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ミシェル・フーコー『狂気の歴史』冒頭に引用されている、パスカルが言ったらしい言葉「人間が狂気じみていることは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう」とは、どういうことですか?
狂気じみていないこと=理性的とするならば、そういう人間(理性的な人間)もまた、狂気じみている人間から見ればある意味「狂気じみている」ということですか?
「別種の狂気の傾向」というのがうまく解釈できず「???」となっています。。。

A 回答 (3件)

人間は狂気じみていることを免れないので、狂気じみていないように見えることも、ただ狂気の種類が違うに過ぎないのだろう



ぐらいのことじゃないですか。

わかりにくいところは訳が下手ということにしておこう。
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この回答へのお礼

>ただ狂気の種類が違うに過ぎないのだろう

すごくしっくりきました!!ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/04/30 21:05

戦争をしたがる人々と したがらない人々がいれば



互いに相手が狂気じみて見えるんでしょうねえ

なんで戦争をするのか? なんで戦争をしないのか 弱いだけだろう

と賛成運動と反対運動では全く違う結論が出ます

今までは強ほうが攻め込んできたが 今攻め込んでも奪うものなどないし

国際社会の非難は免れないとしています。

互いに相手は狂気じみてると思っっている

学校で習ったことと 職場でやることが違う

やらされるのです 会社の方針や人間関係で

その違いを本気で教えないのは 教育の放棄と言える。

僕は戦争など滅相もないので 戦争をする人の方が余程狂気じみています
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この回答へのお礼

具体例を絡めて説明してくださりありがとうございます!イメージが湧きました。

お礼日時:2021/04/30 21:07

狂気じみている=狂気じみていない



ということですか。
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この回答へのお礼

そういうことですよね。頭ではわかっていても、いざ文字にするとこんがらがってしまいますね…
ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2021/04/30 21:06

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