プロが教えるわが家の防犯対策術!

ニーチェ論において次のような課題つきの回答をもらったところ その次にかかげるような応答をしました。
 
この問答そのものを主題として問いたいと思います。
 
無条件に自由にご見解を述べておしえてください。


◆ 《或る回答》 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ニーチェの思想に対抗するなら
ソクラテスの思想になると思います。

α 「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだというのだ。」

この「善く生きる」でしょう。

ソクラテスの自殺。

もしくは無理やり仏教の話題を出すなら
ブッダである、サーリプッタの自殺。

長生きしたゴータマ・シッダッタよりは
サーリプッタのほうが、生への執着を断っていると思います。

このヨーロッパとインドの自殺。

善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。
さすがアイロニーの使い手のソクラテス。

結論が自殺なんですから。
ソクラテスの思想は難しいですね。


☆ 《応答》 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おおきな主題を投げ入れてもらいました。

てめえで考えよというところも 結果的にあるようですが それはわたしはいぢわるですからハッキリと言っておきますが
◆ 善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。
◆ ソクラテスの思想は難しいですね。
☆ というふうに触れておられるからには ご自身もこの主題を立てつつさらに問い求めるという姿勢でいられるものと思います。

そうですね。ボールはこちらのコートに入ったからには これはねじり鉢巻きで打ち返さねばなりませんね。




1.ニーチェにおいて《生きる》とは? ソクラテスの《善く生きる》とは?

● (渡邊二郎:補論 ニーチェ――生きる勇気を与える思想)~~~~~~
もうひとつ 『悦ばしき知識』におけるニーチェのもっと恐ろしい言葉を掲げよう。
 
     ☆註 《もっと恐ろしい》:この議論は次の《恐ろしい言葉》の
       指摘のあとを承けている。
   
      β 《小さな復讐は たいていの場合 まったく復讐しない
        ことよりも なにかいっそう人間的なものである》
        ( Eine kleine Rache ist zumeist etwas Menschlicheres
        als gar keine Rache. )
         (『ツァラトゥストラ』I 《まむしのかみ傷》)
 


《生きる( Leben )》とは 何かと言えば それは
  
γ 《死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》
  ( fortwaehrend Etwas von sich abstossen, die sterben will )

である。したがって

δ  《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》
  ( grausam und unerbitterlich gegen Alles sein, was schwach
   und alt an uns, und nicht nur an uns, wird )

である。それゆえ《生きる》とは

ε  《死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を持たないこと》
  ( ohne Pietaet gegen Sterbende, Elende und Greise sein )

ではないのか それなのに 老いたモーセは 

ζ 《汝 殺すなかれ!》

と言ったが それは矛盾ではないのか と ここでニーチェは仮借なく鋭鋒を振りかざして しかも問題の矛盾点を指摘したまま ぷっつりと断想を打ち切ってしまうのである(『悦ばしき知識』26)。

   (渡邊二郎編解説:『ニーチェ・セレクション』 2005 pp.302 )
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

解説者の言おうとするところは ニーチェが恐ろしく過激な言い回しを用いているが 真意はそこにはない。なのでしょう。
 
そう見ておいて たしかにニーチェも《生きる》ことについて考えを述べていると捉え得ましょう。

回答者さんの主眼点は しかももしたとえそのような定義から成る議論を受け容れたとしても なおその上に問題は《善く生きる》という主題がわれわれ人間には持たれているのだ。にありましょうか?

◆ α 「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだというのだ。」


 
2. 《善く生きる》には 《自死》を避けることがむつかしいか?

しかも・しかも 《善く生きる》とき人は この人間の社会にあっては《自死》というかたちを取ることさえあるのではないか?
 
いわゆる《アース役》を超えるか? アース役の向こうへすら行ってしまって それを超えるか? の主題でもあるようです。


2-1. 幼い時からの親友でゴータマ・ブッダの同輩弟子であるマウドゥガリヤーヤナ(モッガッラーナ)が死に臨むとき シャーリプトラ(サーリプッタ)は 《 γ 死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》をせずに 自死をえらんだのか?
 
それとも そのときには《 ε 死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を持たないこと》を実行し その考えをみづからにもおよぼしたのか?
 
あるいは もうそのときには じゅうぶんこの世を見たのだ じゅうぶん過ぎるほどわれは生きたと捉えたということなのか?

 
2-2. マウドゥガリヤーヤナにしても かつて間違った考えを持った人たちにそのマチガヒを指摘したことの恨みを買って とうとう反撃を受けたとき それは 受けねばならないとさとって暴力に甘んじたというのは シャーリプトラと同じような心境だったのか?

 
2-3. それにしてもゴータマ氏は 自分の寿命のことについて話をしたとき弟子のアーナンダがそうではなくもっと説法をつづけてくださいと言うべきところを言わなかったというそのことを うらみつつ 死地に就いた(『大パリニッバーナ経 ブッダ最後の旅』)。

寿命を延ばすことも出来たが アーナンダの振る舞い(無反応)があったから もう生き続けない・つまり自死をえらんだ。というのかどうか。の問題。

 
2-4. おそらくアブラハムが長子イサクをいけにえにささげるという考えを持ったとき 大錯乱に落ち入り迷いに迷った挙句に得た結論:

η 《人は他人(ひと)をもおのれをもころさない》。

――理屈抜きと言うべきか。公理と言うべきか。これが 人間の自由だと言うべきか。
 
ちなみにモーセはこのアブラハムの心なる《非思考の庭(――信仰なる動態――)》に火花を散らしたヒラメキの中身を:

ζ 《なんぢ ころすなかれ》

と言いかえたのである。倫理規範としたのだ。このオシへなる形態(思考)とシンジルかたち(非思考)とは別である。

 
2-5. ソクラテスの場合は けっきょく自分の弟子にあたる人間ふたりがアテネの町に害を及ぼしてしまった。人びとはその教師ぶりをうたがってとがめた。

    ☆ 弟子ふたり:《ペロポネソス戦争で講和を破って戦争を再開した挙句、
       敵国スパルタに亡命し、アテナイの敗北を招いたアルキビアデス
       や、その後の三十人政権の指導者となったクリティアス》
       (ヰキぺ:ソクラテス § 2.3 裁判と刑死 )


ソクラテスは――先ほどのマウドゥガリヤーヤナの場合ではないでしょうが―― このような自分の仲間としての弟子たちにしろ一般の市民たちにしろその咎めを受け容れ死刑のさばきにも甘んじた。のであろうか?
 
おそらく《善く生きる》にしろ《生きる》にしろ アテネの町の人びとにおいてさらにさらに熟慮を持ち得たであろうのにそれを 自分としては 打ち切ったのだろうか? それとも 熟慮は ただの先送りになるのか。


 
3.
● δ 《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》

☆ これは 《あらゆる弱化するもの 老化するもの》というのは 《歳を取ることにおいていわゆる自然に反する考えや振る舞いをおこなうことがありそれによって人間関係のあいだにシガラミを増し加えるかのごとく現われて来るその老弱化》であると採ればよいかも知れない。

つまり《者》つまりその老化する人間に対して《残酷で仮借ない態度を取る》のではなく そうではなく 要するに考えと行動について自然(ないし人間の自由)に反するようなマチガヒに対して容赦なくこれを捨てるということ。

そのマ(間)の違いをおのれの内面において捉えこれを自然本性への違反として(ないし人間の自由の侵犯として)みづから批判しこれを内的に棄てるということ。であればよいかも知れない。



4.
《生きる》ないし《善く生きる》のささやかな議論でしたが [2]は課題として述べて立ち止まり思惟をなお残しております。そのおあとがよろしいようで。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ なお 質問者のコンタンは 二-チェを――その発言にオブラートをかぶせたりしていますが――批判するところにあります。

質問者からの補足コメント

  • №4つづきです。

    ★ 口で怒るにしても、話して解る子は!
    そもそも、悪さはしないもんなんですけどね
    ☆ 子どもについては 或る程度の怖さを示すことはありではないかと思います。その子の一生について責任を持つというような心も必要でしょうが。

    高校生からは 話し合いが100%になるかとも感じますが。



    ★ ~~~
    自己犠牲てな話に戻して

    アメリカの大統領選挙での
    内部告発なんて

    公平性を取り戻すための
    自己犠牲からの告発なのか!
    トランプ側のやらせなのか!

    色んな噂が飛び回ってるけど

    個人的には、純粋な自己犠牲からの告発だと思いたいですね
    ~~~
    ☆ 初発の心は そうなんでしょうね。とは思います。あとは カラクリが待っている・・・かも。

    ★ ~~~
    自己犠牲からの告発なんかなぁ~

    策略のひと幕なのか
    ~~~
    ☆ となるようですね。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/11/12 10:58

A 回答 (5件)

続くですね


(  ̄▽ ̄)にっこり
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この回答へのお礼

つづきは 補足コメント欄です。どうぞ。

お礼日時:2020/11/12 14:42

ゆずりあいの精神



体罰や暴力はあったけど
そのぶん、慰めや労りも!
粗暴な人も居てて
優しい人も居てる

全体でバランスが取れてないと
集団として機能しないですもんね


軍隊てなはなしだと
突拍子もない話におもえるけど

同じ人間だからこそ
解りたい気持ちと
解らない気持ちと
ぶつかりあったんだとは
想像出来るんですけど

あくまでも、想像の世界で
飢えと貧困と外敵と
かなり苦しい時代だからこそ
連帯感がうまれたのか!
同調圧力に支配されたか!

そういった見方より
戦争反対!暴力反対!
愚かな行為

てな話で、思考停止されてしまってるのが!

個人的には不快なんですよね

タブーてな話題にはなるけど

だれが、なんの為に、タブーにしたのか?

( ̄~ ̄;)

ワシは右の思想も!左の思想も!持ってなくて

当然、戦争での!軍事行動での!
物事の解決はまったく望まないんですけどね

でも、最終的には暴力が支配してる側面もあって

必要性はないけど
必要ではある
( ̄~ ̄;)うまい言葉が見付からないですよ

ワシは46歳で、bragelloneさんより
かなり若輩者なんですけど

ワシが育った、昭和後期なんかだと
体育教師や教育主任なる先生方が
竹刀を手にして、指導に竹刀を多用された時代ですよ

女性の先生でも
ビンタや平手打ちは
あったのが当たり前で

怒るときは怒る

でも、誉めるときは誉める

みたいな環境だったとは思いますよ

現代だと、親が子供を躾をするにしても
暴力だの体罰だの

頭のひとつもはたけないみたいで

( ̄~ ̄;)困るだろうなぁ~

口で怒るにしても、話して解る子は!
そもそも、悪さはしないもんなんですけどね

この前、教師の体罰みたいな話が
動画に取られて
YouTubeに晒されたりして

その動画の前後が足りないから

暴力反対!体罰禁止!
みたいな先導がみうけられて

なんだかなぁ~( ´-ω-)y‐┛~~

善し悪しが判断出来ないよ

現代の日本なんかだと
色々感じる事はありますよ
町中を仕事で配達してても

殆どの人が、町中でも
スマホに夢中で!

他人の行動なんか、まったく気にもしてない感じがありますよ

戦前、戦中、戦後
良くも悪くも
連帯感や、同調圧力
つよくあったのは事実なんですけど

今の次代だと、現実の連帯感って
殆ど失われて

没個性なのか!スマホに忙しいのか!

個人主義なのか?

利己的なのか?

そうなるように、社会に求められてるのか!
そうなるように、社会を造り上げてるのか!

日々、些細な事柄を考察したりしてますよ

自己犠牲てな話に戻して

アメリカの大統領選挙での
内部告発なんて

公平性を取り戻すための
自己犠牲からの告発なのか!
トランプ側のやらせなのか!

色んな噂が飛び回ってるけど

個人的には、純粋な自己犠牲からの告発だと思いたいですね

郵便局員が、消印の日付改竄を、上司から指示されたと
無効票を有効票にするための
不正な工作が行われた
なんてな話も

相手側陣営を陥れるための謀略とかって
( ´-ω-)y‐┛~~

郵便局員は、内部告発したから
当然解雇されてしまい

解雇されるのを解ってての告発だからこそ

自己犠牲からの告発なんかなぁ~

策略のひと幕なのか

疑ってしまう時代に
なにかしらの不安なんかも感じますね
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

★ ゆずりあいの精神

★ 体罰や暴力はあったけど
そのぶん、慰めや労りも!
粗暴な人も居てて
優しい人も居てる
☆ 上に立つ人で優しい人は とうといですね。


★ 全体でバランスが取れてないと
集団として機能しないですもんね

★ 軍隊てなはなしだと
突拍子もない話におもえるけど
☆ 戦前・戦時中には 戦後とは違った雰囲気があったんですかね。あるいは ひょっとしてあまり変わらないのか。そこんとこは おもしろい問題かも。


★ 同じ人間だからこそ
解りたい気持ちと
解らない気持ちと
ぶつかりあったんだとは
想像出来るんですけど
☆ これは 大きいでしょうね。とにかく初めての経験でまじめな人は よく考えると思います。あの真面目な人が 上官になって あそこまで変われるのかなどとという場面があったかと。


★ あくまでも、想像の世界で
飢えと貧困と外敵と
かなり苦しい時代だからこそ
連帯感がうまれたのか!
同調圧力に支配されたか!
☆ あぁ 現場ではもう問答無用にまでなるでしょうね。ドラマでしか知りませんけれど。


★ ~~~
そういった見方より
戦争反対!暴力反対!
愚かな行為

てな話で、思考停止されてしまってるのが!

個人的には不快なんですよね
~~~
☆ あぁ ですから 権力の体制への嫌悪・批判から その反動としてのように 何が何でも全面対決の姿勢になってますよね。いわゆる野党の《反日》派勢力。



★ ~~~
ワシは右の思想も!左の思想も!持ってなくて

当然、戦争での!軍事行動での!
物事の解決はまったく望まないんですけどね
~~~
☆ はい。

★ でも、最終的には暴力が支配してる側面もあって
☆ ですね。中国共産党などは そうだろう 民主主義では解決方法がやはりないだろう? と言わんばかりですねぇ。



★ ~~~
ワシが育った、昭和後期なんかだと
・・・

女性の先生でも
ビンタや平手打ちは
あったのが当たり前で

怒るときは怒る

でも、誉めるときは誉める

みたいな環境だったとは思いますよ
~~~
☆ なるほど。共同体を生きるというような。同じ日本社会を生きるといった共生感があったんですね。これは わたしの世代でも感じていたと思いますよ。そして かなり変わってきました。



つづく

お礼日時:2020/11/12 10:57

あの時代の帝国主義に


体罰や暴力は
あったとは思うけど

体罰や暴力を差し引いても

思いやりや、労りなんかもあったのは事実みたいですよ

今の時代では
体罰や暴力が減ってはきたけど
そのぶん、他者への思いやりや労りも
減ってきてそうで
( ̄~ ̄;)
自己犠牲なのか!
犠牲を強要されたのか!

ここら辺の解釈になると
個別、個別で感じ方がちがって

定義付けは難しそうですね

玉音放送をきいて
同士と一緒に
敵軍目掛けて飛び立った
海軍将校なんかは

戦後の裁判では
有罪だと
判決されたとか
( ̄~ ̄;)



何の為に生きて
何の為に死ぬのか

現代人のワシの想像力では
想像出来ないから
己の無知を痛感してますよ
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この回答へのお礼

★ ~~~
あの時代の帝国主義に
体罰や暴力は
あったとは思うけど

体罰や暴力を差し引いても

思いやりや、労りなんかもあったのは事実みたいですよ
~~~
☆ 《ゆづりあひ》の精神と呼んでいます。基礎に底流にながれていると思います。



★ ~~~
今の時代では
体罰や暴力が減ってはきたけど
そのぶん、他者への思いやりや労りも
減ってきてそうで
( ̄~ ̄;)
自己犠牲なのか!
犠牲を強要されたのか!

ここら辺の解釈になると
個別、個別で感じ方がちがって

定義付けは難しそうですね
~~~
☆ 行き過ぎがかなり抑えられ防がれて来ているんでしょうか。そしてその内実は どうか? 学校や職場の現実に わたしは うといです いま。



★ ~~~
玉音放送をきいて
同士と一緒に
敵軍目掛けて飛び立った
海軍将校なんかは

戦後の裁判では
有罪だと
判決されたとか
( ̄~ ̄;)
~~~
☆ なるほど。降伏をみとめようとしなかった人たちがいたということですね。将校がみなと一緒に行動に出たんですね。

いろんな事態が引き起こされていますね。



★ ~~~
何の為に生きて
何の為に死ぬのか

現代人のワシの想像力では
想像出来ないから
己の無知を痛感してますよ
~~~
☆ そうですね。子供のころはよく もし自分が戦争に出ていたら・・・という想像に駆り立てられました。昭和21年うまれですから。

ぜったい生き延びるというのか。・・・

けっきょく・おそらくすでに死んだという覚悟でのぞむことになったんだろうなぁとは思ったようです。そう言えば その後そういう想像から或る意味で遠い生活を送って来たわけですから たしかになんも知らん状態にある・・・のかも知れません。世界がそうなればいいわけですが。

お礼日時:2020/11/12 09:04

無実の罪でも


疑いをかけられた事実から
逃れたかったのか?


命を粗末にしたのか!

自分自身の生き様!死に様!

この時にありと!

悟ったのかも知れないですね

全体主義から考えると
自殺なんかは、受け入れられない話だけど
個人主義からしたら
だれも、なにも、言えないのが事実なのかと思いますよ

大戦中の、日本軍の万歳突撃や!玉砕攻撃!

あの時代では善いとされてて

今の時代では、諸悪の根元みたいなはなしですけど

あの時代に、あのように生きた先輩がいてるから
現代があるので!

ワシの個人的な意見だと
諸悪の根元てのは
言い過ぎだとおもいますね

でも、喜ばしいことでもないですけどね
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 無実の罪でも
疑いをかけられた事実から
逃れたかったのか?
☆ ん? その事実――ここでは 弟子の不始末――をむしろ直視した恰好なのではないですか?


★ 命を粗末にしたのか!
☆ ええ。わたしの感覚ですが 弟子の或る種の罪を背負うにしても 存在の抹殺という極限までの責任を取ることもないのでは? と思います。


★ ~~~
自分自身の生き様!死に様!

この時にありと!

悟ったのかも知れないですね
~~~
☆ 悪法も法なり なおざりにすべからず ですか。


★ 全体主義から考えると
自殺なんかは、受け入れられない話だけど
個人主義からしたら
だれも、なにも、言えないのが事実なのかと思いますよ
☆ ん? 個人の自己表現の自由にもとづくならば 発言することまでは完全自由ですよ。



★ ~~~
大戦中の、日本軍の万歳突撃や!玉砕攻撃!

あの時代では善いとされてて
~~~
☆ ううーん。わたしは よほど天邪鬼に出来ていて やはりクウキ――同調圧力――のなせるわざではないかと。

天皇陛下ばんざーい なんでしょ? 現人神だと信じた振りをしただけではないかと。おかあさんへの思いのほうがつよかった。


★ 今の時代では、諸悪の根元みたいなはなしですけど
☆ いや。無知からですよ。思想を神としてあがめるそういう偶像崇拝なる宗教形態。人間は この種の擬制にイチコロだという習性があるのでしょうか。

これを批判する側も ただただ《神なんているものか。クソッタレ》と愚痴るだけです。能がない。

兵士として上官からビンタをくらうとき われわれは一人ひとり天皇陛下の赤子であります その赤子をむやみに殴ってよろしいのですか? とでも抵抗するとよかった。


★ あの時代に、あのように生きた先輩がいてるから
現代があるので!
☆ クウキ論ひとつでも 反省の上に成り立っていますが たとえば社会が二階建て構造になっていることについて 空中庭園なるお二階とは いったいどういう人間の存在形態に成りがちか? などの思索を哲学はやるべきです。

アマアガリ・シンドローム。
アマテラス予備軍症候群。(お上意識=お二階崇拝→その反動として《反日》)。

★ ~~~
諸悪の根元てのは
言い過ぎだとおもいますね

でも、喜ばしいことでもないですけどね
~~~

お礼日時:2020/11/12 05:09

善く?生きれば「自死」も有り。



三島由紀夫とか。
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この回答へのお礼

そうですか。どうですかねぇ。


ご回答をありがとうございます。


☆☆ ~~~
2-4. おそらくアブラハムが長子イサクをいけにえにささげるという考えを持ったとき 大錯乱に落ち入り迷いに迷った挙句に得た結論:

η 《人は他人(ひと)をもおのれをもころさない》。
~~~
☆ これをわたしは堅持したいです。書いたように理屈抜きにですが。証明できないんですが。



あぁ そうですね。死んで花実が咲くものか。とは 昔から言いますね。つまり 主体が亡くなれば 自由の可能性が消えてなくなりますから。――この理屈からですね。

お礼日時:2020/11/10 19:50

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