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古代の防人は、東国から徴発したようですね。

質問は、西国からではなく、なぜ、東国からなのですか?

A 回答 (3件)

古代において西国は、大陸・半島から文明が伝わる文明圏です。

それに対して東国は、文明に遅れた野蛮圏なのです。そういう理由で朝廷への服属が遅れた東国は、忠誠心を示さないと服属を認められなかった。忠誠心の証を示す手段が防人なのだと前回、回答しました。そうした努力が実って東国が西国に追いついたのが鎌倉時代のことなのです。鎌倉仏教が武士に広まったということは東国武士が文明的に貴族に追いついたということです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<忠誠心の証を示す手段が防人なの>ですね。

お礼日時:2021/11/16 18:19

高校生向け?の日本史資料集には、防人は「太宰府の管轄の下、九州北部の沿岸や対島・壱岐の警備に当たる防人を選び出した」「防人の徴発が東国に限定されたのも、遠隔地からの徴発で逃亡の防止をねらった面があることも見落とせまい」との説明があります。


西国から徴発して東国・東夷の警備をする必要が、この時代にはもうなくなっていたのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<遠隔地からの徴発で逃亡の防止をねらった>があるのですね。
昔の丁稚は、近くからは採用しなかったですね。

お礼日時:2021/11/17 06:59

古代ローマ帝国がゲルマン民族を傭兵として雇ったことに似ている。

つまり西国=古代ローマ帝国、東国=ゲルマン民族ということなのだ。つまり肉体で奉仕して忠誠を示さなかったら市民権が認められなかったのだ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<傭兵>のようなものなのですね。
ただし、①志願的なものでない、②地域限定(東国)というズレがありますね。

お礼日時:2021/11/16 17:33

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