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「ファラオの娘に見つけてもらって育ててもらうためにモーセをナイル川に流した。」
とありますが、ファラオがイスラエル人を減らす政策をしているのにそのファラオの娘に見つかったら余計ファラオの目にとまる確率が高いと思うのですが、なぜモーセの母はこのように考えたのでしょうか?
政策に反して隠れてイスラエル人の赤ちゃんを育てた場合、親に罰を与えるとかがあったのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • あと、多くのイスラエル人が奴隷としてエジプトで働かされている中で同じイスラエル人であるモーセは何故ファラオと共に生活することができたのですか?

      補足日時:2021/05/15 03:39

A 回答 (3件)

旧約聖書 出エジプト記には、次のように書かれています。


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https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%87%BA%E3%82%A …
第1章
①さて、ヤコブと共に、おのおのその家族を伴って、エジプトへ行ったイスラエルの子らの名は次のとおりである。②すなわちルベン、シメオン、レビ、ユダ、③ イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン、④ ダン、ナフタリ、ガド、アセルであった。⑤ヤコブの腰から出たものは、合わせて七十人。ヨセフはすでにエジプトにいた。⑥そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。⑦ けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった。
⑧ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。⑨彼はその民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。⑩ さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。
⑪そこでエジプトびとは彼らの上に監督をおき、重い労役をもって彼らを苦しめた。彼らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
⑫しかしイスラエルの人々が苦しめられるにしたがって、いよいよふえひろがるので、彼らはイスラエルの人々のゆえに恐れをなした。
⑬エジプトびとはイスラエルの人々をきびしく使い、⑭つらい務をもってその生活を苦しめた。すなわち、しっくいこね、れんが作り、および田畑のあらゆる務に当らせたが、そのすべての労役はきびしかった。
⑮またエジプトの王は、ヘブルの女のために取上げをする助産婦でひとりは名をシフラといい、他のひとりは名をプアという者にさとして、⑯言った、「ヘブルの女のために助産をするとき、産み台の上を見て、もし男の子ならばそれを殺し、女の子ならば生かしておきなさい」。
⑰しかし助産婦たちは神をおそれ、エジプトの王が彼らに命じたようにはせず、男の子を生かしておいた。
⑱エジプトの王は助産婦たちを召して言った、「あなたがたはなぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか」。⑲助産婦たちはパロに言った、「ヘブルの女はエジプトの女とは違い、彼女たちは健やかで助産婦が行く前に産んでしまいます」。⑳それで神は助産婦たちに恵みをほどこされた。そして民はふえ、非常に強くなった。㉑助産婦たちは神をおそれたので、神は彼女たちの家を栄えさせられた。㉒そこでパロはそのすべての民に命じて言った、「ヘブルびとに男の子が生れたならば、みなナイル川に投げこめ。しかし女の子はみな生かしておけ」。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上の出エジプト記には、「イスラエルびと、イスラエルの人々、イスラエルの子孫」という表現と、「ヘブルびと、ヘブルの女」という表現とが出てきます。

「イスラエル人の中で、(しっかり定住して職業を持っているのではなく)、移民や浮浪者の集団を作って生活している人々を、"ヘブル、ヘブルびと"と、旧約聖書を作った頃のエジプトの定住者達は呼んだ」のではないかと思います。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第2章
⑤ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。侍女たちは川べを歩いていたが、彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、⑥あけて見ると子供がいた。見よ、幼な子は泣いていた。彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブルびとの子供です」。
⑦そのとき幼な子の姉はパロの娘に言った、「わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか」。
⑧パロの娘が「行ってきてください」と言うと、少女は行ってその子の母を呼んできた。⑨パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。女はその子を引き取って、これに乳を与えた。⑩その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。そして彼はその子となった。彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわたしが引き出したからです」。
⑪モーセが成長して後、ある日のこと、同胞の所に出て行って、そのはげしい労役を見た。彼はひとりのエジプトびとが、同胞のひとりであるヘブルびとを打つのを見たので、⑫左右を見まわし、人のいないのを見て、そのエジプトびとを打ち殺し、これを砂の中に隠した。
⑬次の日また出て行って、ふたりのヘブルびとが互に争っているのを見、悪い方の男に言った、「あなたはなぜ、あなたの友を打つのですか」。

㉓多くの日を経て、エジプトの王は死んだ。イスラエルの人々は、その苦役の務のゆえにうめき、また叫んだが、その苦役のゆえの叫びは神に届いた。
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この第2章にも、「ヘブルびとの子供」「ヘブルの女」「ヘブルびと」と、「イスラエルの人々」が出てきます。
キリスト教ができる前のエジプトでは、(イスラエル人の中で集団でエジプトに来ている浮浪民=ヘブル)であって、エジプト王は、(イスラエル人の中で集団でエジプトに来ている浮浪民=ヘブル)が増えるのを危険だと思っていたので、ヘブルの男の子を殺害するように命じたのでしょう。 
だとすれば、「エジプトの地位も富も持つ民がイスラエル人を引き取って育てる」のであれば、ヘブルが増えたり、エジプトの危険が高まったりということではなく、構わないのではないでしょうか。

エジプト王としては、浮浪民の集団が増えて社会不安を嫌がったのであって、豊かなエジプト人がヘブル人から養子をもらって育てるのは、奨励はしないとしても、黙認だったのではないでしょうか。
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「ファラオの娘に見つけてもらって育ててもらうためにモーセをナイル川に流した。

」という記述は、どこから出てきたものでしょうか?

この話のオリジナルである旧約聖書の「出エジプト記」第2章では、
「女はみごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、三月のあいだ隠していた。しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。」と書かれています。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%87%BA%E3%82%A …

「ファラオの娘に見つけてもらうため」などという動機は、どこにも書かれていませんし、そもそもナイル川に流していません。ナイル川に流したら、拾われるよりも、そのまま流されていって死ぬ確率が圧倒的に高いです。誰かに拾って貰えるように葦の茂みの中に置いたのです。

またモーセを成長するまで育てたのはファラオの娘ではなく、葦の茂みに置かれたモーセがどうなるかを隠れて見ていた実の姉です。ファラオの娘は、子供の実の姉とは知らず、近くにいたモーセの姉に乳母としてモーセを育てるように頼んだのです。ですからモーセはファラオと一緒に生活して成長したわけではありません。元々の一家で生活していたのです。ファラオの娘から乳母としてモーセを育てることを依頼されたというお墨付きがあるから、安心してモーセを育てられるようになったのです。

旧約聖書はネット上で無料で読めるものですから、ご自分でご覧になってください。
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エジプトが、異邦人であるイスラエル人を根絶やしにする為、2才以下の幼児を捉えて根絶やしにする様に、ファラオが、命令しました。


我が子を殺すのに忍びず、そっと葦船に乗せ川に流しました。
さいわい、エジプトの王女が偶然拾って呉れ、王宮で育てられました。
モーゼは成人すると、王宮を出てユダヤ人の指導者になりました
同じ様なことが、イエスきリストが、生まれた後、その時のユダヤの王、ヘロデが、ユダヤ中の2歳以下の子供を全部殺す様に、命令しました。
イエスキリストに、王位をうばわれると、誤解したからです。
今世紀、2021は、キリストが生まれてからの年代を表しています。
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