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先日NHKの「笑わない数学」でも取り上げられた「モンティ・ホール問題」はすでに正解がでていて、「変更した方がいい」というのが定説のようでみんなそれで納得しているようですね。
Marilyn vos Savantという女性が「ドアを変えることで正解の確率が2倍になる」と言って当時の人々を説得して以来これが定説のようになっています。
ここで「モンティ・ホール問題」をご存じのない人のために先ずその内容を説明します。
モンティ・ホール問題というのは、Let's Make a Dealというスタジオの視聴者の中から選ばれた「トレーダー」と呼ばれる人々が、司会者と取引をするという形式をとった番組の中で起こった出来事です。
ドアA、ドアB、ドアCにはそれぞれヤギ、ヤギ、車がランダムで入っており、トレーダーに車が入っているドアを当てさせます。
まずトレーダーがドアを一つ選びます。
次に司会者のモンティは残りのドアの内ヤギが入っているドアを開けます。
そしてモンティはトレーダーにドアを変更しても良いと言います。
この時、トレーダーはドアを変更するべきかどうか?
これがモンティ・ホール問題です。
一人のトレーダーがこのゲームを何回もやるとか、大勢のトレーダーたちがこのゲームをやるのであれば、外れる割合が数学的確率2/3に近づき当たる数学的確率1/3の2倍に確かになると思いますので変更した方がいいという結論になると思います。
でもこのトレーダーは一回しかチャンスは与えられていません。
確かに何回もやればその確率のように当たるのは1/3、外れるのは2
/3になるでしょう。でも一回しか試行できない場合確率を適用できるのでしょうか。
例えばコイントスで表裏が出る確率は確かにそれぞれ1/2ですが、実際に2回続けてやった場合、表と裏が一回ずつ出るわけではありませんね。表が続けて出るときも裏が続けて出るときもあるのです。
このように回数が少ない時は数学的確率と実際の結果はそぐわないのです。まして一回しか試行できない場合はなおさら確率とは関係なくなり、後はその時の運次第と言えるだけです。
だからこのモンティ・ホール問題のトレーダーさんが車を手に入れるのは運が良ければということになるのであって、当たる数学的確率が1/3、外れる数学的確率が2/3だからと言って変更した方がよいとは結論できないのです。
以上のような点でNHKの「笑わない数学」もMarilyn vos Savantも間違っていると判断しますが、どう思いますか。

質問者からの補足コメント

  • 一回の試行しかできない出来事の場合は蓋然性(確率)は適用できなくて、可能性しかない。
    一人のトレーダーが何回もこのゲームをやるか、多くの人がこのゲームをやる場合は外れる割合が数学的確率2/3に近づき当たる数学的確率1/3の2倍に確かになるので変更した方がいいという結論になる。
    この問題の面白くて優れているところはドアの数が3枚で外れる数学的確率が2/3という微妙な点である。もしも4枚とか5枚だと、外れる数学的確率は3/4とか4/5となって、一回の試行でも外れると判断しやすく変更した方がいいなと決断しやすくなる。この問題は初めに何枚のドアがあればあなたは迷わず変更することを選びますか、という心理ゲームになっている。
    ドアの数が3枚で外れる数学的確率が2/3の場合、あなたは確信をもってこのトレーダーに変更した方が車が手に入ると言えますか。実際はやってみなければ分からないというのがミソ。

      補足日時:2022/09/25 11:13

A 回答 (12件中1~10件)

確率は一体何を表しているんだ?というご質問かと思います。


 確率をそのものを「同じ試行をたくさん繰り返したときの相対頻度のことだ」と解釈するのを「頻度主義」と言う。再現性のある物理実験(コイン投げのような)の結果を考える場合には、この考え方がしっくりきます。それに対して「ベイズ主義」において問題になるのは「主観的信念の度合い」、「尤度主義」では「尤もらしさの度合い」です。これらの解釈においては、単独の確率自体は計算の過程で現れる、いわば作業用の概念に過ぎません。

 さて、(モンティ・ホールの場合は毎週繰り返すんで、TVの視聴者にとっては頻度主義でも不都合はなさそうだけど)一度限りのチャンスしかない或る一人のトレーダーにとっては、頻度主義は(おっしゃる通り)意味をなさないでしょう。それで、尤度主義を採用してみると、「変更しない」場合と「変更する」場合の尤度を比べたら後者の方が2倍大きい。(この計算自体には疑義がないんですよね?)

 仰るところの「定説」がどう言っているかは知りませんけど、確率(や統計)の解釈は科学哲学の問題として扱われ、たとえば「科学と証拠」Sober(松王訳) などが詳しいですよ。
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頑固ですね。

そして、曲解が得意ですね。
無知で頑固はたち悪いですよ。
わからなかったことに罪はないので、素直にみんなの解説を聞きましょう。

>モンティ・ホール問題は初めに何枚のドアがあればあなたは迷わず変更することを選びますか、という心理ゲームになっている。ことを言い換えてくれてありがとうございます。

まったく言い換えてはいません(笑)勘違いしないでね。

モンティ・ホール問題を、心理学の問題だといわれることがある本質を、あなたが曲解しているので、例をあげただけです。

モンティーホール問題が心理的なのは、

・ 出来てきた確率がどうかには無関係で、
・ 確率を知らない無知な人が感覚的に思うことと、数学上の計算結果が、違うため、信じられない・・・

それだけの話しです。じっさい、あなたがそうですよね。理解できないことは罪がないけど、人の話を受け入れず、自分の間違いを主張しつづける。その、維持や、頑固を、心理学的壁・・・と言っているのですよ。

>でも「Aは 1/100、Bは 99/100」は論点のすり替えと言う詭弁です。

詭弁でもなんでもありません。心理学的壁は、出てきた確率の値とは無関係です。

説明しましょうか?(わかるかな?)

・どちらも橋も同じように見える。AとBで、落ちる確率が99倍違うなんて信じられない。

という場合、そんなにBが危ないとは思えないと悩む(人もいる)

・明らかに、右の橋が軍事的に狙いやすい。感覚的に考えても、Bの方が落ちやすい・・・

という場合、そうだよな。Bややめて、Aを渡ろうとなる。

前者は心理学の課題で行動を決めかねる。後者は数学的モデルを信じやすい・・・

というだけのことです。

自分の発言を質問から見直しましょう。
恥の上塗りはやめて、認めることは認めましょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
あなた様の意見は尊重します。
私は議論をするつもりはありません。
私の意見に共感してくれる人が一人でもいたらいいなとは思っております。
これでこの質問は打ち切りたいと思います。
皆様、ながなが付き合っていただき本当にありがとうございました。

お礼日時:2022/09/26 16:08

道をあるいていると分岐して2つの橋がある。



・どちらかを渡らなければならない。
・しかし、左右どちらかの橋が的に狙われて落ちる。
・その可能性は、Aは 1/100、Bは 99/100

その時、普通のひとなら、Aを通るよね。

あなたは、たった一度。AかBは、勘で決める・・・

って言っているだけ。どうぞご自由にとしか、言いようがない・・・

なおこのとき、確率がどうしてこうなっているか?とはまったく無関係の話であるとわかるかな? 期待値が高い(低い)方に、合理的行動をする・・・というのは、この手の話の与件だあり、現実に確率を持ち込んでモデル化する前提条件です。

俺はなんと言われても、橋が落ちるのは五分五分だ。
くじ引きできめた方を渡るぞ!!!!

というなら、だれも否定しません。あっ、そう(笑)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「道をあるいていると分岐して2つの橋がある。
・どちらかを渡らなければならない。
・しかし、左右どちらかの橋が的に狙われて落ちる。
・その可能性は、Aは 1/100、Bは 99/100
その時、普通のひとなら、Aを通るよね。」

>モンティ・ホール問題は初めに何枚のドアがあればあなたは迷わず変更することを選びますか、という心理ゲームになっている。

ことを言い換えてくれてありがとうございます。
でも「Aは 1/100、Bは 99/100」は論点のすり替えと言う詭弁です。

お礼日時:2022/09/26 15:00

ここにも、あなたの間違いを正す、数々の証拠やシミュレーションが満載です。

勉強してね。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13159669.html
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>アンドリュー・ヴァージョニが数百回のシミュレーションを行った結果、Marilyn vos Savantの説明にみんなが初めて納得しました。



そんな都市伝説、信じても無駄。
回答にはすでに、Pythonの結果も、マニュアル実行、条件的確率の厳密な定義も出来ているから。

>サイコロ100回ふってみな。6回に1回は、1が出るから
とあなた様もおっしゃっている通り、数学的確率は実際には何回もやってみないと実証できないのです。

だからさ、人の話を聞きなよ。確率は実証するものじゃないの。
数学的モデルが厳密にただしければ、大数の法則で、実験結果は理論値に収束する。それが、確率論という学問の原点。NHKの番組観たんでしょ?あなたは何を学んだのかな?

>それなのにMarilyn vos Savantはたった1回しかやるチャンスがないトレーダーさんに変更しなさいと断言したのです。

そうですよ。たった一回でも、期待値が高い行動をした方がいいに決まっている・・・それと結果がどうの、実証がどうのとは、あなたの先入観にようる勘違いであって、無関係の話です。

>6回ふっても、1回1が出るとは限らない・・・あたりまえ。確率の1丁目一番地です。
とあなた様も認めておいでのように、1回の試行では1/3の確率で当たり、2/3の確率で外れると言うことはできないのです。

できますよ。期待値がそうなら、そうやって合理的行動を取るほうがいい。これは、自明のこと。この問題の与件。あなたのは、数学を知らない無知の、言いがかりです。

>当たるか外れるかはそれこそ神のみぞ知るで、誰にもわかりません。だから私は運が良ければと言ったのです。

なら計算は関係ない。50%、50%でさえない。
ただ、
「俺はバカで、数学も確率もわからないから、モデルの理論値を聞いても、自分の勘で行動します・・・」

と言えば済む。あなたの、補足や、質問は、そうなっていない。あくまで、理論が、1/2 1/2 だ・・・・と散々まくしたてて、自分が間違いだとわかると、無関係な話で煙に巻く。勘弁してほしいです。勘を信じて行動する・・・という人に、確率の説明などしませんから。

>何度も言いますが、何回もやれば数学的確率に近づいていきます。たった1回の試行では数学的確率は、心理的には影響するかもしれませんが、実戦には関係しないのです。

影響します。たった一度でも、そういう行動を取ったほうがいいとというは、確率論の前提です。あなたが学問を敵にしてなにを言おうと、変わりません。恥の上塗りです。

心理的にというのは、TVでもやっていました。WIKIの説明でもあります。どういう意味かと言えば、

数学のモデルから計算される、合理的行動と
数学を知らない人が、ごまかされる本能的な確率が

近い値で、違いがあるとき、人間はなかなか信じがたいという、あなたのような人のことを、比喩で言っているだけです。


>ところがMarilyn vos Savantは「ドアを変えることで正解の確率が2倍になる」から変更した方がいいと断言したのです。これはMarilyn vos Savantさんが間違っていますよね、と私は質問しているのです。

そんなことは言っていません。
いい加減、自分の間違いを認めて、回答者に謝罪するときじゃないですか(笑)
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>理論的確率(数学的確率)と統計的確率(経験的確率)は違うのではないでしょうか。

あなたの文章を読んでいますと両方同じものとして論じられているような気がします。

何が言いたいのかまったくわかりません。経験的確率は、単なる過去の統計のことです。この事象は、経験的確率が理論確率に収束する、数学的に厳密なモデルですから、同じものと論じて何の問題もありません。

経験的確率とは、男の子の生まれる確率・・・のように、理論値が数学のモデルとして定義出来ないときに、その違いが現れるものです。あなたが、根本的に確率を取り違えています。

>確率も統計も少しは勉強しましたので全然知らないわけではありませんが、Marilyn vos Savant女史が「ドアを変えることで正解の確率が2倍になる」と言ったのは何回も試行することを前提にしての言葉だと思いますので、このトレーダーさんへの助言としてはそぐわないと思います。

まったくちがいますよ。それは、この問題が理論的確率に統計的確率が収束する、完全に厳密な数学的モデルのため、その感覚がわからない人にむけて発した言葉です。サイコロ100回ふってみな。6回に1回は、1が出るから・・・それだけの言葉です。6回ふっても、1回1が出るとは限らない・・・あたりまえ。確率の1丁目一番地です。

>そのことを世界の人々がどなたも問題にして取り上げないので質問させていただいたまでのことです。

取り上げないのではない。自明なのに理解していないあなたが、インチキを吹聴するから、やめなさいとアドバイスしているまでです。

>私は議論を目的として質問したのではありませんのであなた様のご意見はありがたく承りました。

議論が目的ではないのは同じです。

間違ったことを、世の中に吹聴すること。理解できない自分の無知を棚に上げて、回答に謙虚に耳を傾けず、自分の理解で、正しいことをさも間違ったように言いふらすこと。

このサイトにときどきあらわれる迷惑な人。このことの罪、非科学的態度の悪影響を知ってほしいと思います。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。
アンドリュー・ヴァージョニが数百回のシミュレーションを行った結果、Marilyn vos Savantの説明にみんなが初めて納得しました。
>サイコロ100回ふってみな。6回に1回は、1が出るから
とあなた様もおっしゃっている通り、数学的確率は実際には何回もやってみないと実証できないのです。
それなのにMarilyn vos Savantはたった1回しかやるチャンスがないトレーダーさんに変更しなさいと断言したのです。
>6回ふっても、1回1が出るとは限らない・・・あたりまえ。確率の1丁目一番地です。
とあなた様も認めておいでのように、1回の試行では1/3の確率で当たり、2/3の確率で外れると言うことはできないのです。当たるか外れるかはそれこそ神のみぞ知るで、誰にもわかりません。だから私は運が良ければと言ったのです。
何度も言いますが、何回もやれば数学的確率に近づいていきます。たった1回の試行では数学的確率は、心理的には影響するかもしれませんが、実戦には関係しないのです。ところがMarilyn vos Savantは「ドアを変えることで正解の確率が2倍になる」から変更した方がいいと断言したのです。これはMarilyn vos Savantさんが間違っていますよね、と私は質問しているのです。

お礼日時:2022/09/26 13:49

>一回の試行しかできない出来事の場合は蓋然性(確率)は適用できなくて、可能性しかない。



まったく違います。何度やろうと、確率は、その可能性の起こりやすさを示しているだけ。一回だろうと、100回だろうと、可能性しかないのはまったく同じ。

>一人のトレーダーが何回もこのゲームをやるか、多くの人がこのゲームをやる場合は外れる割合が数学的確率2/3に近づき当たる数学的確率1/3の2倍に確かになるので変更した方がいいという結論になる。

違いますよ。たった1回でさえ、それに従ったほうがいいのです。あなたが、バカで確率を信じない。俺は勘でやる・・・というなら、どうぞご自由に。でも、自分の理解力のなさを、他人に押し付けるのはやめましょう。

>この問題の面白くて優れているところはドアの数が3枚で外れる数学的確率が2/3という微妙な点である。もしも4枚とか5枚だと、外れる数学的確率は3/4とか4/5となって、一回の試行でも外れると判断しやすく変更した方がいいなと決断しやすくなる。

関係ありません。

>この問題は初めに何枚のドアがあればあなたは迷わず変更することを選びますか、という心理ゲームになっている。

心理ゲームにもなっていません。モンティ・ホールの問題は、確率が高い方に人は決断する・・・というのは、説明されないだけで与件であって、前提条件です。あなたのいう、確率を信じるか信じないかの要素は、この問題にまったく関係ない。科学を知らないバカがどう行動するかのを研究する、心理学や行動学の論議なら別の問題で論じてください。

>ドアの数が3枚で外れる数学的確率が2/3の場合、あなたは確信をもってこのトレーダーに変更した方が車が手に入ると言えますか。

確実に手に入るなど、だれも言っていない。確率が高い行動をしたほうが、あたる可能性が高いから、そうしよう。それだけの話し。

>実際はやってみなければ分からないというのがミソ。

ミソでもなんでもない。それが確率。理解してない人が、開き直って、嘘を吹聴するのは迷惑なのでやめましょう。
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この回答へのお礼

何度も回答ありがとうございます。
理論的確率(数学的確率)と統計的確率(経験的確率)は違うのではないでしょうか。あなたの文章を読んでいますと両方同じものとして論じられているような気がします。
確率も統計も少しは勉強しましたので全然知らないわけではありませんが、Marilyn vos Savant女史が「ドアを変えることで正解の確率が2倍になる」と言ったのは何回も試行することを前提にしての言葉だと思いますので、このトレーダーさんへの助言としてはそぐわないと思います。そのことを世界の人々がどなたも問題にして取り上げないので質問させていただいたまでのことです。
私は議論を目的として質問したのではありませんのであなた様のご意見はありがたく承りました。

お礼日時:2022/09/25 16:12

確率とは何かをまったく理解していない、まぬけな質問ですね。


しかもモンティ・ホール問題とまったく無関係です。

ある事象にし対して、

あたる確率が、Aは1/3、Bは2/3 とわかっているなら、チャンスが1度でも、Bを引くのが合理的な行動だろう、それだけの話です。

確率なので、結果としてそうなるとは限らない・・・あたりまえです。でも、可能性が高い方に行動した方がいいに決まっています。それを認めないなら、確率を考えることをやめて、ただ自分の勘で行動すればいいだけです。いわゆる、科学をしらないバカな人の行動ですね。

極端な例を考えればわかります。
AとBの道がある。Aか、Bかに爆弾が落ちる。
その確率は1/10000と、9990/10000

である。このときあなたは、確率は確実ではないといって、Bの道を選びますか?そんなことはないですね。確率とはそういうものです。それを理解せずに、屁理屈こねたら恥かくだけですよ。
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これ、質問はモンティホールと関係無いよね。


一回だけなら確率なんて意味ないってことだと思うけど
90%あたるくじと一億分のーで当たるくじ
百万円当たるとしたら、どっち買う?
一回だけならどっちでも同じ?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「90%あたるくじと一億分のーで当たるくじ
百万円当たるとしたら、どっち買う?」というのは「論点のすり替え」という詭弁だと思います。
モンティホール問題の解説でドアが10枚の場合とか、100枚の場合を考えれば変更する方がいいに決まっていると言うような説明をする人が大勢いらっしゃいますが、これらはみんな「論点をすり替え」という詭弁を使っています。

お礼日時:2022/09/25 16:20

> 一回しか試行できない場合はなおさら確率とは関係なくなり、



これが間違い。
何度も反復すると、事象が起こった回数の割合として
確率が目に見える形になる。でもね、一回だと目に見えないだけで
確率は確率としてあるんですよ。参考↓
https://yugemusic.com/star-dandelion-misuzu/#%E3 …

> 後はその時の運次第と言えるだけです。

そのとき要する運の程度を数値化するのが確率というものです。
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