プロが教えるわが家の防犯対策術!

大学の勉学において行き詰まっています。
ゼミの選択をミスしたと感じています。
わたしはゼミ選びの時に、自分の普段の興味や関心からゼミを選びました。しかし、学ぶことが多か尊敬でき、かつ卒論や院で指導を受けたい教授にするべきだったと考えて、主任に相談してみたら結果発表ではその教授のクラスになっていました。その時は嬉しかったのですが、ゼミの内容がやっぱり自分の性質に合わないです。
例えばゼミでは敬虔なキリスト教信者の女性作家の作品を研究するらしいのですが、キリスト教はどうやら女性の性欲の存在を認めないという事を知りました。わたしは世間的に性に解放的と評される作家のファンなので、そのキリスト教の姿勢が受け付けられません。
また、ゼミで扱われる作家の作品を今から読んでみようと挑戦しても、動悸がするほどです。
大袈裟かもしれませんがそのくらい拒否反応を起こしてしまいます。
教授が素晴らしいのは間違いないからこそ、こうなってしまう自分の状況が窮屈です。
例えるならば、異性愛者なのに同性愛者のふりをしている窮屈感があります。
どう乗り越えるべきですか?アドバイスをお願いします。
休学も考えましたが、やはりこのまま普通に卒業するべきだと思うので…

A 回答 (3件)

No.2です。

お礼コメントを読みました。

>いや、わたしの尊敬している作家の1人に同性愛者の方がいるので同性愛者の言うことは認めないという姿勢は1ミリもありません。なぜそういう展開になるのでしょうか。

同性愛者・異性愛者のたとえを持ち出したのは質問者さんです。
で、質問者さんは「自分のセクシャリティを偽っているくらい心地悪いという事を表現するために」書いたということですが、それは質問者さんがゼミで感じている居心地の悪さであって、作品を読む読まないとは関係ないでしょう。また、ゼミではキリスト教の価値観(=伝統的、保守的)を持つ作者の作品を読むのが多数派で、その価値観に苦痛を感じる質問者さんは少数派でしょうから、「異性愛者(伝統的価値観、多数派)なのに同性愛者(少数派)のふりをしている窮屈感」というたとえは逆であり、一般的に共感を得にくいたとえですよ、と言いたかったのです。
質問者さんは自分が異性愛者だから、「異性愛者が同性愛者のふりをする窮屈感」というたとえにしたのでしょうが、それはどこまでも質問者さん中心の考え方です。しかも、たとえとしてズレています。

質問者さんがどんな作家が好きかは、文学の「研究」においては無関係です。研究とは客観性が必要であり、好き嫌いで論じてはいけないのです。
ただ単に「読者」として作品を読むならば、「この作家、嫌い」「この作品、嫌い」で、手に取らなくても良いのです。ですが、「学問」をする立場で読むのなら、それでは研究にならないのです。
伝統的な欧米社会では、キリスト教の価値観が伝統的であり、時代が古ければそれはなおさらマジョリティであり、社会の秩序そのものだったはずです。そういう価値観で書かれた作品があるからこそ、現代において、姓に奔放な内容の作品が世に出る意味もあるし、作者が同性愛者である古都をカミングアウトする意味もあるのです。
質問者さんが「好き」な作品の、文学史における位置づけを知るためにも、それ以前の社会の伝統的・保守的な価値観に基づく作品を知って理解することは大事なのです。

というか、キリスト教にもいろいろあるし、キリスト教文化=欧米文化の根底ですから、キリスト教に拒絶反応があるようだと、英文学の研究はできませんよ? 一見、キリスト教に無関係に見える文学作品でも、根底にキリスト教文化があったりする(そのアンチテーゼとしての文学)のですしね。
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文学研究は、他者の価値観に触れ、他者の人生を垣間見る行為でもあります。

「自分と同じ価値観のものしか受け入れない、読みたくない」というのは、文学研究の姿勢とは異なります。
質問者さんは「例えるならば、異性愛者なのに同性愛者のふりをしている窮屈感」と言いますが、「同性愛者なのに異性愛者のふりをしている窮屈感」じゃないですか。「敬虔なキリスト教徒」の価値観のほうが伝統的で保守的な価値観ですから。また、自分がそのふりをしている、という例えもちょっと違って、質問者さんの状態は「自分が異性愛者で、異性が好きだから、同性愛者とは絶対に知り合いになりたくない、話も聞きたくない。同級生に同性愛者がいたら、その人とは口も聞きたくない。その人がゼミで何か発言しても、同性愛者の言うことは絶対に認めない」と言っているようなものだと思います。
文学を「読者として読む」なら好き嫌いで読むかどうかを決めていいですけど、「研究対象として読む」ならば、好き嫌いは抜きにして、客観的に読んで評価しないといけないと思います。
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この回答へのお礼

いや、わたしの尊敬している作家の1人に同性愛者の方がいるので同性愛者の言うことは認めないという姿勢は1ミリもありません。なぜそういう展開になるのでしょうか。
自分のセクシャリティを偽っているくらい心地悪いという事を表現するために書きました。
客観的な姿勢をもちたいです。ただ興味がないと深く掘り下げられなそうだなと感じました。

お礼日時:2022/12/22 10:48

うーん。



貴方は、自分と似た価値観しか受け入れたくないのですか? 今の世の中は多様性の時代と言われます。多様性というのは、自分と異なる価値観の人を理解して、うまくやっていく事です。

就活の際には、しばしばコミュニケーション能力が大事とか言われますが、あれは友達たくさんいる能力じゃないです。自分と異なる価値観の人と、話し合いを通じて上手くやっていく能力です。

今のゼミでは貴方の適応力が試されていると思います。
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