います。
No.5
- 回答日時:
信じるとは、他者に自己への関わり許すことと世界を構築するにあたり、共同創造者であることを認めることです。
となると 人知のおよぶ範囲内にありますね?
つまり 《考える》であって 《非思考としての信じる》とは
ないような。
――ご回答をありがとうございます。
そこんところは 重大ですね。どうでしょう。
No.6
- 回答日時:
人知と非知の狭間にあるのが人間ですから、非知にも自己を預けざるを得ないでしょう。
ご回答をありがとうございます。
★ 人知と非知の狭間にあるのが人間ですから、
☆ はい。そしてまた 《有限(人知)と無限(非知)とをあたか
もそれらの一体性としてやどす存在》が 人間だとも見られます。
★ 非知にも自己を預けざるを得ないでしょう。
☆ わたしのひとつの例として:
☆☆ [3] 何かを心に受け容れるという意志行為
☆ を提出しましたが いま:
★ 〔非知に〕自己を預ける
☆ という回答例がしめされました。《あづける》のは たしかに
人間の意志行為です。
あるいは 《ゆだねる》・・・もいいかも知れませんね。
No.7
- 回答日時:
信は知恵に変化します
信は分からない事が分かるようになるのです
疑いは簡単な事でも分からなくなります
人間は信じで行動する
その反復堆積なのです
トルストイは人間は
宗教なしでは生きられない理由を
① 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
② 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
知ることが決してできないからである
③ ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
④ 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
⑤ 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
⑥ 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
と言っています
キリスト教には当てはまりません
エセ宗教や占い 霊などは論外です
ご回答をありがとうございます。
★ 信は知恵に変化します
☆ 信――おそらく感性と理性とを超えたところの何かとわれとのカ
カハリ――の中から ヒラメキを得て そこから知恵が芽生え思考へ
とつながると思います。
その意味で:
★ 信は分からない事が分かるようになるのです
☆ とわたしも思います。
★ 疑いは簡単な事でも分からなくなります
人間は信じで行動する
その反復堆積なのです
☆ ここは どうでしょう。そうとも言えますし その反対の一面
も言えるかも知れません。
常識をうたがうことで あたらしいよい知見が得られるかも知れな
いし 行動するときの《信じる》は じつは 経験的なことがらを
めぐる知識やその確信であるにすぎないかも分かりません。
人間の思考がかかわった信念や信条であるかも分かりません。それ
は 《信じる(信仰)》とは 次元が別だと考えます。
★ トルストイは人間は
宗教なしでは生きられない
☆ わたしはこの宗教は 思考の問題としてのオシへではなく 信
じるの信仰と解しますが:
★ 理由を
① 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
☆ 微妙ですね。究極の善悪は 思考による判断を超えて信じるの
領域に入っているかも分かりませんが ふつうは 人知たる経験合
理性で判定しますね。
★ ② 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
知ることが決してできないからである
☆ 微妙ですね。次も同じくです。
★ ③ ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
★ ④ 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
☆ これは――議論できませんが(答えの用意がないので)――分
かりません。その時その場での心理としては つねに恐怖が起き得
るように感じます。
★ ⑤ 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
☆ これは オシへというより 信仰がだと思います。オシへなら
いろんな思想と同列だと見ます。
★ ⑥ 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
☆ 《信教・良心の自由》は 信仰の問題でしょう。その自由が互
いにひとしくそなわるとすれば 平等です。
つづく
No.8
- 回答日時:
信仰を持って生きるとは、
クリスチャンの場合は日常生活で
常にイエスだったらどうするか?
又はイエスの教えだったらどうすればよいのか?
と意識して生活することだと思います。
すごくシンプルに言うと。
ご回答をありがとうございます。
★ クリスチャンの場合は
☆ という前提をおくことになるんでしょうね。
★ 日常生活で
常にイエスだったらどうするか?
又はイエスの教えだったらどうすればよいのか?
と意識して生活することだと思います。
☆ これは たしかに:
★ すごくシンプルに言うと。
☆ とやはりことわっておられるように 個別の情況や場面
での具体的な対処法であるように思われます。
言いかえると 《信じる》とはどういうことか? をめぐる
理論的な定義を飛ばして考えた場合でしょうか。
あるいはつまり要するに その信仰がすでに大前提になって
いるということから来ていましょうか。
使い方がへんかも知れないですが 信仰にかんする或る種の
プラグマティズムのように わたしには感じられます。
と言いますか このご回答内容については 決まったコメン
トを出すのは 合わないのかも知れないと思います。
No.9
- 回答日時:
人間の最も根源的な行動原理は好悪感です。
「好き」なら寄り添う。「やりたい」から積極的に行動する。「嫌い」だから避ける。「やりたくない」から逃げる。それ以上のことはすべて後付けの理屈です。ヒトの行動規範の根源は原理的な感性に基づきます。ゆえにヒトは虚構でも信じたいものを信じ、事実でも信じたくないものは信じない。
ご回答をありがとうございます。
★ 人間の最も根源的な行動原理は好悪感です。
☆ まあ フロイト方面の見方では 快楽原則とまで言いますから。
部分的には 義理と人情とも言いますから けっこう義理堅いひとも
いるでしょうね。人情の気持ちをおさえて 恩を受けている相手やい
わゆる借りのある相手に対しては その義理を果たすことを優先する。
★ 「好き」なら寄り添う。「やりたい」から積極的に行動する。
「嫌い」だから避ける。「やりたくない」から逃げる。
☆ というふうに ヒトは あたかも動物とおんなじなのか? と言
えば ちがうかも分かりませんよ。問題提起までですが。
★ それ以上のことはすべて後付けの理屈です。
☆ ですから 社会に出て大人になったあとでは 快楽原則と義理原
則とが拮抗するかも分かりません。あるいは 使い分けるのかも。
まったく完全に動物と同じということは あり得ないでしょう。
★ ヒトの行動規範の根源は原理的な感性に基づきます。
☆ 感性を超え理性をも超えたところが あんがい人間存在の《根元
的》な推進力となっているかも分かりません。
そういう場合には 人間の考えや想像をも超えており 行動規範がど
うだこうだでは おさまり得ない何かが はたらくかも。
★ ゆえにヒトは虚構でも信じたいものを信じ、事実でも信じたくな
いものは信じない。
☆ つまり 初めから茶々を入れる側に回ってしまっていますが こ
の場合でも 《虚構――想像力――》や《事実――その認識としての
理性――》をも超えた何かこそが 《信じる》という問題なのかもで
すよ。
No.10
- 回答日時:
拠り所一般において
それを最初から確固たる土台として
迷わずに進んでいくのは難しいことだと思います。
迷ったときに宗教という拠り所では
自らを超越した存在を想定してハードルを超えていく。
その結果の意味が大きいという経験の蓄積から
そうした信仰という意志の強化という要素の
重要度の高さに弾みがついていく。
つまり経験則の確率の高さを
最終的に根拠にしてきたのではないかと思います。
ご回答をありがとうございます。
★ 拠り所一般において
それを最初から確固たる土台として
迷わずに進んでいくのは難しいことだと思います。
☆ それはそうです。人生という旅路では あたかもいくつかの
いろんな寺院や聖地を回ってこそ めざす場所にたどりつく・・・
といったことが ふつうなのかも分かりません。
まぁ それでも 一発でドンピシャリと行く場合がないとも限り
ません。
しかも 初めっから――ガキの時から――ひととおりの巡礼を終
えてのように おのが目指す道に付いたのだという人がいないと
も限りません。
(つまり 先回りになりますが すでに《無根拠》によりどころ
を得て すんなりと行く場合です)。
★ 迷ったときに宗教という拠り所では
☆ ですから 《宗教》とは違うんですよね。宗教は オシへで
あり 自分で考えるもの(思想)です。(それを 鵜呑みにして
しまいなさいと説く宗教もあるようですが)。
★ 自らを超越した存在を想定してハードルを超えていく。
☆ これは ふつう一般の社会人が――宗教に関係なく――たど
る道ですね。思想(≒生活態度)を形成するのも ふつう一般の
ことですし。
★ その結果の意味が大きいという経験の蓄積から
☆ たいていは そういう宣伝だけなのでは?
★ そうした信仰という意志の強化という要素の
☆ 信仰は 最初に何かを受け容れるという意志行為がはたらき
ますが あとは バカみたいに無根拠にて判断を成す場合が――
思考を尽くしたそのあと―― ふつうになります。
★ 重要度の高さに弾みがついていく。
☆ その判定は さだまったものではないように思います。宗教・
宗派の自画自賛が しばしばです。
★ つまり経験則の確率の高さを
最終的に根拠にしてきたのではないかと思います。
☆ それは 社会人一般・特に企業家や経営者の場合には 宗教
家に負けないほどの経験やそこに得られている経験法則のたくわ
えがありますから 宗教がひとり偉いとは 口が裂けても言えま
せん。――とわたしは考えます。
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