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近年、農民は年貢という形で税金を「物納」していました。

江戸時代の商人の中には、魚屋や茶屋のような小規模の商いをする者から、呉服商や米問屋のような大規模の商いをする者もいました。大規模の商いをする商人の中には、金貸し(金融業)をする者もいました。

このようにして利益を得た商人は、税金を「物納」していたのか、それとも現金で納めていたのか、どちらですか?

A 回答 (6件)

お金で納めていたようですね。


http://wishpafupafu.blog110.fc2.com/blog-entry-1 …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/08/07 19:30

https://cleanup.jp/life/edo/88.shtml

金納にしても、「お上」に差し出していたというものではないようです。

また、川に懸かる橋の補修なども基本的に町任せで、町役人や町の世話役が寄付を割り当てて自分たちでやるような方式でしたから、武士の生活費や遊興費などは村落に割り当てた年貢などで基本的に賄い、特別の徴収が必要になったときに大商人などに冥加金の献納を強く求める方式でいたようです。

https://imidas.jp/jidaigeki/detail/L-57-254-08-0 …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/08/07 19:29

冥加金。


水野忠邦は消費税導入を目論んだが失敗しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/08/07 19:29

江戸時代の年貢は現代的に言えば固定資産税です。

年貢の対象になる土地は田、畑、屋敷です。田畑で何を作っても、何も作らなくても年貢の額は変わりません。ただ藩によっては裏作の麦を作れば増額、といった所もあったようです。
お尋ねの商人の年貢ですが、田、畑、屋敷のいずれも持っていなければ年貢は不要です。もっとも自分の屋敷に住んでいないとなると格好悪いですから借家に住む大商人はたぶんいなかったでしょう。
大商人になると本業とは別に農地や家を貸す人も数多くいました。これらの土地は当然年貢の対象になりますが、年貢は借主が納めるのではなく地主が納めます。すなわち借り主から受取った貸地料の中から納めました。
なお年貢は一般的には米で納めますが藩によっては一部を現金でいう所もありました。早納したり米切手を使うと割り引いてくれる藩もありました。

年貢は所得税ではないので商人は本業の呉服商とか酒造業であるがゆえの年貢を納めることはありません。あくまでも田、畑、屋敷に対する”固定資産税”です。しかし領主は商人に献金を要請していたことはご存知でしょう。儲けていると目を付けられると強制されていたようですね。また借金依頼も多かったのですが、踏み倒されることも多かったようです。ン万両の貸金が謝礼の金杯一個だったということもあつたようです。これも”税金”のひとつだったのかも・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/08/07 19:30

1.運上・冥加の時代|平成17年度特別展示|税務大学校|国税庁


https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/soz …

現金です。営業税なので利益の有無や多寡とは直結しないけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/08/07 19:31

物納として米を税金として納めていました。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/08/07 19:30

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