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「儚さ」や「無常観」というのは「過程」と「結果」のどちらに宿るのでしょうか?

A 回答 (9件)

「儚さ」や「無常観」は心の問題です。


私は、「自分の心に宿る」と思います。

何処から来るのかというと、「過程」と「結果」なのでしょうけれども、その時の心の状態は、喜怒哀楽を感じています。
結果の後、次の事を始めて、自分の心が冷静になった時、あの時はと思うと、「儚さ」や「無常観」を感じてしまいます。

一つの出来事から、次の出来事に向かう時、人の心には、「儚さ」や「無常観」だけが残るのかもしれません。
そして、日本人は神道であって仏教徒でもあるので、除夜の鐘を聞くと、過去の無常感が心に響いて、新しい年へと進むことができるのだと思いますよ。
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結果が重要なのは間違いないでしょう。

つまり過程が悪くても結果として大逆転ハッピーエンドはあります。結果がバッドエンドではじめて無常につながります。
とはいえ過程と結果はシームレスに繋がっているので、結果が出たあとで過程もふくめた全体像で無常と判断します
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どちらにも宿ると思いますが、伴う感情は違うかな…



過程の「儚さ」には愛しさや切なさ、寂しさを、結果の「儚さ」には寂しさと喪失感を、過程の「無常観」には苦しみと、それでも希望を、結果の「無常観」には喪失感と深い悲しみを感じるんじゃないかな…
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「儚さ」や「無常観」というものが、主観とは離れて実在し、「宿る」ものなのかどうかはとても難しい問題であると思います。

今の私には分かりません。

それらが、「過程」と「結果」のどちらにより感ずるかと言えば、「結果」だと思います。
何故、儚いとか無常であるとか感じるかと言えば、夢中で追いかけていたものが、自分の世界観から見たら、あまりにも小さいものであるとか、一時的なものであると思ってしまうからということでしょう。

ですから、それを「過程」で感ずる場合もあるでしょうけれど、「結果」で感ずることの方が多いと思います。
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結果だと思います。


まず、過程の終着点が結果と考えます。結果は、一瞬の過程の終着点の場合もあるし、長く膨大な過程の終着点の場合もあるでしょう。その過程とは何かと考えた場合には、現在と定義できると思います。
現在を、ある一点で止めて見た事物が、結果と考えます。よって、結果とは故意にある時点を意識的に見た物であると言うことです。つまり、過程=現在です。そして、過程=現在と定義できたならば、現在には「儚さ」「無常観」は存在するのかという問題になりますが、「現在」にはその様な感情は存在しないと考えます。つまり、限りなく現在に生きる事ができれば、「儚さ」「無常観」という様な、不幸感の居場所は無くなると考えます。例えば、過去・現在・未来に於いて、過去と未来には絶望や不安を生じる余地はあると思いますが、現在には無いと考えるわけです。
アマゾンの奥地にビタハン族という原住民がいます。彼らの言語とは、驚く事に過去と未来に類するものはなく、限りなく現在形の言語で生活しています。そして、外から見た時に彼らは幸せに見えるのです。それは、彼らの生活が、限りなく現在に生きるからであると考えられます。
つまり、過程とは現在と解することができ、現在には「儚さ」「無常」は存在しないと言う事です。仮に、今「儚さ」「無常」を感じているならば、それは眼前にある現在の中で、真剣に集中して今を生きていないという事になるでしょう。
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「過程」とは「結果」の連続、つまり「結果の時系列的連続」です。


ですから、「過程」にも宿り、「結果」にも宿っていることになります。
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「無常観」は「過程」と「結果」の、どちらにも宿る


同じように
「歓喜」も「充実」も「絶望」も、どちらにも宿る
何故か
過程は過去の結果でもあり、結果は未来への過程だからです。
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「儚さ」や「無常観」は、物事に触れた時に生ずる心の作用ですね。



心の作用なので、心の動きなので、心と云うものの反応として、過程でもあり結果でもある、と云えます。

物事そのものの過程や結果に、儚さや無常観はありませんから。
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AIの答えが優れていますので


これを紹介しておきます。



「儚さ」や「無常観」は、一般的には「過程」に宿るとされます。
これらの概念は、変化や流動性、そして不確実性を強調し、
物事や人間の生命の流れの中での一時的な性質を指摘します。

人生や世界のあり方が常に変化し、瞬間的なものであるという
意識が、儚さや無常観を感じさせるのです。


一方、「結果」にも儚さや無常観が宿ることがあります。
特に、過去の出来事や成果が後から見ると意味を失ったり、
価値が変わったりすることがある場合、
その結果が儚さや無常観を表現することがあります。

しかし、通常は儚さや無常観は過程により密接に関連しており、
変化や流れの中での出来事や存在の
一時的な性質を強調するのに使われます。
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