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1983年に開業当初は
「東のディズニーランド、西の長崎オランダ村」
と呼ばれるほどに長崎オランダ村はテーマパークとして人気を博していたとどこかで見聞きしました。
なんでそんなに人気あったのでしょうか?

でもディズニーランドが現在も人気を維持し続けているのに対して、長崎オランダ村は来園客数がどんどん減少していって、2001年に閉園を余儀なくされてしまったそうです。
最近すこし復活しているそうですが。

長崎オランダ村は当初はディズニーランドに並ぶほどに人気を博せた理由と、その人気を長続きさせることは出来なかった、その理由を知りたいです。

テーマパークに興味ある人など、皆さんからのいろんな回答を待っていますね。

A 回答 (3件)

>「東のディズニーランド、西の長崎オランダ村」と呼ばれるほどに長崎オランダ村はテーマパークとして人気を博していた



まず、東京ディズニーランドと長崎オランダ村が開園した1983年当時は、日本に「テーマパーク」というものが誕生した「テーマパーク元年」です。それまでは「遊園地」はありましたが、「テーマパーク」はなかった。その代表が、同じ年に鳴り物入りで開業したディズニーランドとオランダ村だったのです。その後の全国でのテーマパーク建設のピークは1988~90年頃。83年開業のディズニーとオランダ村は老舗格であり、テーマパークの代表として「東の、西の」と称したことがあったのでしょう。
ちなみに開園当時の年間入場者数は、ディズニーランドは993万人、オランダ村は200万人。アクセスの良し悪しの差を考えれば、オランダ村は健闘していたと思います。
1983年当時は、日本人の海外旅行が急増していた時代ですが、ヨーロッパ旅行はまだ少し高嶺の花。だからオランダの町並みを再現した「非日常のテーマパーク」は大いに人気を博したのです。全国各地に外国の町並みや施設をテーマとしたテーマパークが作られましたが、その多くがいまは閉園しています。
オランダ村はその後、発展的に作られたハウステンボスのサテライト施設となりました。そのハウステンボスもバブル崩壊によって経営難に陥り、オランダ村を維持できなくなりました。ハンステンボスとオランダ村が相乗効果で入場者を増やせれば良かったのですが、ハウステンボスとオランダ村は少し立地が離れていて、オランダ村のほうはアクセスが良いとは言えない立地。結果的にオランダ村の存在感が薄れてしまった(知名度はありましたが)のかなと思います。

ディズニーランドが、「ディズニーキャラクター」と「夢の国」という、世界レベルの強いコンテンツとコンセプトを維持しているのに対し、長崎オランダ村のような「外国の町並みと非日常」をコンセプトにした地方テーマパークは、バブル崩壊後に流行が去ってしまいました。
バブル経済で円高のときに、ヨーロッパ旅行は高嶺の花ではなくなり、お金と時間を掛けて地方のテーマパークで「なんちゃって外国」に行くよりも、海外で本物を見た方が良い、と考える人も増えました。テーマパークはただ「外国の町並み再現と非日常」だけでは満足されなくなり、プラスアルファが求められるようになったのですが、それをうまくできたかどうかです。
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この回答へのお礼

助かりました

アクセスの利便性を考慮すると、長崎オランダ村も当初はすごく健闘していたんですね。
ヨーロッパのオランダの街並みを再現していたために、当時としては非日常感をとても味わえたようです。

でもハウステンボスが出来たことと、そのハウステンボスと距離が離れていたことがマイナス要因だったようです。
海外旅行も増えていきましたしね。

ディズニーは「夢の国」という世界レベルのコンテンツを維持できているのが大きいようです、映画もすごいですしね。

丁寧な回答でしたのでベストアンサー差し上げますね。

お礼日時:2024/04/24 14:58

>「東のディズニーランド、西の」



長崎ではそういわれていたのかもしれませんが、関西に住む人間としてはそんなキャッチフレーズは聴いたことがありません。東京ディズニーランドは開園当時で約1000万人(現在は3000万人以上)、長崎オランダ村はもっとも最盛痔で約200万人でしたからね。

>長崎オランダ村は当初はディズニーランドに並ぶほどに人気を博せた理由

他に九州にテーマパークがなかったことでしょうね。長崎オランダ村は「長崎県にゆかりの深いオランダの街並みを、路面に敷かれたレンガ一つまで忠実にそっくりそのまま大村湾の入江に再現する」というテーマがはっきりしていました。

それとバブルの真っ盛りだったからでしょう。九州に行くのならついでに長崎オランダ村で遊ぼうという贅沢があたりまえでしたから。

>その人気を長続きさせることは出来なかった

バブルがはじけて国民の娯楽が縮小傾向になったこと、そして同じようなコンセプトではるかに巨大はハウステンポスがつくられたことでしょうね。(面積はハウステンポスが152万㎡、オランダ村は16万㎡)

>最近すこし復活しているそうですが。

長崎オランダ村は2005年に破綻し、2016年にリニューアルして再開しましたが2021年にまた臨時休園中のままとなっています。西海市との訴訟もおきていますので再開は無理でしょう。
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この回答へのお礼

Thank you

「東のディズニーランド、西の長崎オランダ村」というのは、関西でもほぼ聞かれたことなかったんですね。 九州の誇張だったようです。

バブルがはじけたことと、似たようなハウステンボスが出来たことが大きかったんですね。 オランダ村の再開は困難なようです、回答に感謝です。

お礼日時:2024/04/24 14:50

「東のディズニーランド、西の長崎オランダ村」なんて、一部の長崎県人が言っていただけで、規模からいっても長崎オランダ村は東京ディズニーランドの足元にも及びませんでした。

  東京ディズニーランドの敷地面積は51万平米で、年間来園者数は1,800万人、一方長崎オランダ村の敷地面積は16.5万平米、来園者数はピークの1990年でも200万人に過ぎませんでした。 両者の共通点は、共に1983年に開園したと言うことだけです。 

長崎オランダ村は、長崎に縁の深いオランダの街並みを、路面に敷かれたレンガ一つまで忠実にそっくりそのまま大村湾の入江に再現するというコンセプトだけで、特筆するようなアトラクションもなかったものの、バブル景気と湾岸戦争による国内旅行需要増加も手伝い、長崎観光の新しい目玉に成長しましたが、バブル崩壊後は来園者数は減少を続けました。 それでもハウステンボスができた後は、ハウステンボスのサテライトパークとして営業を続けましたが、ハウステンボスの経営不振などによって2001年(平成13年) 10月21日 に閉園しました。 閉園前年の2000年度の来園者数は約21万9,000人まで落ち込んでいました。

その後何度か施設名や管理会社名を変えながら、閉園、再開を繰り返しましたが、2021年5月、施設の老朽化やコロナ禍による利用者減少により休園することになりました。 今後再開の予定はありません。
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この回答へのお礼

ありがとう

あ、オランダ村は閉園再開を繰り返していたんですね、再開予定は内容です。
一部の長崎県の人たちの誇張もあったようです、差が大きかったんですね、回答ありがとです。

お礼日時:2024/04/24 14:46

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