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宗教って何?
何故そこまで妄信的に活動出来るの?
自分達の信じる神こそが全能だと疑わない人達… 何が彼らを突き動かすの?
等しく善意から始まった事だろうに、いつのまにか結果ばかりに囚われて…

※つぶやきポロリm(_ _)m

A 回答 (13件中1~10件)

宗教って何?という問いは難しくて答えられませんが、自分が信じる神こそが全能だと疑わない人達の一部は、信じてる神がもうすでに全能なので、もっとすごいぞということが出来なくてつまんないから、他の神や考えを貶めるしか無くて、しょうがなく暇つぶしで、やってるんじゃないかな。

下記を読んでそう感じました。

Q:本来の神と創作物としての神
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10083277.html
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たしかイスラム教の戒律(あれを食べてはいけないとかこれをしてはいけないとか)は当時の状況から人々の助けになるように合理的に考えられたルールだと聞いたことがあります。


それが現在ではその教えを守ることを徹底するあまり普段の生活にも支障がでてしまっています。
おそらくだいたいの宗教の教えは純粋にその時代の人々を助けるために考えられたものなのでしょうが時代とともに必要な考え、行動は変わってきます。
その中で戒律にこだわり続けることは、はたからすればむしろその人にとってマイナスになっているように見えます。
しかも時に心から信じすぎるあまりルールを守ることに過激になって行って他人に迷惑をかけてしまう人もいます。
宗教が社会と共存するにはその時その時に合わせて柔軟にルールを変えていくことが必要ですがあまりに柔軟に変わりすぎると葬式仏教のように本来の形から離れた別の何かになってしまう可能性もあります。
とはいえ社会が純粋な宗教を完全に否定するのもなにか違うような気がするしこの問題はとても難しいですね。
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同じように思います。


本来 宗教は人の気持ちが救われるために出来たのでしょうけれど、歴史的に見ても、また今も度々不幸を呼び起こす原因にもなっている現状を見てしまうと宗教活動というものに疑問を感じてしまいます。
どの宗教が良いとか悪いとかではないんです。
周りが見えなくなる。他の人に敵意が芽生える。つらい思いをする。そういった事が起きるほど思い込むという事は、宗教が逆に人を追い詰めているのではないかとすら思えてしまうんです。
もちろん信仰は自由だと思いますし、宗教全体を批判する気はありません。
ただ、その人やその周りの人達が幸せになれるためにだけに宗教はあって欲しいと思っています。
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たとえばつらい目にあった時、悲劇に繰り返しみまわれた時でもその人の心が納得しその人が幸福なら少なくともその人視点ではその人生は幸福なものと言えます。


たとえつらい目にあったときでも「それが神の試練で乗り越えればい良いことがある」とか
「どんなといでも神様がそばにいてくださる」と信じれば問題は解決しなくてもその問題を
乗り越えることができます。
神様に限らず世の中には「疑うほうが賢明だけれど信じていたほうが幸せなこと」がたくさん
あります。
宗教もその一つです。
いまだに世界から宗教が消えない理由はそういうところにあるのでしょう。
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この質問は「妄信的に活動する宗教」について質問しているのです。


日本の普通の宗教は親が入っているから自然に続いているもの。
質問文をきちんと理解して回答してあげましょう。
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ん?普通の宗教は悩む人、自信のない人が最後に頼るところではないですよね?


だってクリスチャンは産まれてすぐ本人の意思に関係なく洗礼受けるし、イスラム教もそうだし…。
仏教とかも生まれた家系が日蓮なら日蓮だし…だから『最後にすがる場所』というのは主に改宗する人に該当するんじゃないかなぁ〜…。
もちろん、改宗と言っても『最後にすがる場所』ではなく、結婚によって改宗する場合もあるので理由は様々でしょうけど…。

宗教とは…うちの宗教(イスラム教 スンニ派)の場合は道徳ですね。
なぜそこまで盲信的に活動できるのか?そうじゃない人もいますし、そもそもイスラム教は教え自体が道徳のようなものなので、盲信的もなにも『神の御言葉(道徳)を守ってるだけ』です。
自分たちの信じる神が全知全能ではないかも?と疑ってたら、その宗教によっては教えが成り立ちません。
何も突き動かしませんよ。
ただ良い人でいよう、慈悲を持って人に接しよう、平和のために祈る、隣人のために祈る…などなど『いい人でいよう』というモチベーションを保つ為に(自分自身を見直す為に)祈ったり、『自分以外の誰かの為に(世界が平和になるように)祈る』、こういう事だと思います。

質問者さんは新興宗教の事を言ってるんでしょうか??
または日本の中だけの宗教観の話でしょうか?
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長文の回答者を引き寄せましたね。


宗教は悩む人自信のない人が最後に頼るところです。
新興宗教は洗脳技術を使って悩みを妄信に変える力を持っています。
悩みから妄信になり生きていく力が出るので本人には救いとなるのですが
周囲を引き寄せ信者を増やそうとします。
だから他人まで巻き込んで争いになるのです。
「信じる人だけ救われる」から「信じない者は地獄に落ちる」になるのです。
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ぼんやり見聞きし、なんとなくポロリとつぶやいても、思考は深まりません。



「等しく善意から始まった事だろうに、」
なにを対象にして「等しく」と思っていますか。

「善意から始まった事だろうに、いつのまにか結果ばかりに囚われて…」
見ている対象(行為・行動)は「結果ばかりに囚われて」のように思えているのでしょうか。
実際に結果にとらわれているかをどのような視点評点から考察してますか。
そもそも「善意から始まった事だろうに」と想像する理由はなんですか。
《善意》とは「①他人や物事に対しての良い感情、または見方や好意のこと」「②相手にとって喜ばしいであろうとすることを行う、思いやりのこと」「③相手によい結果を導こうとして行なう意思を指す」、③のことを意味していますか。
通常、強い信仰、信仰活動という場合には、布教や伝道のことをさしません。それって、自分(ら)の得(利益=災害危難病苦死から遠ざかる、安全、安心、快適、幸運、福徳、金運、繁栄、子宝、勝利など)を祈願したり、感謝したりなどしているだけのことです。それでは宗教にはなりません。
布教・伝道・弘法・宣教・説教という名前があるように、言語化された何かの体系・世界の理解があり、また振る舞いの仕方の規範があり、それを周囲に教え広げることで、宗教というのは成立するのです。そうした体系・規範・伝道や弘法のない宗教というのはないです。そうしたセットがあるから、宗教は成立し、広がり、存続し続けるのです。
人は通常ならばある程度まとまった思考習慣などによる発想や行動をします。もちろん個人差はあり、精神分裂状態とか、知的障害のような方もいますが、一方で強く自分を律し信念の人として行動し直接の社会生活上の不都合を顧みない人もいます。科学者、ミュージシャン、画家、俳優、アスリート、起業家、事業者、料理人、俳人詩人、小説家、哲学者、学者研究者、医師、教師、政治家、社会運動家という中には、そうした人たちが結構います。 おそらく、成人(15歳~55歳)の10%近い人はそうした傾向を持っていると思います。 一時的に邁進して部活や趣味、家庭・仕事・子育てをしたという程度の人なら成人(15歳~55歳)の60%近くいるのではないでしょうか。
その対象が、たまたま宗教だったというのにすぎないでしょう。

「自分達の信じる神こそが全能だと疑わない人達… 」
宗教は神が全能と思っているとは限らないです。キリスト教の場合、聖書には神が失敗している話がたくさんあります。 アラーは全知全能・唯一絶対と説明されますが、不信心のものについて繰り返しクルアーンで触れないとならない状態です。 全知全能唯一絶対というのは完全にすべてをコントロールできて漏れも失敗もないということとは考えてはいないのだと思います。あくまで相対的に、存在する神の中では最高ということを全能という言葉で敬意を表しているのでしょう。

「何が彼らを突き動かすの?」
恋愛的アタック、憎悪的アタック、逃避行動、萎縮うつ、献身的活動、アルコールや賭博・ゲームへの専念、金儲けへのこだわりなどの原因は、脳の活動の特性にあります。すべての情報どころか、ごく限られた情報を扱う傾向が脳にはあります。方向性も自在に上下左右前後に全方位に向かうのではなく、それまで続けていた方向に限定してその延長線上で志向するというのが脳の活動の基本です。 どうしても言葉にするなら、「慣性・惰性・勢い」あるいは「ハビトウスhabitus」です。

「宗教って何?」
今の社会経済の仕組み、動向、この先の見通しを理解できますか。ITやスマホの仕組みがわかりますか。数学のいろいろな概念がわかりますか。今日食べた食べ物の生産過程流通過程あるいは調理の方法がわかりますか。高校や大学で教わったことが理解できてますか。たぶん、全然わからないという状況じゃないですか。それって、程度の差はあったにしても、人類の持っている脳や知能の限界の所為で起きていることです。世界をより合理的に理解するのは人類の脳には難しすぎるのです。だけれど、心理的には、人生観、世界観、社会観、人間観を安定的に持っていたい気分があることが多いのです。 
アイデンティティの確立というのは、(自分を何かと関係づけてポジショニングする)&(その位置関係を他者からも認めてもらう)というセットで進むものです。とりあえず、親の◎◎から愛されている・妻の○恵と二児と4人家族を形成・☆★大学卒業・◇▼市の職員・福祉行政のベテランというような関係付けでアイデンティティが安定するなら良いのですが、どうも(そうしたのがうまくいかない、自信が持てない)となると、ヘイトスピーチや※※ファースト、俺は男・男らしくというような方向に走っていく人も出てきます。しかしそうした方向だとあまりにも一時的で頼りない感じになるので、より強固で確固としたアンカリングをしたいという気持ちを持っていた場合、世界原理、人類の創造主、人類全員の救済主、宇宙世界、永遠の支配者、あるいは民族や地域の支配者にアンカーしようとすることが多いのです。 自然の驚異や危険に対する畏怖で終わらず自然信仰から風神、水神、海神、雷神では終わらず、月神、太陽神、宇宙神に進んだり、親に終わらず祖霊、氏族神に進んだり、豊穣に終わらず地神、母神に進んだり、さらに宇宙創造神、万物の創造神に進んだりするのです。 もちろん、アイデンティティの不安に襲われない人は大勢います。 そうした人にとっては自発的には宗教は必要不可欠なものではないです。 しかし、自分の周囲に宗教を重視する人が多くその中で生活して生育すれば、文化習慣として宗教信条や宗教儀礼を身につけますので、それがhabitusになります。 また、損得勘定というか、その社会である宗教が支配的勢力を持っている場合にそれに積極的にフッキングすること、その宗教の主流の一員として振る舞うことで自分を力あるもの・正義のものとする方略をとるものもいます。
新興宗教だけでなく、伝統宗教の教団や信者団体でも、そうした方略で実績を誇示する目的が重なって、布教・伝道・弘法・宣教・説教や教団の行事への積極荷担をするものも出てきます。 それは宗教でなくても、どのような社会活動、社会団体でもしばしば見られることです。

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「宗教って何? 何故そこまで妄信的に活動出来るの? 自分達の信じる神こそが全能だと疑わない人達… 何が彼らを突き動かすの? 等しく善意から始まった事だろうに、いつのまにか結果ばかりに囚われて…」
これは、自分が理解できない行動などを見聞きしたときに、理解への知的努力をせず、感情的に嫌悪・敬遠・排斥・差別することで、自分の従来の世界を安定的に保とうとする人たちに、しばしば見られる、非知性的・固陋な方が述べる言辞です。
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宗教って何?


 ↑
神とか仏とかの超人間的、超自然的存在を確信し
これを畏敬崇拝する行為と信条。
というのが判例です。



何故そこまで妄信的に活動出来るの?
   ↑
脳科学的にいって、人間の脳はそうできている
のです。
人間は何かにすがりたいのです。
誰かに命令されたいのです。
だから、宗教も出てくるし、独裁者も出て
くるのです。
宗教を盲信してしまうのは、独裁者を盲信するのと
同じ心理です。
どうして、人間の脳はそうできているのかは
判りません。
私見ですが、食物連鎖の頂点にある人間を謙虚に
するためだろう、と考えています。



等しく善意から始まった事だろうに、
いつのまにか結果ばかりに囚われて…
  ↑
どうして人を殺してはいけないの?
これに理論で回答するのは不可能です。
ウイトゲンシュタインもそう主張しています。

しかし、神を持ち出せば簡単です。
神がそう命じたのだ、決めたのだ。

道徳を学校で教えても効果はありません。
中国、韓国の道徳教育は日本の比ではありませんが
結果はご存じの通りです。

新渡戸稲造の武士道にあります。
「お国では宗教教育をしていないと聞きましたが
 ホントですか?」
「ホントです」
「おお! それでどうやって子供達に道徳を教える
 ことが出来るのですか?」
「我が国には武士道があります」

宗教は道徳を教えることが出来る強烈なツール
なのです。
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日本だからこその質問だと思います。


日本という国は、古来より上に人がいて、下に人がいる社会構造で、上の人間は宗教により
覚醒された人間を嫌い、自分の都合のいいように宗教を利用して従属させてきました。

国が宗教教育を行わない理由にも、そうした経緯があるからです。

何故ならば、そこを覆せば世界が変わってしまうからです。誰もが、比叡山延暦寺を疑わない。高野山金剛峯寺を疑わない。
日本の歴史が根底から覆されてしまうのです。
とはいっても、現代の人間が普通に生活する上で、比叡山延暦寺に思いをはせ生きているでしょうか?
高野山金剛峯寺に思いをはせて生きているでしょうか?
殆どテレビなどで流れれば、観光地的な「あぁ、そう言うところがあるんだ。」程度にしか思わないでしょう。
誰もがそうした日本全国にある寺院は、葬儀だけ執り行い悪法を垂れ流している事に気がつかずにいるのです。
諸外国は逆に、国の成り立ち自体に宗教が大きく関わり国を形成しているのですから、無理もありません。
無宗教者を軽蔑したり、入国を拒否される場合もあります。

前置きが長くなりましたが、本題です。

>宗教って何?

そもそも、『宗教』という言葉は明治の初めに用いられるようになりました。西洋のReligionの日本語訳として『宗教』という
言葉が生まれました。しかしながら、この宗教というものは、私共人間に大変大きな影響を与えるものです。
宗教には、思想が含まれ一人の人間の命の奥深くに刻まれ、そこから人間の考えや行動が表れてくるのです。
それはどれだけ著名な人間でも影響され表れてくるものなのです。


>何故そこまで妄信的に活動出来るの?

妄信的かどうかはその人にも依るのではないですか?
逆を言えば、あなたがその事について何も知らないだけなのかもしれません。
何を信じて、何を疑うのかはその人自身の問題なのです。
そして、あなたの質問文ではそれらが明らかになっておりません。
仏教の事なのか、キリスト教の事なのか、イスラム教の事なのか?
それによっては、全く回答が異なるのです。

>自分達の信じる神こそが全能だと疑わない人達… 何が彼らを突き動かすの?

神(仏:仏教では仏)と言っても、その定義は様々です。それは幼少の時から生活や環境などにより
身に付いたのもや、たまたま何かの縁でそうした物に触れ感化されたものもあるでしょう。
恐らく神(仏)と言ったって、その存在を見せる事が出来る、あるいはキチンと説明できる人間は少ない
と思います。という事は、大勢の方はあなたの仰るように妄信者なのかもしれません。
また、併せて言えば、そこには『縁』というものが存在します。簡単に言えばそう言ったものに出会ってしまう
その人の持つ『縁』というものです。もちろん、人間にも善し悪しというものはありますが、宗教にも“絶対的な”善し悪しが
あります。本来、宗教というものは、人間を絶対的な幸せへと導くものです。ですから、自分が『幸せになりたい、今幸せではない。』
と感じているのなら、先ずは自身の宗教を疑うべきなのです。これは人間にとって実は一番大切な要素なのですから。
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