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こんにちは。

世の中には、不当に被害を被るも、裁判等では裁くことができない状況に陥ることがあります。

このような、合法的な仕方における限界状況を、哲学的に全てを包括的に考えた場合、被害を被った人間が取るべく最善の行動には、どのような方法が考えられますか?

宜しくお願い致します。

A 回答 (10件)

哲学的に、というより哲学史的に。



昔、ソクラテスさんは、ある日突然拘束され、裁判で死刑判決を受けました。友人が国外逃亡を勧めましたが、国外逃亡は国法を犯すものなので不善であり、判決はまがいなりにも合法であり、これに従うことが善い行いであると言って、毒人参をのみました。

時代は下って、カントさんは、正義の実現こそが善であると言いました。そして、不正に対して国家が自ら不正を行ってこれを打ち消すことは正義であると言いました。国家が対抗手段として行う場合は、不正な手段も善なのです。だから、人殺しが国家によって殺される(死刑)は合法だと言いました。

で、結局言っていることは、(1)国家も不正(不善)をし、それは他の不正(不善)への対抗手段としてのみ正義(善)である、(2)いかなる場合であれ、こうしてなされた国家の行為に反することは不善である。

問題点は、こうして為された国家の行為がイコール合法と言い切れるのか(正当な手続きを合法と看做していることへの疑問)とそもそも正当性とは何なのか、です。

最初の正当な手続きを合法と看做していることについては、ソクラテスによって肯定されていることになるのですが、神ならぬ身であれば、完璧がありえないので諦めざるを得ないでしょう。カントはあくまでそれが正義であると言い張りますが、内なる道徳律は私にはわかりません。強いて言えば、約束(ルール)だからその正邪は問わず従わなければいけない、としか考えようがないと思います。

もう一つの正当性とは、即ち国家であり権威のことです。カントにしたって、実行者である国家が無くなってしまえば、不正に対する不正も何もないでしょう。地球が明日滅びるとしても刑罰は執行されるべきとのことですが、実行する人がいなければ、神様にでもやってもらうしかない。こうして、地球を明日滅ぼしてしまえと考えたのがレーニンさんの革命論です。法が神様の意思の体現であり一にして正、善、美であるならば、その神様をすげかえてしまえという発想ですね。

だから、まとめると合法的な仕方における限界状況での最善の行動は、納得して従うか(諦めるとも言う)、すべてを御破算にする(方法はいろいろある)かになるのではないでしょうか。ちなみに、仏陀はこだわることがなければ被害を受けるようなこともないと言ってますし、キリスト様は右の頬を打たれて左の頬を差し出しますね。(あしからず、全部適当なので、枝葉末節は責めないでください。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

先哲の例、とても分りやすかったです。

参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/05/11 04:14

No.4のvagabond_0710です。



-補足からの抜粋-
Aさんは最高裁まで闘いましたがBさんを裁くことはできませんでした。

当初、私が質問にて「合法的な仕方における限界状況」と記述したのは、このようなケースのことです。

このような状況における「最善の行動」を伺いたく、ご質問をさせて頂きました。
-補足からの抜粋ここまで-

とあります。Bさんは明らかに違法行為だった。Aさんは損害を受けた。しかし、Bさんは認めず、証拠もなく、裁判で裁くことができなかった。ここまではいいですよね。

僕が思うに、普通ならここで諦めるしかありません。それでは納得できないということでしょうか?つまり、何がどうあって問題なのか明確に提示していただけませんか?例えば、法の判決に不服で、このわだかまりをどうすればよいのか?とか、復讐したいけど何故復讐をしたらいけないのかわからない、など。

哲学のカテゴリーに沿って答えれば、「最善の行動」とは人それぞれによって異なります。一概に「これが最善」とは言えません。哲学なので人それぞれ異なりますよ。最善とはなんでしょう。例えば無差別テロをした人は、それが最善と思って行動しているはず。人間は恐ろしい存在です。みんな自分の言動が正しいと思って毎日生活しています。それが独善にならないためにも、日頃から明朗なコミュニケーションが必要なのです。共同体、社会性の問題へと発展します。

つまり、ちょっといじわるな回答になりますが、osietekudasareさんがこれが「最善の行動」だ!と思われたものが、osietekudasareさんにとって「最善の行動」になります。その「最善の行動」が無差別テロや犯罪者のように「独善」にならないためにも、自分が思っていることを言葉にして、多くの人に自分が思っていることについて批評してもらうべきです。それが僕にとって、「最善の行動」です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2005/05/11 04:14

No.5です。




補足要求の仕方が悪くてすいません。

実例を挙げているということは、裁判の記録に残っている事件ですよね?

●事件名は?

  事件名がわからなければ、内容を教えていただけますか?

●何年に何県で起こったどういう内容の事件ですか?
 こちらで調べてみますから。


>AさんはBさんの違法行為により損害を被りました

これだけではおおまかな全容は全く想像つきません。
被害者も加害者も裁判すら実在しなかったと言われてもしょうがないです。


まず

●性別・年齢・BさんがAさんに何をしたとAさんは言っていたのでしょうか。

●それに対して、Bさんは具体的にどういって無実を訴えてきたのでしょうか。



>証拠も不十分であった為

最高裁まで行った事件なら有名なはずです。

●第一審 第二審とどういう判決でしたか?

●最高裁はどのようなことが証拠不十分だと言って棄却したのでしょうか。


●Aさんの日頃の精神状態はどうだったのでしょうか。
 例えば事件の前から精神を病んでいた可能性はなかったのでしょうか。


「BさんがAさんに対して犯罪をやったって事を前提にしてください。証拠は無いが疑う余地が全くないって前提で質問しています。」でしたら、残念ながら答えることはできません。
その理由は前回書いたとおりです。


「刑事事件で証拠不十分で相手を刑務所に送れなかった場合、被害者はどうしたらいいのでしょうか?」しか情報をもらえないのでしたら、こうしか答えられません。

「全能力を使って裁判を闘え。思う存分闘え。悔いの無いよう一回一回に自分がかき集めた情報を提示し、それを武器として戦え。精一杯戦えば負けてもやるだけやったという何かが残るはずだ」です。

馬鹿な・・・あなたはそうかもしれないけど、現実の被害者は到底納得しません!って声が聞こえそうです。
だから事件の詳細が欲しいって言っているんですよ。
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この回答へのお礼

何度もお手数をお掛けして申し訳ございませんが、これ以上の補足を要する程、具体的、個別的なご回答は望んでおりません。

また、包括的な理論体系の無いご回答も望んではおりません。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/11 04:15

No.5です。



私こそ何を質問者が聞いているのか いまいちつかめなくて的外れですいません。 


>真実を証明できた例ではなく、真実を証明できないまま、
>合法的な仕方では限界状況となってしまったケースにおける
>「最善の行動」について教えて頂きたく存じます。

架空のものではなくて、現実にあったことですよね?
架空でしたら小説や映画でいくらでも描かれています。
そういう誰かの頭の中に描かれた物語ではなくて、現実にあったことを元に意見を聞きたいんですよね?

では、現実にあった内容を書いていただけませんか?
でないと、また 的外れな意見を述べてしまいそうです。

「もしも」 「仮に」ではなく「現実あったこととして」という事件をあげてもらえますか?
事件は何も報道されたものではなく、身近に起こったことでも結構です。
あくまで現実あなたが見聞きした内容を書いていただけますか?

それでないと、これだけでは文章から連想する個々のイメージがそれぞれなので、個々が作り出すぼんやりとしたイメージを元にしか返答できません。


また、例え話をいくらしても、その根源は作り話では、現実的な話はできず、又 架空の物語をいくら理論で解決できても、机上の論にしかなりませんので。

この回答への補足

質問に補足をさせて頂きます。

「合法的な仕方における限界状況」について、ご説明を申し上げます。

AさんはBさんの違法行為により損害を被りました。納得のいかないAさんは裁判を起こしましたが、Bさんは事実を認めず、証拠も不十分であった為、Bさんを裁くことができませんでした。Aさんは最高裁まで闘いましたがBさんを裁くことはできませんでした。

当初、私が質問にて「合法的な仕方における限界状況」と記述したのは、このようなケースのことです。

このような状況における「最善の行動」を伺いたく、ご質問をさせて頂きました。

宜しくお願い致します。

補足日時:2005/05/10 18:52
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>ここでは、相手の犯罪を証明できるケースではなく、


>(証拠不足等様々な理由で)犯罪等の事実を立証できないケース
>(無実の罪をきせられるケース等も含む)を中心とした質問とさせて頂きます。 


無実の罪をきせられた事件では、松本サリン事件があったと思います。

他にはクリーニング店の主人が、警察に「犯人に違いない」と間違われ、何日間も拘束された事件があったと思います。

いずれも、自分は無実だと主張するのを諦めませんでした。
結果 真実がわかり謝罪があったようです。
テレビ局も謝罪したようです。


逆にあの人がやったに違いないと思っても証拠が無い場合。
林真須美被告。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/kanren/curry …
確かな証拠が無いのに裁かれていますが。。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。


>無実の罪をきせられた事件では、松本サリン事件があったと思います。
>他にはクリーニング店の主人が、警察に「犯人に違いない」と間違われ、何日間も拘束された事件があったと思います。
>いずれも、自分は無実だと主張するのを諦めませんでした。
>結果 真実がわかり謝罪があったようです。
>テレビ局も謝罪したようです。

真実を証明できた例ではなく、真実を証明できないまま、合法的な仕方では限界状況となってしまったケースにおける「最善の行動」について教えて頂きたく存じます。


>逆にあの人がやったに違いないと思っても証拠が無い場合。
>林真須美被告。
>確かな証拠が無いのに裁かれていますが。。。

証拠が無くても裁くことができた例ではなく、証拠が無い等の理由で裁くことのできず、合法的な仕方では限界状況となってしまったケースにおける「最善の行動」について教えて頂きたく存じます。

私の文章力が至らず、申し訳有りません。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2005/05/10 17:36

原因を追究し、専門機関に働きかけることだと思います。


専門機関が無ければ作れと国に要望することだと思います。


例えば、人を殺しても少年法に守られているからと、謝罪の言葉一つ無い人がいます。

例えば「自分は死にたかったから人を殺したんだ。早く処刑にしてくれ」と遺族に謝罪どころか無神経な発言を裁判所で言う人がいます。

例えば、近所の顔見知りで何の怨恨もない老人を「殺しがしてみたかった。たままた通りかかったら一人でいて、この人なら殺せると思って殺した」と言う少年がいます。


例えばよく遊んでいた少年を殺して首を切断し、小学校の校門において「さあ ゲームの始まりです」と警察に挑戦状を出す少年がいます。


全て行動を起した原因があるはずです。
性格だとか、育ち方だとか、それは第二、第三の原因で、同じような性格の人もいるし、しつけに厳しい家庭に育った人も沢山います。
彼らは殺さないのに、どうしてこれら少年は人を殺してしまったのか。
その他との根本的な差異を見つけなければ、まだまだ殺しは続くと思います。


遺族にできることは、もうこういう悲劇が起きないように、一体何が原因で彼らをあそこまで非情で快楽殺人に駆り立ててしまったのか 本当の原因を知りたいでしょう。

では、何なのか?
それは自分達は関与していなかったのか。
ガイアのしっぺ返しではなかったのか。
もし、これが決定的な違いだとわかったら、どうすればいいのか。
倫理上の問題もあり、その要素を持っていると思える人を、隔離できない。
では、危険因子を持っている彼らがどう危険因子が発動せずに済む様にできるのか。
また 危険因子を未然に防ぐよう訴えることも、被害にあった遺族でなければ効果は薄いです。
人の心を動かす力は遺族の方が強いです。


一時期不可思議な殺人があり、報道である傷害を持っていたとわかりました。
その後も何件かの不可思議な少年犯罪を起した人には同じ障害が見つかりました。
しかし、障害を持つ人の親がそういう報道をすると、その障害を持つ人全員が殺人鬼になると誤解を生むから、そういう報道をしないで欲しいと訴え、報道側は犯罪者にその障害があるとわかっていても、報道はしなくなりました。

何年か前に、不可思議な殺人がありました。
短絡的なものですぐ捕まり無期懲役となりました。
何年後かに本が出て、「彼は障害のせいで人を殺したのであって、彼に罪は問えない」と訴えていました。
やはり同じ障害を持っているとわかった。
が、報道規制により隠されており、一般の人はその本を
読まなければ、知ることはなかった。
遺族ですら知らされていなかった事実かもしれません。

成人による凶悪な殺人、暴行の裏には、利益だけではなく、衝動を起させるキーがやはりあるに違いない とさらに強く思えました。

この回答への補足

★ご回答を頂ける皆様★

ご回答ありがとうございます。

幾つか補足をさせて頂きます。

ここでは、相手の犯罪を証明できるケースではなく、(証拠不足等様々な理由で)犯罪等の事実を立証できないケース(無実の罪をきせられるケース等も含む)を中心とした質問とさせて頂きます。 

また、種々の選択肢の中から、他の方法ではなく、その方法が最善とお考えになられる理由や根拠等も教えて頂きたく存じます。

宜しくお願い致します。

補足日時:2005/05/10 14:43
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そのようなこともあるのですね。色々と勉強になりました。


もし宜しければ教えて頂きたいのですが、相手の犯罪を証明できるケースではなく、(証拠不足等の理由で)犯罪等の事実を立証できないケースでは、どのような方法を選択されますか?

また、種々の選択肢の中から、「その方法が最善」とお考えになられる理由を教えて頂けたら助かります。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2005/05/10 14:33

あくまで理屈ですよ。



生まれてきたとき、手をギュッと握っていたんだろうけど、その手には何も握られていなかった。つまり、何も持っていなかった。そして、死んだ先はどうなるかわかりませんが、お金も財産も何もかもこの世に置いていかざるおえない。肉体ですら。つまり、僕はもともとは何にももたない。そう考えれば、常にゼロスタートなんだし、またもとに戻っただけ。それでいいんじゃないかな。
僕だったら、自分にそう言い聞かせます。ただ厳しい現実にぶつかれば、また葛藤しそうですが。被害を不当と感じるのも自分の心。(不当ってなんでしょう?ってことです)マイナスをプラスと捉えるのも自分次第。僕は常にその考えで生きています。基本的に無駄なことはないと思ってます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。


>マイナスをプラスと捉えるのも自分次第。僕は常にその考えで生きています。基本的に無駄なことはないと思ってます。

おっしゃる通りだと思います。


もし宜しければ、他にも選択肢がある中で、その方法を選択する理由を教えて頂けたら助かります。

お礼日時:2005/05/10 14:09

「とるべく」ではなく「とるべき」ですね。



「とるべく」は「とるべき」行動がわかっている人間が行動に移ったときに用いられる表現です。

「とるべき行動」を「とるべく行った」。
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この回答へのお礼

ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2005/05/10 13:49

哲学的に…は難題ですね。



ここに回答される方の中で、最も多くの人が「うん、それかな」って
いう何かが無いといけないと思うので・・・

個人的に考えるなら、最善の行動は「今回の件を今後の生活に活かす」
でしょうね。
2度目は被らないような方へ持っていけたり、他者がそうした状況に
なるのを事前に上手い具合に避けるよう忠告できたり。
経験談として語る話題にもできます。

包括的に言うとそんな感じになるのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

多様な選択肢の中から、その方法が良いとお考えになられる理由は何なのか、教えて頂けたら助かります。

お礼日時:2005/05/10 13:48

最善の行動は「諦める」です。


    
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

できれば理由も教えて頂けないでしょうか。

お礼日時:2005/05/10 13:43

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