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昔 人に謝れなかったことやめんどくさいところがあった中学時代を思い出しては嫌になります

良いところは面白いところ 優しいところ 癒されると言われるところ かわいいところがあるところですが悪いところもたくさんありました 上にあげたように謝罪ができない ナヨナヨしてて意見をハッキリ言えないところなどです。面白い分、昔の人見知り激しい自分があるのは嫌になります 皆さんも後悔とかありますか?
あと中学で完璧な人って何割いますか?

A 回答 (2件)

後悔したことないです。


あと、今はキチンと謝罪できるようにはなっていますか?

そしてその上のステージである周りに感謝の気持ちをいだけるようになっている、またはそうなれるよう努力していますか?

世には中学生であってもそのくらいの領域まで達している人もいますけど、そのことはあなたにとっては無関係だと思いますよ。

きっとその人は完璧だと人から思われるためにやってはおらず、より良い自分であるために精進しているに過ぎないからです。

あなたは人からどう思われるかを大事にしているようですので、そんな人たちとはベクトルが違いますし、また自分を見失いやすいので気をつけられるとより良く生きられると思います
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中学どころか社会人になっても思い出したくない自分なんて沢山ありますよ。

それでも自分がやった事は消せませんし、良い思い出だと笑えるようになるまで今を頑張って自信をつけるしかありません。

孔子の論語で、

「十有五にして学を志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、
 五十にして 天命を知る、六十にして耳順うと続き、七十に
 して己の欲する所に従えども矩のりを踰こえず(七〇歳にな
 ってからは、心の欲するままに行動しても道徳の規準をはず
 れるようなことがない)」

と言うのがありますよね。

これは「どんなに立派な人でも、自分の行動を完全にコントロールできるようになるのは、七〇歳くらいになってからだ」ということらしいです。

私は、

「人間と言うのは生きている最中ずっと自分を律していないと
 いけない。自分の気持ちや思いに酔ってしまい、それを真理
 や真実だと思い込んでしまうと、必ず人の道を外れるものだ」

と言う意味で解釈しています。

孔子は73歳で死にましたから「本音で行動するというのは危険。それで大丈夫な事なんて一生ない」と言う話で解釈しても良いと思います。中学で完璧とか無いでしょう。そのため成人しても学び続けて自分を律していくしか無いんですよ。人の道に外れてもOKという分けではなく、そう成らないように自分を監視し続けないと行けないという事です。

孔子は道徳の開祖です。思いやり(仁)については特に優れていたとされています。簡単に言えば仏陀やキリストと同格レベルの聖人です。その人がこの様に告白しているわけです。ですので生きている人間すべてが同じだと思いましょう。自分の親や先生。政治家。友達。彼氏や彼女。仕事の上司。誰もが自分を律していないとダメなんです。立派な人など居るわけありません。

「本音でいこうぜ! 自分の本当の気持ちが大事だよ。
 それをぶつけて行かないでどこが人生なんだよ?」

と言う人がいたら「その話は2000年以上前に終わっている」と教えてあげてください。先ほどの論語を見ましょう。孔子ほど順調に成長するケースなど人類の歴史の中でも珍しいはずです。その人が「自分を律し続けて生きて来た」と言っているのです。普通の人が自分を解き放ってしまったら線香花火の様に一瞬で燃え尽きてしまうでしょう。良くある間違いなので気を付けましょう。

よく毒親だとか言って自分の親を貶める人がいます。これは道徳で言う「仁」「義」「礼」の3つの巨大な要素に反しています。人がやってはいけない禁忌を超えているという事です。ここを壊してしまいます(超えてしまいます)と他の色んな禁忌に関してハードルが下がってしまうんです。抑えが効かなくなる。つまり自分を律する事ができなくなります。すなわち将来に対して希望を持つ事自体が無駄であり、人として幸福を感じる事は一切ない人生になる事が決まってしまったんです。

孔子が自分を律しないとダメだと言っているのに、律する事自体が分からなくなった人はもう助からないでしょう。ある種の発達障害を自ら引き起こしたという事です。

ですので質問者さんは「超えてはいけない要素」だけを気にして他は大事な無いとすればよいですよ。手遅れじゃないはずです。

仁:思いやり。他者の立場で考えたか?自分は優しいか?
義:守るべきルールや超えてはいけない一線を越えてないか?
礼:相手の存在に感謝しているか?出会えてうれしいと思っているか?
智:物臭せずに知識を集めているか?諦めずに工夫をしているか?
信:他人に疑われないように努め、他人を疑わないように努めているか?
 (↑裏切られる事も想定して覚悟し、お付き合いをしているか?)

どんな時も上の5つで自己チェックしてください。

誰かと接する時に相手の存在が当たり前になってしまい、出会えてうれしいという気持ちが無くなっていることが多いですよ。その後でフラれたり絶交されたりして、いつも通りじゃなくなります。その時に寂しいと感じて後悔する。こういう成り行きを消すためには、慣れてしまう事を拒否し、毎度毎度出会えてうれしいという喜びで心を予め満たしておくべきなんです。

これ(↑)は礼のはなしです。

他にも仁、義、智、信でどういう心の準備をしておくべきか? 対策があるんです。何かで困ったときは振り返り思い出し「仁義礼智信」のどれが欠けていたのかを確認するんですよ。そうしますと「〇〇が足りなかったので、こういう言葉を付け加えていたらうまく行ったかもしれない」とか、上手にタラレバで反省できます。この反省は次回に活きてきます。

道徳の五常に照らした反省だけが有効であり、それ以外の後悔は単なる苦しみでしかありません。意味が全くないので辞めたほうがいいでしょう。

以上、ご参考になれば。
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