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90代の祖父には兄弟が8人いるのですが、祖父以外の全員が教師をやってたと聞きました。
これだけ家系に教師が多いということは先祖代々から教育系の仕事を世襲してきた可能性があるのでしょうか?
また、兄弟の内祖父だけは役人になり、父親は学者です。
うちほど勉強と学歴にうるさい家系を他の親戚見ても中々いないので気になりました。
教育史に詳しい方、何か教えて欲しいです。

A 回答 (6件)

90代のおじいさまということは、教師になったのは戦争直後の頃ですね。



その頃は今と違って「地方で高学歴の仕事をする」には「役人」(地方公務員)あるいは「教師」、コネがあれば地元の大企業(地方銀行や地場産業、大商店)に就職するぐらいしかなかったと思います。

昭和30年代後半以降の「高度成長期」以降は、おそらく「東京や大阪などの都会に出る」方が高収入で就職先も増えましたが、昭和20年代は上に書いたような「まずは地元、地元であぶれたら都会に出るしかない」という優先順位だったのだろうと思います。
その中で「きちんと地元に就職できた」優秀な家系だったのでしょうね。
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学校の先生の子供は教員を目指す確率が高いですよ。


自分の高校の同級生なんか思い返しても、親が教員だった人はほぼ教員になっています。
今ではブラック職業の代名詞である教員も、昔は「教員にでもなるか」「教員にしかなれなかった」など「でもしか教師」なんて揶揄されるくらいお気楽な職業でしたからね。指導要領を黒板に丸写しして子供ぶんなぐって、保護者にはふんぞり返っていれば済みましたから。
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教育史とは関係がないことだろうと思います。



> 先祖代々から教育系の仕事を世襲してきた

教育系の仕事って、世襲出来るのようなものではまずないです。
医師で医院を経営している、魚屋、八百屋、呉服屋、踊りや華道の家元のようなのであれば、世襲は可能ですが、、、、

No.4> 90代の祖父ということは、教師になったのは戦争直後の頃ですね。

その時代であれば、私塾の経営でも、教育関係では世襲はないでしょう。

> 兄弟が8人いるのですが、祖父以外の全員が教師をやってた

世襲ではなく、兄弟が似た職業を選んだというだけのことです。
現在90代の方の兄弟であれば、たぶん全員が70代以上のお歳でしょう。
その8人が結婚し、子を育て、子が結婚しまた子を育ててとなれば、孫世代はまだ就業年齢になっていないとしても、子世代は40歳以上で就業している可能性が高いですが、その方々の職業はどうでしょう。 子世代の職業で教師比率が8割以上であれば、何かの関係があるでしょうが、子の内の何人かが教育関係にあるというだけだと、まあ、ただの環境の影響というだけのことでしょう。
孫世代の一人であるmtjtmtさんは30歳にはなっているのでしょうか。たぶん就業年齢にはなってるのでしょうが、従兄弟などの状況はどうでしょうか。

一般的にいうと、医師、弁護士、政治家、技術者、デザイナー、音楽家、演劇、企業経営者、不動産業、投資家が親であると、子は自分が大人になったときになるであろう大人のモデルを親の姿の中に見つける傾向が強くなります。 娘が大人になったらお母さんのようになるのを心に描きやすくなるのと同じです。 漁師や農家の子も、親の生活を自分が大人になるときに目指すモデルと描きやすいのと同じです。

職業選択では、
男は自分の腕、能力で成果を競うような職業を選ぶ人もそこそこいるし、
女は教師など人を育てること、人の面倒をみ世話をするような仕事を選ぶという傾向もあるようです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/33 …

親の職業を継承するという傾向があるといえばあるし、自分が観て育った大人をモデルにしてしまうだけだということなのかもしれないです。
「90代の祖父には兄弟が8人いるのですが、」の回答画像5
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日本は世界にもまれにみる「学校の多い国」で特に明治に小学校などの制度が始まると、あっという間に学校が出来ました。

その理由は、地域の協力が大きかったようです。特に、寺子屋や寺社んさどは積極的に協力したようです。古い小学校が、寺や神社からスタートしていると言ったケースが多かったのもそうした理由です。教員になる方法も沢山あり、初期の教員は武士や僧侶がなっていた(代用教員制度などもあり)ようですが、人材育成に力を入れた明治政府は、全国に「師範学校」をつくりやすい学費(無料の所もありました)で入学させました。その結果有能な人たちが師範学校に集まり「全国の教育レベル」を上げました。また明治大正期は、世襲の雰囲気が強く、特に地方都市や農村では一族が同じ仕事に就くことも珍しくなかったようです。ただ管理職や出世と言う面では「帝大」や「師範学校」出身者が割と早く出世していたようですが、それ以上に地方の名士(ボス)の一族は出世が早かったようです。第二次世界大戦後、爆発的に学校数が増えた時期があり、教員不足の時代がありましたが、その時代でも教員のレベルはさほど下がらなかったのは、日本人が「教育」の重要性を意識していたためだと思います。
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単なる教員は、学校では、横一線に広がるものの、末端の職です。

管理職、校長、教育長などはいないのですか?昔、戦後間もない頃、多少学歴のある人にとって、職がなくで、先生にしか・・なれない。先生にでも・・なるしかないと言われた時代、「でもしか先生」と揶揄され、教員が蔑まされていたこともありました。おそらく今の90歳代前後の方々の教員採用の時代です。
私も博士号を持つ父親から、・・学校の先生の話を聞いているだけじゃ、学校の先生ぐらいにしかなれないぞ・・と言われたことがあります。
女優、田中美佐子さんの祖父は、27歳で校長をしていました。単なる教諭と管理職を進む教諭とでは、今以上に差が大きかったのだと思います。
学者・研究者については、大学数も非常に多い今もそうですが、かなり・・・ピンキリかと思います。
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それであなたも教師?

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