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真珠湾攻撃の時代にハワイには日系人が多数いたと言われてますが、その後の日系人の現地での扱われ方はどのようなものだったのでしょう?

A 回答 (5件)

最近、ヒストリーチャンネルで放送された「第442連隊 二世と呼ばれた日本人兵士」という番組内容からの情報です。

添付写真は、その一コマです。

真珠湾攻撃前から存在したハワイ日系二世のアメリカ兵は、その後陸軍のどの連隊にも属さない第100歩兵大隊として再編成されています。1400人いたこの大隊は、初めのころ戦場で先鋒隊として捨て駒のような使われ方をして、4か月後には521人になっています。戦争が進むにつれ、新兵が次々と補充されています。

 日系二世の新たな徴兵が解禁されて、本土の収容所から志願した日系二世とハワイで志願した日系二世が新兵訓練を受ける中で、この二つのグループは非常に仲が悪くことごとく衝突してしまいます。上層部があきらめかけたころ、ハワイの日系二世が収容所を訪問し、収容所の厳しい環境の中で暮らす人々から歓待された後に、状況が一転したそうです。

 「私が収容所にいる身なら志願しただろうか?と。本土の志願兵たちが私たちの目には英雄に見えました。収容所に入れられても、なお、この国を守ろうとしていると。」
写真はその時のシーンで、そのモットーとは、「GO FOR BROKE」当たって砕けろ、でした。

 なお、この番組の中で登場する日本人の顔をした人々は流ちょうな英語を話すだけではなく、アメリカ人そのものでした。
「真珠湾攻撃の後の現地の日系人の扱い」の回答画像5
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望月三起也さんの「最前線」では、若者が志願兵としてヨーロッパ戦線へ。

その代償として、残った家族はややゆるやかな扱いに。
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実は、真珠湾の攻撃の後、ハワイ在住の日系人の殆どは、強制収容所に収容されることはありませんでした。

 日系人とその子孫12万人が根こそぎ強制収容された米国本土西海岸と異なり、ハワイで収容された日系人は現地における日系人人口のわずか1%程度の2,300人強でした。 その理由は、ハワイの軍司令官やFBIが日本人を信頼し、アメリカ西海岸のような、日系人根こそぎ強制収用に反対したからです。 それでも2,300人がハワイ全土に在った8か所の強制収容所に、長い人は複数年に亘り収容されたのは紛れも事実ですが、その後、収容施設は放置されて既に朽ち果てており、また収容された人数が少なかったため、ハワイ在住の人でも、「ハワイでの日系人強制収用はなかった」と思っている人が多いようです。
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スパイを疑われた物や指導者の一部は強制収容されましたが大部分は一部の制限はあるがそのままの生活です。


ハワイの場合日系人が多すぎて収容所に隔離するのが無理でしたから。
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyo …
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強制収容所に収容されました。


後に、若者は米陸軍に参加を求められ、志願兵で陸軍第442連隊が作られ、欧州戦線で過酷な戦場に送られ続けました。特にイタリア戦線での絶体絶命と思われた「失われた大隊」の救出作戦は有名です。ここでは救出した米白人兵の数よりも遥かに多い死傷者を出しています。
おそらく第二次世界大戦の米陸軍連隊レベルでは最高の死傷率を出しましたが、凄まじい勲章等の数々も受け、現在に至るまで米陸軍史上最強の部隊と称えられるまでになりました。

この血で米国で日系人を認めさせ、現在に至っているということになるでしょうか。
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