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こんにちは。38歳男です。

この8年間、たくさんのことがあって、どう感じていいのか、どう考えたらいいのか、自分でもわからなくなってしまったので、吐き出してみます。すごく重い文章だと思いますが、ご興味があれば、コメントください。


30歳のときに大手メーカーを退職して、語学留学を行い、その後、念願だった海外大学院に留学して、最近、博士号を取得しました。計8年かかりましたが、自分の実力以上のことにチャレンジしてやりきったのは間違いないです。就職活動では、多くの国内大手企業から行動や考え方を高く評価され、キャリアをしばらくお休みしていたにも関わらず、係長クラス、年棒で一千万一歩手前くらいの待遇でオファーをいただくことができました。

しかし、長いこと夢見ていたことを達成したのに、なにかうれしくありません。

理由は、たぶん、自分でもわかっていて、一緒に成功を喜ぶ仲間がいないからかなぁ、と思っています。前職を辞してから、たくさんの人たちとのお別れがありました。彼女、親、祖父、そして、旧友です。


前の彼女とは、前職に就いている間に出会い、友達としての期間も含めて計4年一緒にいました。私たちは二十代後半ということもあり、結婚も考えていました。でも、私が会社の仕事、留学のこと、彼女のことでいっぱいいっぱいになり、抑鬱状態(うつ病一歩手前)が続くようになったとき、別れを切り出されました。私自身、自分の心や体のことも、彼女のことも十分にケアできなくなっていました。

留学はずっと考えていたのですが、一度大手企業の甘い汁に慣れきっていた私は身動き取れない状態となり、この優柔不断が招いた結果だったと思います。彼女は、「会社を早く辞めて、なりたい自分になってください」と言ってくれていたので、今思えば、早く会社を辞めていたら、彼女を失わずに済んだのかなぁと思いました。この失恋の後、会社を辞め、語学留学しました。


次が、両親の問題です。

最初に結論からお話しすると、私が生まれ育った家庭は、いわゆる機能不全家族だったと思います。
両親は毒親。私は、アダルトチルドレン(AC)です。これに気づいたのは、留学中だった2~3年前で、精神系のYoutubeをぼーっと観ているときでした。父親は高校定時制卒で、母も高卒です。中学生くらいまでは、体罰や暴言・威圧による教育・しつけを受けていました。

私が一人暮らしをしていた大学・会社員時代、両親はあまり口出しをしなかったのですが、私が20代後半からの10年くらいの間に「オカシイ」と思うエピソードがいくつかありました。時系列でいくつか書きます。

私が彼女(外国人)を実家に連れて行って紹介したとき、「もっと他の人が喜ぶ女の子を連れてこないか?」と言っていました。このときの私は、「なんでそんなこと言うかな?」くらいの軽い感じで考えていました。

私が、「抑鬱状態となって、会社に行くのが辛い」と相談したときは、「なぜ、そんなことを言う?がんばって、出社しろ」と言われ、まるで聞く耳を持たないような態度でした。

「留学のために会社を辞める」と、両親に話したときは、「その会社を辞めたら、お前に価値はない!」と平気で言い放ちました。

語学留学から帰国し、次の留学先の大学院を調べているときは、どうも私に結婚して(孫が)欲しいらしく、小言を散々言っただけでなく、疲れて寝ているときまで部屋に押し入って干渉がひどかったです。過干渉に耐えきれなくなり、帰国から3ヶ月経たずして、実家を離れました。

最後に実家に帰ったのは、大学院が決まり、報告に行ったときでした。これからどこに行くのか、なにをするのか、どのくらいかかるのか、費用はどのように賄うのか、全て話しました。自分を育ててくれた人たちなので、それが義理だと思ったからです。しかし、父から出てきたのは、「お前の人生は終わった!」という言葉でした。その後、両親は力づくで私の考えを正そうとしました。そのとき、70歳近くになった両親でしたが、私も力づくで対抗し、2人を床に叩き伏せました。その後、実家には5年以上の間、帰っていません。

大学院留学中にも、母からは何度もメールが届きましたが、謝罪の言葉は一つもなく、どれも私の留学を思いとどまらせようとするものばかりでした。私がわざわざ実家まで帰って、時間をかけて説明した計画は何一つ覚えておらず、全く別の土地で全く別の仕事をしているのだと解釈していたようです。そのとき、すでに絶縁のことは考えていたので、メールは中身のみ確認し、返信をしませんでした。なにより、最後の力づくの衝突に対する憤りが残っていたので、メールを受け取るたびに憎しみが込み上げてきて、肝心な研究活動にも集中することができませんでした。留学中に2回ほど、無用なメールを入れないようにしてほしいことや絶縁を考えていることもメールではなく、手紙で送っていますが、全く聞こうとしませんでした。

全てが終わった現在、自分がACであったこともわかったためか、普段の生活の中では、両親への憎しみが湧いてくることもなくなりましたが、両親に会いたいと言う気持ちも、もはやありません。おそらく、このまま働いて、十分な経済力がついた時に絶縁宣言することになるのだと思います。


祖父は、私の唯一の理解者でした(このため、私と祖父は仲が良く、逆に、祖父は両親から嫌われていました。)が、私の留学中に亡くなりました。大学院留学の前にすでに高齢ではあったものの、痴呆は始まっておらず、デイケアセンターに通っていました。いつ亡くなるかわからなかったこともあり、最期のお別れは、留学前に済ませていました。

祖父とオンラインでもう一度話せるようになったのは、コロナがあったためです。それ以前は、直接の面会しか手段がなく、忙しかった私は帰国することもできませんでした。久しぶりにあった祖父は、片肺が機能しなくなっていたばかりではなく、自分のことも私のこともわからなくなっていました。が、最期の半年くらいは、何回かオンライン面会で会うことができました。面会のときはずっと寝ているか、「あーっ。あーっ。」と言ってくれました。ギリギリまで声を聴かせてくれようとしていたように思います。卒業までもつかと思っていましたが、私がプログラムを終える3ヶ月前に亡くなりました。両親と会うと揉め事になると考えており、お葬式には出ていません。祖父が亡くなったのを私が知ったのは、亡くなってから一週間後。デイケアセンターに面会依頼の電話をした時でした。


友達もいなくなりました。本当に数人しか残っていません。

ショックだったのは、高校からの友達が去っていったことでしょうか。スクールカースト最下位の連中が集まった吹き溜まりのようなグループ(30歳時点で、私以外、全員童貞。)でしたが、吹き溜まりは吹き溜まりで楽しい思い出もありました。でも、大学くらいから差ができ始めて、その後、大学院や企業、彼女の有無などで20代の過ごし方に格差ができました。私は、20代のこういったステータス面では、グループの中で頭ひとつ出てたと思います。でも、人間関係は大事にしていたと思います。

彼らの対応が変わったのは、私が大学院留学に行く前です。久しぶりに小さな同窓会をやっている時に、グループの中で私にライバル心を持っている人が「彼女ができた〜」と自慢してきました。(多分、30超えてからの初彼女。)そのとき、私は失恋からすでに立ち直っていたので、「よかったね!おめでとう!」と祝福することができたのですが、その翌日くらいに他の友達から「LINE見てみな」と言われて見てみると、彼にブロックされていました。彼女できた〜の話は、失恋した私への嫌味だったようです。

このときは、「彼は彼で、他の人は他の人」だと思っていたのですが、その後、旅行などを企画するたびに他のメンバーからも悪態をつかれたり、マウント(その時点で私は無職、パートナーなし、家族とも疎遠)を取られるようになり、それ以降、コンタクトをとっていません。メンバーの中で一番仲が良いと思っていた人は、大学院留学中も途中まではサポートしたりしてくれていたのですが、ある時、「お前と仲良くしていたら、他の人との関係に影響するから…」と言われ、最期はその人からもマウントを取られるようになりました。他のかつての友達の結婚や出産の話(本当かどうかはわかりませんが。)を聞かされた時、素直に祝福はできない自分に気付きました。



海外トップ校の博士号の自分にとっての価値、社会にとっての価値は理解しています。プログラムの最中は、研究で良い成果を出した時や初めての論文を書き終えた時に達成感を感じました。今は、その時よりも実力は格段にアップしているのは間違いないし、現に、大きな夢を叶えましたが、全て終わって感じるのは”無”です。

逆に、上に書いたような辛いことが何度もありました。その度に心が壊れるのではないかと思うような悲しみや憎しみを感じてきましたが、こちらも全て終わった今、私の心に残っているのは”無”です。


自分でも少し不思議に思っています。どうにか言葉にするとすれば、”無”とか”白”でしょうか?虚しさや悲しさとも違います。

抑鬱状態で感じた「死にたい」ではなく、本当に「何もない」です。完全燃焼して疲れて何もできないのではなく、毎日、ジムへ行ったり、スタバで本を読んだり、若い女の子をエロい目で観察することもできています。美味しいものも美味しいと感じられていると思います。新しい勤務先でやりたいと思うこともあります。

これってどう言う状況なのでしょうか?

A 回答 (2件)

初めまして



人生では色々な事がおこります

そのすべてが、自分にとってかならずしも納得できるものばかりではないと思います

自分にとっていい出来事もありますし、悪い出来事もおこります

その中で、自分でも納得でき誇れる様な出来事は、いい思い出としてのこせますが、悪い出来事やはずべき出来事は自分の黒歴史とか言って、自分の記憶から無理やり消去しようとしたり、封印しようとしたりしてしまいます

しかし、過去のその悪い出来事も自分の人格をつかさどる一部だと思います

そういう出来事や経験をへてあなたの現在があります

逆に言えば、過去のすべての経験があったからこその現在のあなたが存在しています

いい出来事も悪い出来事も含めた上でのすべての経験のおかげで現在の自分自身が確立されています

もしかしてですが、家族の事を含めての悪い思い出や出来事をあなたは否定してはいませんか?

その出来事が自分に存在しているかぎり、自分の人生は成功とはいえない・・・と考えてはいないでしょうか・・・

だとしたら、それは少し違うのではないかと思います

過去の出来事はあくまで過去の出来事なので、今や未来には関係ないものだと思います

例えば、山登りで苦労して山を登りきり山頂で素晴らしい景色を眺めている時に山を登っている途中の苦しみにひたる必要はないと思います

山頂の素晴らしい景色を堪能する為に苦労をして登っていたわけで、途中に苦労をしたからこそ、今、山頂の素晴らしい景色に感動しています

だから、途中の苦しみにもその存在理由が出てきます

その苦しみは、山頂での感動を台無しにしたり無にしたりする原因にはならないものだと思います

そこのところが、あなたにとってまだよく整理されてないのではないでしょうか・・・

あなたの現在は、それまでの過去のすべてが合わさって存在しています

ただそれだけの事なので、過去の出来事が現在のあなたの達成感を減少させているのは、本来ならば本末転倒だと思います

過去をひきづって、今や未来を無駄に過ごす事は人生にとって無意味な事になりかねません

過去の出来事が自分にとってどの様な意味があったのかを、ゆっくりと考えてはいかがでしょうか

過去の出来事がただ辛い出来事であったのではなく、自分にとって意味のある出来事だった事が理解できれば、きっと前に進めるのではないかと思います
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます!

>もしかしてですが、家族の事を含めての悪い思い出や出来事をあなたは否定してはいませんか?

この部分はスバリだと思います。留学前半くらいにアダルトチルドレンは、少し考えてました。でも、自分はそうではないと言い聞かせていたと思います。(弱めのADHDだと思ってました。)今は、自分では受け入れているつもりですが、心の奥底でそうではない可能性を期待していないかと言われるとなんとも言えませんね。

>山頂の素晴らしい景色を堪能する為に苦労をして登っていたわけで、途中に苦労をしたからこそ、今、山頂の素晴らしい景色に感動しています

ここもそうですね。博士号の取得は、短期的なゴールではありますが、確かに、人生という山を考えた時には、過程に過ぎませんね。ここは確かに、博士号を山頂と考えていた節はあります。

自分の成功=幸せ だと思っているのですが、それがなんなのか、まだわかっていないのだと思います。今に目を向けられるよう、いろいろとやってみようと思います。

お礼日時:2023/02/27 21:18

「振り返り症候群」先頭を走っていて振り返ったら誰も居ない。

(処方箋 皆と歩調を合せて居ればならない)
「浦島太郎症候群」夢中になって没頭していたら知らない人ばかりになっていた。(処方箋 時には集中ではなく散漫に)

其れなりに満たされている様なので、この二つが当てはまるかも。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
私の場合は、浦島太郎症候群が近いですね。

大学院留学のときは、「研究しかしない」と決めて日本を立ったのでこうなっちゃったんですね。これからは、もっと散漫に生きてみます!

お礼日時:2023/02/27 21:10

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