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 例えば、ウサギとカメが競争するとします。でもうさぎの方が早いのでハンデとしてカメはゴールまでの地点の半分からスタートするとします。両者同時にスタートして、ウサギがカメのスタート地点まで移動したときカメはまだウサギに追いつかれません。次にウサギから見て今前方にいるかめの位置まで移動したとき、かめはこの間にまたわずかにゴールに近づいているのでまだうさぎには追いつかれません。・・・・・これを繰り返し考えていくと前を走っているカメにうさぎは追いつけないことになります・・・・。間違っているのは分かるのですが、どういう考え方が間違っているのか、分かりません。分かる方おりましたら、分かりやすい説明の方をよろしくお願いします!

A 回答 (14件中1~10件)

簡単に考えるのなら、ウサギが亀に追いつく地点を計算で求めれば、それ以降はウサギが前になるのですが、質問はそういう事ではなくて、「ウサギと亀」のパラドックスを理論的に間違いだと証明したいという事なのですよね?



考え方としては、ウサギが亀に追いつけば追いつく程、時間が細分化されるというところまではわかりますね。

そうすると、条件として無視される部分が出てくるのです。

まず、一つ目の考え方。
それは、亀の行動(一歩)にかかる時間です。
亀は一歩前に踏み出すまでは移動していない事になります、その間にウサギの行動(一歩)が完了してしまいます。
これは理解できますかね。

つまり、ウサギが亀の位置まで動いても、亀は行動を完了出来ずにいるという瞬間がきてしまうという事になり、「ウサギが亀の位置まで移動する間に亀は先に進んでいる」という問題文自体が間違いだという事になります。

そこで、二つ目の考え方。
それは、一歩の長さです。
ウサギが亀よりも早いのであれば、一歩にかける時間が早いか、一歩の幅が長いことになりますね。

そこで問題をもう一度考えて見ましょう。
ウサギがどんどん亀に追いついていきますね。
すると、殆ど並んでいるのと同じ状態になります。(あくまでも亀が前ですが)
そこで、お互いが一歩ずつ同時に踏み出せばどうなるでしょうか?
ウサギも亀も同時に行動し、行動し終わった時点ではもうウサギの方が前にいることになります。
もし、ウサギが永遠に亀に追いつけないのであれば、ウサギも亀も最後には一歩が完了しないという事になります。
つまり、このパラドックスはウサギも亀も動きつづけても尚、ウサギが亀に追いつけないのではなくて、ウサギも亀も最後の一歩を永遠に終わらせされないでいる問題だという事になり、やはり「ウサギが亀の位置まで移動したとき」という問題自体が成り立たないという事になります。

このパラドックスの誤りは、ウサギや亀の行動(一歩の長さや一歩にかかる時間)という条件を無視して、時間や距離と同じように永遠に細分化していけるかのように文章を作っているという事です。

こんな感じでどうでしょうか?
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。数学とはまた違う現実に起こることとこの問題文を照らし合わせて誤りを見つける新鮮な考え方のように感じます。ウサギが亀よりも早いのであれば、一歩にかける時間が早いか、一歩の幅が長いかのどちらかというのは、本当にその通りです。この点に着目すると・・・なるほど、解答してくださった通りです。問題文の誤りが本当に分かります!こういう考え方(1歩にかける時間が早いか、1歩の幅が長いかのどちらかに着目し双方から矛盾点を見つける)は、したこと無かったんでただただ納得するばかりです。ありがとうございました。すっきりしました。

お礼日時:2005/02/09 01:10

この問題の回答は数学でこたえるか哲学でこたえるかで違ってきます。


数学の扱っている問題は現実の世界ではなく、現実の世界を抽象化して得られる数学的世界です。
そこでは定義の仕方によりこの問題そのものが無意味になるように設定されます。または実際にも追いつけなかったりする。位相のいれかたでいずれにせよ矛盾なく解決できます。
哲学や物理学のあたりで考えると、そもそも点とか線とかいうものもかならずしも実在ではありません。だから「特定の点を無限に通る、というのはそう考えている、というだけで現実の世界の『点』を考えているのが実は矛盾の原因のひとつだと思われます。
この辺が論理の欠陥ですね。現実世界とそれを論理化、あるいは数学化した世界を混同しているのです。
いわば運動の現実を適切ではないモデルで考えているからだ、ということです。
では適切なモデルとは、というと数学・論理学・哲学それぞれに答えが出ています。
たとえば数学の答えは
「無限のパラドクス」(足立恒雄 著、ブルーバックス)などがあります。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。私自身理系出身なので哲学のことはよく分からないのですが、『点』を考えているのが実は矛盾の原因といのはなんとなく納得できます。適切なモデルの答えはそれぞれの分野にあるのも混乱する原因なのかもしれません。勝手に自分の思い込みを挿入してしまいますもんね・・。「無限のパラドクス」面白そうな本ですね。後で検索してみます。ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/10 01:00

追いつけないのは、いつまでですか?


それともどこまでですか?

(A)「ウサギが亀に追いつく時間、もしくは追いつける距離」までは、ウサギが亀に追いつけないのは当たり前です。

「いつまで」「どこまで」という仮定を書かずに曖昧にしているのが混乱の原因ですが、実際には(A)の仮定があるので、何も間違ってはいません。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。そう、正に通りだと思います。皆さんの解答を読んで納得しました。いつまで、どこまで確かに書いてないですもんね・・だから勝手にゴールするまで永遠にと決め付けてしまって・・・それが混乱の原因でした。

お礼日時:2005/02/10 00:42

ゼノンのパラドックスには、あと2つあります。

(本当はあと3つだけど、有名なのは2つ)

・物体は動かない(分割のパラドックス)
動く物質は、始点から終点まで移動する間に、必ずその中間点を通らなければならない。
その中間点まで移動する間に、またその中間点を通らなければならない。
直線は無限の点のつながりなので、通らなければならない点も無限にある、よって、物体の移動には無限の時間がかかる。
故に物体は移動しない。

・飛んでいる矢は止まっている(跳矢のパラドックス)
飛んでいる矢も瞬間的には一定の位置にいる、つまり瞬間は止まっている(写真などで瞬間を切り取ると動いていない)、つまり瞬間の移動距離は0である。
移動は瞬間の無限の繰り返しであり、0をいくら繰り返しても0である。よって飛んでいる矢も実は止まっている。

アキレスと亀(ウサギと亀)も同様で、ゼノンのパラドックスは「有限」を「無限」に分割する事に主眼を置いています。
これは確か、哲学的に万物の根源は1であるか多であるかという論争から作り出された話ですので、数学的には解けませんし、数学的にとくことを目的とした話ではありません。(現実には起こりえない話ですから)
あくまでも、哲学的に無限とは何か、万物の根源とは何かという事をテーマに取り組む問題だと思います。

ちなみに、この問題が出されたのは2500年ほど前の事です。
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この回答へのお礼

追加解答ありがとうございます。最初に解答して下さったことを、深く言い換えるとその通りだと思います。飛行体同士の競争が例であがっていたら、もっと早くイメージできたかも!?しれません。この問題は2500年も前に出されていたんですか!?人間の思考の深さってやっぱり凄いなと改めて思いました。

お礼日時:2005/02/10 00:51

これは「追いつかれるまで」を細かく刻んでいる話で


常にその「追いつかれるまで」という条件下で話をしています。なので追いつけないんです。

ゴールにたどり着くまで、ではないので、
ゴールにたどり着くまでの話になれば
ウサギは十分早ければ勝てるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。追いつかれるまでという条件下での話しというのは、何とか分かります。追いつかれるまでという条件が自然に導入されてしまうのはどうしてなんでしょうかね・・・?

お礼日時:2005/02/09 00:27

No,6の補足です。



このように、質問のような考え方だと、(111.111……のように)ある決まった長さまでしか考えることができないので、抜かないようにみえるだけなのです。
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この回答へのお礼

追加解答ありがとうございます。決まった長さまでしか考えることができない(無限等比数列の和が収束すする値orかめとうさぎが並ぶ地点)というのは、とても納得しました!具体的に数値化することって大事ですね。

お礼日時:2005/02/09 00:48

 単なる言葉の遊びです。



 物理的にも、数学的にも一定時間で追い抜くという厳然たる事実が先にあります。

 追い抜くまでの過渡的な現象をいつまで言い続けてもきりがないというだけのことです。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。物理的にも数学的にも追い抜くという事実は分かります。矛盾箇所を明確にできないことにすっきりしない感が残ってしまうんです・・。

お礼日時:2005/02/09 00:32

かめと同じ速さで動いている人の視点に立って考えると、



ウサギは
(ウサギの速度)ー(カメの速度)の速さ

でカメのほうに迫ってくるように見えますよね、そしてこの人から見るとカメは止まっているのと同じ。

止まっているものは自分の方向に動いているものに必ず追い越されますから、カメは必ずウサギに追い越される

って感じなのかな。。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。そうです。相対速度で考えればウサギがかめを追い越すのは明らかにわかりますよね。しかし問題の文章に執着すると書いてあることは正しくてどこが矛盾しているのかが分からなくなるんです・・。

お礼日時:2005/02/09 00:23

たとえば、イメージで言うと、



10+1+0.1+0.001+… を無限に計算しても、11.111……となり、いつまでたっても12にはなりません。

ウサギとカメも同様に考えると、
ウサギかカメの10倍の早さだとします
カメがウサギより100メートル先にいるとします。
ウサギが100メートル進んだとき、カメはさらに10メートル先にすすんでいます。
さらに、ウサギが10メートル進んだとき、カメはさらに1メートル進んでいます。
さらに、ウサギが1メートル進んだとき、カメはさらに0.1メートル先に進んでいます。

このようにして考えていくと、
ウサギが進んだ距離は111メートル。
これから先も考えいっても、
進む距離は111.11111……メートルとなり、
いつまでたっても、ウサギがカメを抜くために必要な距離に達しません。



参考URLも見てください

参考URL:http://www2.plala.or.jp/kamkamkam/gimon/no6/kame …
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。URLまで貼ってもらいありがとうございました。具体的に数値を入れて考えて見ると正に解答してくださった通りです。微小区間に視点が誘導されているというのも納得できる気がします。でも実際は移動距離はかめ、うさぎともに微小区間ではなく普通に1m、2mと刻みゴールに近づいているんですよね!?なんかここに矛盾を感じます。大分すっきりしました!

お礼日時:2005/02/09 00:44

理論上、一秒は何分の一にも分ける事が出来ますが、実際の時間は必ず流れます。


「アキレスと亀」の理屈は、時間の流れをどんどん細かくして「追いつけない」訳ですが、実際時間の流れは容赦なく過ぎ去り、亀はある点を超えて追いつき、追い越される訳です。亀が追いつかれない状況の観察を続けて時間をゆっくりしてしまうと、明日がいつまでたっても来ません。
1mの三分の一は33.3333....cmで理論上いくらでも細かく出来ますが、実際は「ある点」できちんと三等分出来るのと一緒です。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。時間や移動距離はカウント始めたところから終える所まで、理論上無限に分割できるのですが、実際容赦なく過ぎ去ります。ここまでは納得できます。でも上手くいえないんですけどミクロの領域に自然に誘導されてしまう感がすっきりしないんです・・。

お礼日時:2005/02/09 00:19

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