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職場に小さな頃から母親に殴る蹴る 言葉の暴力受けて育った人がいて施設育ちの人。
今は20歳ですが一人暮らししてはります。
酷い虐待受けてる または受けてきた人に向かい
「大変だったね。辛かったね…でもお母さんも辛かったんだよ。母親一人で大変だったんだ。だからといって暴力は駄目だけど。あなたが母親になればお母さんの気持ちも分かるし許せる日来るよ」とかふざけたこというババアがいます。
虐待されてる人から見たら「お母さんだって辛い大変」言われても「ふーん?で?」てなります。
「虐待は駄目だけど…」じゃなく「虐待は駄目!死ね!以上!!」でいいと思いませんか。
大変で精神参って虐待はいかなる理由でも駄目だと思いませんか?

A 回答 (4件)

駄目だと思います。

虐待の先に「しつけ」という親御さんもいますが、どんな人物に育ってほしいのかを考えると、そのしつけ方自体も問題だと思いますし。


私は都内在住の46歳独身男性です。私の周りにも、もしかすると虐待を受けていた人がいたかもしれませんが、家庭内の親子関係は、外で学ぶことと違って、親子関係の在り方も学んでしまう気もします。



ご質問文の年配の女性の言葉では、「でも…」以降は不要な気がしますね。


相手が虐待を受けて育った人ならば、単純に受け止めるだけで良いような。「でも…」と親の立場を正当化するようなことは、虐待も正当化していると受け止められかねないし。相手に寄り添ってあげないと。




虐待を受けた辛さのほうに焦点を合わせてあげないといけない気がします。
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多分それは 自分にも覚えがあったのだな。



自分が子供に手を出して後悔したか あるいは親に反抗して後で後悔したか。

愛憎は裏表なので 愛すればその分 思い通りに行かないと憎みかねない。
その逆もまたある。
虐待は子どもへの期待の反転であり 自分の鏡像として感じる自分への怒り。
愛が裏返って 虐待に変わる。
だから「お母さんも大変で辛い」は 確かに事実だろう。

しかしそれは暴挙であり 正当化は出来ない。

児童相談所は虐待の疑いのある家庭にはいろいろと相談をする。
しかし根本的に 子どもは虐待されていても 親を慕う。
毒親でもいないよりはいい 少なくともある年齢までは。

それゆえに 児童相談所は「死ね」とは思わないだろう。
本当に親が死んだら 幼い子供は施設に行き 親の愛とは接点がなくなる。
ゼロと 僅かであれ在るのとは 雲泥の違いだから。

そうした施設で育つ子は 親に捨てられた 切り離されたと感じて育つ。
自分に問題があるのかと自問しながら育つ。
そういった親の血を受け継いでるのかと思いながら育つ。
育つ中で 自分の心にバリヤーを張る。
「親も時に子を裏切るのだ」と。

だから そういった者に「親も苦しい」と言っても そうは動じない。
既に知っている 何度も繰り返された問いだから。

彼らの多くが知りたい そして得たいことは 「自分は愛を得られるのだろうか 与えられるのだろうか」だろう。
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全く同感です。


私も母親から虐待ではないですが放置状態で育ちました。

「お母さんもつらかったんだよ。」
こういうアドバイスもありましたが反感しか感じなかったですね。
「あんたにわかってたまるもんか」と思いました。

「虐待は駄目!死ね!以上!!」とまでは思いませんでしたが。
でも子供として虐待をうけたらそう思うのは当然です。

そんな親は交流をたって放置しましょう。
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泥棒にも三分の理、と言うことで話しているのでは?



個人的には、幼い子どもに暴力を振るう時点で一分の理もありませんが。
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