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第二次世界大戦で、ロシアに敗戦捕虜57万人シベリアに強制労働どうして日本は脱完作戦しなかったんですか?

A 回答 (5件)

第二次大戦は、正確にはポツダム宣言を受諾した8/14で終戦したのではなく、その後も北方領土でソ連の侵略戦争が続いていました。


 最終的に日本の北方領土守備隊は降伏し、全員シベリアに連れて行かれましたが、その時点で日本はもう武装解除・軍隊解散が済んだ後でした。奪還作戦をやりたくても、それをやる軍隊が無かったということです。(ちなみに・・・この国際法をガン無視したソ連の戦争のやり方は、現代のウクライナ侵攻と似ているかもしれません。日本はこの時北方領土をソ連に占領され、その後長く北方領土問題として遺恨を残すことになりました。ウクライナでも一部がロシアに併合されたら、北方領土と似たような問題を残しそうです。)

 そもそも仮に、日本に捕虜奪還を行う余力があったとしても、それを米軍が許したか?というと・・・・ジョージ・パットンは、ドイツが降伏したすぐ後、ドイツ軍と手を組んで一緒にソ連を攻めよう、今がチャンスだ、戦争は未だ終わってない、などと主張しました。
 結局、そういう問題発言が重なり、『問題児』パットンは主力部隊だった第3軍司令官から失脚するワケですが・・・1945年の初秋に日本に居たのがダグラス・マッカーサーでなくパットンで、日本側から進んで『ソ連に逆襲したい』と申し出たら、案外通ったかもしれません。

 まぁその場合、米国からの支援で息を吹きかえした日本軍が朝鮮半島や樺太経由でシベリアに攻め込み(国際法を無視してまで攻めて来たソ連の最終目標は北海道占領と考えられ、樺太奪還は急務でした)、ドロ沼の戦争が更に続いたでしょうが・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2022/05/31 18:53

戦後、ソ連のスパイとして活動して、伊藤忠商事会長、中曽根康弘元首相の顧問など多くの職に就任し、「昭和の参謀」と呼ばれた瀬島龍三が、終戦直後の1945年8月19日、関東軍とソ連極東軍による停戦交渉に出席し、その席上で「ソ連への国家賠償として、日本軍将兵らの労務提供を認める」ことを申し出た。

 そんな背景があるのに、敗戦で打ちのめされた日本がシベリア抑留兵を奪還なんかできたはずがない。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2022/05/31 18:53

既に降伏していますから、軍事作戦はとれません。

降伏時の命令系統が整っていたので武装解除も早かったです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2022/05/31 18:53

日本は無条件幸福の後に武装解除されて、武力を保有していなかったからですよ。



だから外交ルートを通じた捕虜返還交渉しか、できませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2022/05/31 18:52

奪還のことでしょうか?


無条件降伏だったからではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2022/05/31 18:52

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