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歴史学的な質問です。
江戸幕府前期頃の将軍で徳川綱吉という人物が居たりしましたが、この人物こそ江戸幕府並びに徳川宗家における【黒歴史】とも言えるほどに屑粕なダメ将軍と言えます。「元祖【愛誤系】」であり、その為に生類憐みの例と言う悪法を敷き、庶民社会に甚大なる迷惑を掛けました。その罪は大変重く、綱吉をそそのかしたりした桂昌院・柳沢吉保にしても【共犯】【同罪】であり、連座的に罰せられるべきものがあります。


どうせであれば天皇の名において三人とも【極刑】となってしまえば良かったようなものですが、江戸の市民の中で当時の天皇に(彼らを極刑にすべしという事で)直訴しようという動きとかは無かったのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • それでも綱吉と言えば、桂昌院の言いなりになるだけの《マザコン将軍》であり、屑粕であることに変わりは無い!!

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/12/14 18:07
  • ムッ

    フン!!あんなマザコン将軍のどこがええんや?
    アンタの主張は、即ち却下や!

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/12/14 18:09

A 回答 (4件)

違った観点からですが、結論から言うと「そんな動きがあるわけない」と言う事になるでしょう。

なぜなら「江戸の市民」は天皇なる人物の存在そのものを知らなかったと考えられるからです。

明治政府ができてやった事の一つは「天皇の存在を国民に知らせる事」でした。考えてみれば鎌倉幕府ができて武士の世の中になってから約七百年も経ってるわけですから、為政者の立場である武士はともかく一般庶民が天皇の存在を知らなくても無理のない話です。ましてや江戸時代なら天皇の知名度は余計に低かったでしょうから、一般庶民に「天皇に直訴」なんて言う発想が出て来るはずはないと思います。
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それからNo.1様の回答は「アンタの主張」ではありません。

「最近こんな事が言われてますよ」と言ったものを紹介しているだけであって、No.1様御自身の意見等は含まれていません。なので物言いを付けるならNo.1様ではなくて現在の歴史学者等に言うべきだと思います。
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この回答へのお礼

それだったら綱吉擁護の学者どもを『左翼学者』の烙印を押した上で、徹底的に罰して葬るべきだろうな!
左翼学者のやってる行為は、ある意味で【知能犯】に相当しうる。

お礼日時:2023/12/15 16:30

#1さんの回答に一票です。


「生類憐みの令」は命の尊さを謳った法律です、下級層の民は家畜同然
の扱いで、フランス革命の人権宣言にも謳われていません、画期的な
法律なのです、この法律が施行されてから、行き倒れで死んだ人は、
似顔絵を描き、所持品と火葬された遺骨に添えられて、保管されました、
それまでは放置して腐敗が始まって悪臭が漂うと河原に埋没しました。

徒党を組んで一人の老人を殺した暴徒の赤穂浪士は打ち首の刑が妥当
ですが、武士の面目を保った切腹の刑にしました、学者将軍 綱吉だから
こその温情判決と思いますが。

元禄文化が花開いたのは綱吉の政策と、日本文化への造詣が深い
柳澤吉保の存在も見逃せません、更に側室町子は古典文学の研究者で、
写本の保存に関わった事が知られてます。
綱吉が側近として柳澤吉保を重く用いたのだと思いますね。

綱吉が失敗したのは、佐渡の金山が枯渇するのを予想して、小判に
替えて現代の為替相場に似た手形での取引を心見た事です。
300年前の事ですから受け入れられる訳がなく頓挫しました。
この回答への補足あり
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徳川綱吉は「実は名君だったのでは?」と近年評価が逆転していることをご存じないのですね。



生類憐れみの令も「人を殺しても罪を感じない」という戦国時代の殺伐とした倫理観を短期間で「命は尊い」という道徳に書き換えてしまったので、実は多くの命を救ったのでは? そういわれています。

さらに
--
将軍徳川綱吉が再評価されている理由は、主に以下の3つが挙げられます。

1. **儒教に基づく教化政治の推進**

綱吉は儒教の教えを重んじ、社会の秩序を守り、人々の心を善導することを目的とした教化政治を推進しました。具体的には、生類憐みの令や、五戒の制定、寺社奉行の設置などを行い、暴力や不正を抑制し、人々の道徳心を高めようとしました。

これらの政策は、当時の社会に蔓延していた暴力や不正を抑制し、人々の生活を安定させるのに一定の効果があったと考えられています。また、現代の視点から見ると、動物愛護や人権尊重の観点からも評価できるものと言えます。

2. **経済政策の実施**

綱吉は、経済の安定と発展を図るため、以下の経済政策を実施しました。

* 貨幣の改鋳
* 商業の振興
* 産業の発展

これらの政策は、江戸時代の経済を大きく発展させ、幕府財政の安定に貢献しました。また、民衆の生活も向上し、江戸時代の繁栄を支えました。

3. **文化の振興**

綱吉は、文化の振興にも力を注ぎ、以下の文化政策を実施しました。

* 学問の奨励
* 芸能の保護
* 建築の推進

これらの政策は、江戸文化の黄金期を築き、日本の文化の発展に大きな影響を与えました。

このように、綱吉は儒教に基づく教化政治、経済政策、文化政策など、さまざまな分野で積極的な施策を実施し、江戸時代の安定と発展に大きく貢献しました。そのため、近年では、綱吉に対する再評価の動きが広まっています。
この回答への補足あり
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