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志位和夫さんの親戚にはKGBスパイもいたんですか?

A 回答 (4件)

どうしてそう思った?

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日本共産党はソ連や中共と対立していますからむしろKGBの監視対象でしょう。



公安が共産党を監視対象として幾歳月、全く成果があがらないのは志位が品行方正だからなのか公安が無能なのか、よく考えます。
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共産党の志位和夫は、志位正人元陸軍中将の孫です。

 志位和夫の父親は、志位正人の五男である志位昭義です。 志位正人の次男で、昭義の兄である志位正二(しいまさつぐ)は志位和夫の伯父に当たりますが、彼がKGBのスパイでした。 志位 正二は、日本の陸軍軍人で、最終階級は陸軍少佐でしたが、終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春、瀬島龍三、種村佐孝らとともに諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けました。 
1948年11月、シベリアより復員しましたが、帰国後の正二は1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中国の地誌を作成していました。 1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われました。 1953年11月、外務省アジア局調査員となりましたが、「二重スパイ」の活動は継続しました。 
その後、ソ連の職業的諜報員であったユーリー・ラストヴォロフがアメリカ合衆国に亡命した後の1954年2月5日、志位正二は警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めました。 その後、海外石油開発株式会社の常務となりましたが、1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラスDC-8型機の機内で死去しました。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、ありがとうございました!

お礼日時:2021/10/29 20:51

21年も独裁し



単なる独裁者なだけ!!

それに共闘する立憲も変わり者なだけです。
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