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今から79年前の、1941年10月30日の、海軍大臣、嶋田繁太郎の変心によって太平洋戦争の開戦が決定されたようなものです。

この嶋田繁太郎と言う人物「むろん自決してお詫びはするが」と言うてますが、口先だけ。

戦後も腹も切らず、おめおめと生き残り、日本を敗戦に導いた最重要人物であるにも関わらず、死刑を逃れ、死刑を逃れた事を知ると、他の死刑判決を受けた戦犯たちの前で高笑いをして、他の死刑囚を悔しがらせた人物です。

嶋田繁太郎のような人物に日本は敗戦に追い込まれたのかと思うと悲しく成りますね?
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https://blog.goo.ne.jp/tatu55bb/e/05cd8fef89cadc …
海軍大臣嶋田繁太郎 嶋田の決心
2019年02月11日 | 歴史を尋ねる
 10月30日の連絡会議が終わって、突然、嶋田海相が決心を翻した。「今日まで事態を静観してきたが、いよいよ最後のところに来た。今の大きな波は、到底曲げられない。結局、開戦になるだろう。現状からみれば、アメリカはいつ起って先制してくるかもしれぬ。そうなれば、日本の作戦は根本から破れ、勝ち味はなくなる。この際、海軍大臣一人が戦争に反対したために時期を失ったとなっては、申し訳ない。むろん自決してお詫びはするが、そんなものは何の役にも立たぬ。適時、決心すべきである」 開戦反対から、開戦やむを得ぬと旗印を換えた。そして、必要とする物資の優先配給を受けたいと言い出した。
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https://honto.jp/netstore/pd-review_0625281846.h …

無能力にも拘らず、海軍大臣にまでなり、死刑にならなかったことを大喜びし、戦後身を消して、何も語らず92歳まで天寿を全うした嶋田繁太郎も印象深い。

A 回答 (2件)

現場経験を殆ど持たないままに、言葉と空気を読む力だけで、山本五十六と井上成美を押しのけて海軍大臣まで上り詰めた。


陛下に媚び、東条に媚び、米軍に媚びて、天寿を全うした。

今でもこういう人は居るけど、まあある意味大した人物だと思いますなあ。
ここまでやられると、むしろすがすがしささえ感じますよ。
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嶋田繁太郎氏がどういう人か存じませんが、日本を戦争に追い込んだのは日露戦争の戦勝と国際連盟脱退を喜んだ日本人の馬鹿さ加減と出世を喜んだ軍人たち(最近で言えば国家公務員たち)でしょう。

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