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なぜ英語ではジーザスクライストやoh my godやholy shitなどスラングではキリスト(神関係)の言葉が多いのですか?

アメリカ人は日曜に教会へ行くなど比較的神への信仰が深いと思っているのですが、下品な言葉にもキリストが使われているのはOKなのでしょうか?

A 回答 (1件)

回答がないので、、、、  


面白い着眼だと思って、どうしてだろうと「想像」したことを書いてみます。

日本語圏では、古代や中世、近世では、「宗教的なこと≒信条や信仰」は「自分の生き方・自分の思想信条」というよりは、「御利益・商売繁盛・戦勝・家内安全・安産・火除・病気平癒・祈願成就・豊作豊漁・降雨」を願う相手や願う方法として、神や仏や布施、供物、お参り・礼拝があったのではないでしょうか。
 
もちろん、地獄に落ちるのを忌避し、極楽往生を願うのに「南無阿弥陀仏」と唱えるのはありました。
この「なむさん・南無三・南無三宝」は、oh,my GodやOh,Jesusのような使い方をしていました。  
https://gogen-yurai.jp/namusan/
今の時代に、「しまった!」、「ヤバ!」というときに「なむさん」という人はかなり珍しいと思います。 でも、近世、江戸中期ならば、ポピュラーでした。
日常生活の中で、『"特定の発音・言い回し・フレーズ"で、"自分と聖なるものとの関係性を象徴する表現"が密接になっている習慣がある』と、『自分が失敗してしまって、マズイことが起きた・マズイことを起こしたというとき』に、反射的に『自分と聖なるものをむつびつけている"特定の発音・言い回し・フレーズ"』を発声してしまうのではないでしょうか。
自分には責任のない突発的自然現象(洪水、竜巻)による被害を見た場合に、「あぁ神様」と叫んだり、祈りのポーズをとってしまうのと、ベースの一部は似ているのだと思うのですが、自分に責任があるとなっている場合、反射的に責任を転嫁する自己防衛本能のようなものが働くと、「ののしることで、自分の心を保つ」方にシフトして、『なむさん、God、Jesus』が祈願の相手ではなく、非難の相手であるかのような発声になるのではないかと、、、、

日常生活の中で、God、Jesus、南無のような短いシブラルで発声するフレーズが信仰の対象と自分の繋がりを強く表象するものとして存在していなければ、責任を転嫁する自己防衛本能が反射的に働いても、「おぉ、」の後には「ノー、大変、ひどい」の他には、「私の所為じゃない」「誰かぁー」くらいしか出てこないのではないでしょうか。

http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/cat_swearw …
「嘆願の呼びかけとして文頭に現われやすいことが,文の他の要素からの独立を促し,間投詞化を推し進めた」というのは、{元々、嘆願・祈願する行為が常習的存在し、その行為では、自分が呼びかける相手の名を最初に唱える}状況がないと、成立しないことです。
私の知っている範囲では、毘沙門天!、天神様!などと最初に唱えてからとううような方法はあまりポピュラーではないと思います。 勝てなくても、合格しなくても、願が適わなくても、その祈願の相手に責任の一半があるとは思わない生活、自分の信仰生活に問題があったとは思わない生活習慣が普通でしょう。 そうならば、反射的に「あぁ、天照!」とか「おー、八幡」、「クソ、阿弥陀」という発声が出てしまうことはないだろうと思います。
せいぜい「こんちきしょう」「くそったれ」「バカめ」のような、自分のことか誰のことか曖昧な発声で終わるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

詳しくご回答ありがとうございます。とても参考になりました。m(_ _)m

お礼日時:2021/05/31 19:37

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