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高校の現文の授業で「対蹠人」という言葉が出てきたのですが、これは「たいしょじん」、「たいせきじん」のどちらの読み方ですか?また、どういう意味ですか?

A 回答 (3件)

> 現代文で水原紫苑さんの「美しきあしおるときに哲学は流れいでたり 劫初馬より」という短歌の鑑賞のときに哲学繋がりで先生が言ってました。


> 「自分が立っている反対側に自分じゃない人がいるという古い考え方」の解釈であってますか?
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水原紫苑さんの歌を知りませんでした。
ネットでいくつかのの感想?のようなのを読んでみました。
https://nktakiko.hatenablog.com/entry/2018/12/08 …
私にはピンと来ません。 だいたい、何を言おうと評言を書いているんだろうと思ってしまいました。
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_tanka/201 …
この方は、「境涯詠」だと読んでいます。 なかなか、、、。 でも、納得出来ません。
http://greenflash.private.coocan.jp/tanka-page/s …
この方は、生活の匂いをきっぱりと断ってと言い、流れ、空想、リズム、意外性を評価しています。 そうかなぁと感じる部分はあっても、「ああ、良い!」と感じることは出来ません。
http://hontansince2006.blog76.fc2.com/blog-entry …
馬が脚を骨折したと読んでいるのもあります。
「劫初馬より」というフレーズは、「劫初」と「馬」のスケール感の隔たりから、歌の流れのスムーズさを損なっているとも言えるが、「劫初」と「馬」が並ぶことで、「馬」という語から馬の神話性と肉体性が同じくらいの強さで引き出されるという点で、このフレーズは効果的だ。なぜならその二つが互いに相反する効果をもたらすことで、我々は幻想性と現実味を奇妙なバランスで感じたまま、歌を読み終えることができるからだ。
確かに、何か幻想的?、つながりが読みにくい!、リズムは良いけれど、わかんないなあと思いました。
http://petalismos.net/tag/%E6%B0%B4%E5%8E%9F%E7% …
この方は、
なぜ馬が脚を折るときに哲学が流れ出るのか、散文的で合理的な説明は難しい。しかし、サラブレッドがその華奢な脚を骨折するという、悲劇的でありながら限りなく美的なイメージと、古代ギリシアにおける哲学の起源という形而上学的問題とがひとつの歌のなかで出会うとき、そこには火花を散らす磁場のような共鳴世界が現出する。こうして何とか説明しようとすることが虚しく思えるほど、そこには美しい世界があると感じてしまうのである。
どうにも、共感しにくいです。
http://shinyasosho.com/home/book1412-01/
この方は、
この世の美、この世の謎に向けられた、尖鋭で柔かい眼差しがどの歌にも感じられる。
 歌のつくりは端正である。韻律も乱れがなく繊麗である。集中に「透明の伽藍のごとく楽章がその目に見ゆる青年を恋ふ」といふ歌があるけれど、水原紫苑の創り出す歌は〈透明伽藍〉とでも呼ぶべき夢幻的な美しさを具(そな)へてゐる。
「この世の美、この世の謎に向けられた、尖鋭で柔かい眼差し」と言えば、そうなのかなぁ、嗚呼その通りだと思いたいのですが、残念なことに、私の歌のセンスは鈍くて、追いつけません。

どうも、この歌も、他の水原紫苑さんの歌も、それほど賞賛できる気には、私はなりませんでした。 文学センスか、詩的センスか、言語感覚か、この評言を書いた方々や、水原紫苑さんとは、私は《だいぶん遠い位置にある》=対蹠の位置にあると、私は感じてしまいました。

質問者さんの先生(現国の先生)は、この短歌の鑑賞で、①~⑥のような評者と似た感覚を覚えたのでしょうか。 あるいは、私ほどではないにしても、「水原紫苑さんは対蹠の人」と感じたのでしょうか。
哲学にもいろいろあるのでしょうが、哲学を専門に勉強した人たちも、水原紫苑さんのこの歌にこころ動かされることはないのではないかと、私は思います。 
リズムの良さと、奇妙さでイメージを活性化させる作品であるとは思いますが、作品としてよいとは、私は感じません。

> 「自分が立っている反対側に自分じゃない人がいるという古い考え方」の解釈であってますか?

「古い考え方」だとは、水原紫苑さんについても、評者についても、この歌にしても思いません。 彼らが新しく、私が古いとも思いません。 
センス、感性が、異星人であるかのように、遠いなぁと思うばかりです。 遠いとは思うけれど、反対とも思いません。
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この回答へのお礼

かなり詳しくありがとうございました!!

お礼日時:2022/02/23 18:38

「対蹠人」って、みかけたことがないです。


どのような文章でしょうか。 教えてください。

辞書には、「対蹠」は、「たいせき」と読むが、「たいしょう」と慣用で読むとの説明があります。 対蹠の意味は「あることに対して反対であること」と辞書には説明されています。
https://furigana.info/w/%E5%AF%BE%E8%B9%A0

「対蹠人」と書いてある文章、文脈から、意味を判断することになります。

『不思議の国のアリス』 角川文庫の河合祥一郎訳
アリスはおしゃべりを始めました。「地球をつきぬけちゃうんじゃないかしら! 頭を下にして歩いている人たちのなかに飛び出したら、おかしいだろうなあ! 対庶民とか言うんだっけ――」

この文章なら、
https://site.ngk.co.jp/tv/no7/

 「紋章」の「私」 豊島与志雄
対蹠的な性格にある二人の人物を作品の中で対立させることは、屡々見られることである。そうした場合、作者はそのどちらかに、同情とか反感とかいった種類の心の動き方ではなく、ただ漠然と心を惹かれることがあるだろう。
「紋章」はその題名によっても知られる通り、代々勤王をもって鳴る名門から出て、貧苦のうちにも国利民福のために、豊富な海産物の利用法として魚醤油の発明に身心をなげうち、学閥の圧迫や其他の社会的不正と戦い、遂に打勝って特許権を得ても、それをすぐ民間に開放してしまって、また次の発明に飛びついていく、そうした雁金八郎のことを書くのが主題だったろう。然るに、作者により近い人物として対蹠的に山下久内がいる。

この文章の「近い人物」「対立の人物」の、対蹠人なら、
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この回答へのお礼

現代文で水原紫苑さんの「美しきあしおるときに哲学は流れいでたり 劫初馬より」という短歌の鑑賞のときに哲学繋がりで先生が言ってました。
「自分が立っている反対側に自分じゃない人がいるという古い考え方」の解釈であってますか?

お礼日時:2022/02/23 13:57

対蹠点


たいせきてん

地球上のある一地点から、地球の中心を通る直線が反対側の地球表面に出た地点のこと。対照点ともいう。一般には地球上の正反対の側の地点をいい、たとえば北極の対蹠点は南極で、その逆もまた成立する。日本の対蹠点は南米のウルグアイの東方海上を中心とし、ブラジル南部およびアルゼンチン東岸の洋上である。
【日本大百科全書(ニッポニカ)「対蹠点」の解説】

で、対蹠点に居る人が対蹠人です。■
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この回答へのお礼

ある点を基準に反対側にいる人ってことですね。ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/23 13:58

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