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キリスト教の讃えている神は、どんなことをも出来てしまう全能の唯一神ですよね?
どんなことでも出来てしまうのなら、なぜ神様が創った「人」を「罪人」にしたままにしているのでしょうか?
何でも出来るのなら、「人」を神に立ち返らせることなど、すごく簡単なことのような気がするのですが?
なぜわざわざイエスを世に送ったのですか? そんなことをしなくても神様の御業で「人」を統率することができるはずなのでは?全能の神のはずではないのですか? 洗礼を受けようと心に決めていましたが、こんなところでつまづいてしまいました。助けてください。

A 回答 (7件)

哲学的な知性に恵まれている人ならではの大疑団状態を感じます。

私も経験者として貴殿に助言させていただきたい。これは論理の土俵では解決しない。自由意志とか言ったって、罪人である我らは、その自由意志を与えた神の責任をも問うほどに傲慢だから。だから論理では解決しないのです。堂々巡りするばかり。解決の道は唯一「聖なる無知」です。頌栄的思弁停止!これは聖霊の力によるのみ。祈りましょう。貴殿が信仰を与えられている人なら、たとえ理屈では納得できなくても、貴殿の魂が神を讃えずにはおれない。イエス・キリストの存在を抜きにしては生きてゆけない。たとえ神の全能を否定し得ても、貴殿は神への感謝を捨てることなどできないはず。それでよい。それが信仰者なのです。
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罪びとにしたのではありません。

旧約聖書の創世記をお読みなりましたか。イエスは食べるなと命じた。しかし彼らは罪をなすりつけあい食べてしまった。そこに罪というものが発生した。

神様はあなたの言うとおりなんでもできる方ですが、自由意志を尊重するかたでもあります。
キリスト教なんか信じなくてもいいよ。という人には救いを与えません
そうでしょう。はい殺人をおかしました。すくってあげる。というのはおかしいでしょう。
ごめんなさい、あなたを信じるからという言葉があってはじめて救うのですよね

どうか心新たにして前に向かって進みましょうね
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>なぜ神様が創った「人」を「罪人」にしたままにしているのでしょうか?



マフィアとキリスト教の関係は昔から噂されています。
マフィアのお偉いさんが無くなる間際になると、バチカンのお偉いさんがすっとんですっとんで行くとまで言われています。

神が唯一知らないのはバチカンの財産の額というジョークがあります。

バチカンに流れるお金は信者ばかりからではなく、ブラックマネーも流れるのですが、そのままマフィアからバチカンに流れてしまうわけにはいかないので、その間にある組織が仲介して、汚れた金を洗浄する、いわゆるマネーロンダリングをするものがあると言われています。

そのバチカンとマフィアの癒着の噂をより信憑性を持たせたのがP2事件でした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99% …

全能の神がいたとしたら、このような怪しげな癒着の噂は出るはずが無いと私は思うのですが。

全たくの善なるものは神のみだとキリスト教はしています。
究極の悪人とはどんな人か。
悪行をやったのに、人に気づかれず、まったく善行をやっていた聖人だとされた人です。
これが究極の悪人です。

悪行がバレてしまうのなら究極の悪人ではありません。
まったくばれないばかりか、まったく善の人だと思われたまま亡くなり、今も善人だったと言われている人こそ、この世の最悪最低の悪人なわけです。

という事をもう一度考えると、その神は何もしない神ということになります。
不正に関心がなく、悪がはびこっていても知らん顔。
神の存在自体をとても危うくする団体が、神は存在すると言い放つ。
そこに忠誠を誓うことがあなたはでき、不正は両目をつぶり盲信するほどの度胸があると自覚があれば、ただちに洗礼を受けてもいいでしょう。
彼らの支配下ではなく、自分が望む神を探すのであれば、それにそった団体を探すべきでしょう。
深く吟味することを怠った代償は自分にふりかかります。
悪に手を貸すことにもなり、自ら悪を増幅させる力を持っていると自覚して、慎重に吟味した方がいいと思います。
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   ご質問の答えには聖書の根幹を成す重要な事柄が関係しています。



(1)神は宇宙の主権者として正当な方か
(2)人間はいかなる状況でも神に忠誠を示せるか



   神はこれらの肝要な論争に一点の疑問の余地もないような答えを提出するために十分の時間を見込まれました。

  これらの肝要な質問に対する答えを聖書から知ることにより、ご自身の疑問は解消されるように思います。


(1)創世記3:1-6の記述は、サタンがまさに神の主権に異議を唱え、最初の人間アダムとエヴァを神から離反させた時の様子が描かれています。 

   このとき以来神は、人間が、神の主権を退けてサタンの配下で自分たちを治めることによって永続的な幸福を得ることが出来るかどうかを試す期間をお与えになったのです。
   その為に人間は約6000年にわたり様々な自治形態を試みることを許されてきました。

  この故に、神は「み業」によって人間を統制することはされませんでした。




(2)箴言27:11には「わが子よ、賢くあって、わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者にわたしが返答するためである」とあります。
   
   神は、ご自分がが創造した人間に、サタンの誘惑や迫害に面しながらも、愛の動機から忠誠と信仰を示す機会をお与えになられました。
   
   私たちが神に忠誠を示すなら神はご自分を嘲弄する者であるサタンにその主張の誤りについて返答することがおできになるのです。

   このことの故にも神は「み業」によって人間を統制されることはされませんでした。
   
   このことは人間には自由意志が付与されている事の証拠でもあり、神が人間の運命を予め定めてはおられないことの証拠でもあります。


   勿論、神は全能者であられるので、すぐさま「み業」によって反逆したサタンを滅ぼし、人間を統制することもおできになられましたが、それでは(1)(2)の論争の答えは得られないため十分の時間(エデンでの反逆から現在に至るまで)を与えられました。
   
   人間の歴史の結果がおのずとその答えを提出しています。
   
   黙示録16:16に示されているハルマゲドンの戦いにおいて神はその論争に決定的な答えを提出されます。
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私はクリスチャンではない上、キリスト教教義も宗派・解釈によって様々ですから、あくまで個人意見として述べさせていただきます。



> なぜ神様が創った「人」を「罪人」にしたままにしているのでしょうか?

「信じるものは救われる」とも言うように、赦しを請う者は赦されます。「罪人にしたままにしている」訳ではありません。

> 何でも出来るのなら、「人」を神に立ち返らせることなど、すごく簡単なことのような気がするのですが?
> なぜわざわざイエスを世に送ったのですか? そんなことをしなくても神様の御業で「人」を統率することができるはずなのでは?

「神に立ち返れらせる」の意味が図りかねますが、これは人に「自由意志」を与えているからではないでしょうか。
人間が神の意思のままに動くのであれば、天使と何ら変わりがなくなってしまいます。それでは完璧な「ロボット」です。
そうではなく、神は人間に「選択」を与えた、「自由意志」を与えた、ということです。だから人間は、神を信じて良き行いをすることもできるし、悪しき行いをもできてしまうと。

とはいえ、この自由意志に関しても、#2 netcatmeさんの言及されている予定調和説などではかなり違った解釈がされていますし、一概には言えないのですが。

いずれにせよ、不完全な人間は、そもそも神の意思を理解することは不可能なのではないでしょうか。

洗礼を受けようと心に決めていらっしゃるとこと、知識のある方に率直に質問してみることをお勧めします。
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この回答へのお礼

大変わかりやすく、ぬくもり溢れるご解答のメールを本当にありがとうございまし
た。
ご解答を拝読し、もう一度創世記を序文を読み返してみました。
そして新約聖書の使徒による書簡等も読み返してみました。
今はまさに「See the light」、私の迷いもつまづきも全てクリアにされたという気持ちでいっぱいです。
心より感謝しています。

お礼日時:2005/02/15 04:46

「主の御心は計り知れない」ということ。


 カルビンの予定調和説では、最初から人間は神が決定したとおりにしか行動しないし、考えもしない、ということになります。洗礼を受けようと心に決めたのも、そこで迷うのも「御心」のまま、救われるべき人間は最後はイエスを喜んで受け入れるはずだという考えですね。
 パウロは、誰を救うかは神が勝手に決めて人の考えなど関係ないが、愛そのものの神は許しを請うものを見捨てない、というようなことを言っています。
 うーん、不条理だ。
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この回答へのお礼

恐らく主は、今回の私のつまずきにも通じておられたのだと今、感じています。こんなにつまずきやすい私をも、神様は見捨てず必ず救って下さるのだと私は信じたいと思います。 ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/15 04:52

キリスト教徒の称える全能の神とは「全能の父」という意味で、父親の愛情が全能という意味で、命を創造し奪うものという概念かと思います。


もし「全能」という概念が唯一絶対の存在であるのなら、自分以外の何者も不要ですから、世界を創造することすらやりません。
世界を創造すれば争いは目に見えてますから、無駄というもので、それを成したと言うことは、そこに神の意思があると考えてよいのでしょう。
聖書でも
「神は、たんに唯一絶対の全能者として、ひとり永遠の孤独の中に蟄居する神ではなく、被造者との交わりを求めてこれを創造する存在」とされております。
神は人間をロボットとしてではなく、魂を持った自立的存在として作った時点で、神の絶対性は縮小し、双方向の物となります。
神とは他者へのかかわりを求める物であり、唯一絶対の存在として超絶的孤立を求めるものではないとお考えください。
「全能」とか、愛の大きさにおいて無限という意味と私は捉えます。

尚、私自身特定の宗教に関心はありませんが、精神は大切にしております。
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この回答へのお礼

大変わかりやすく、賢明なご解答を本当にありがとうございました。

今はまさに「See the light」、私の迷いもつまづきも全てクリアにされたという気持ちでいっぱいです。
そして私の父である神様の愛の想像を絶する偉大さに、今一度驚嘆と感激を覚えました。

今すぐにでも洗礼を受けて、父である神様に立ち返りたいと感じています。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/15 04:56

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