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日本では明治にならなきゃ古代ギリシャにも追いつかない有様です。またその他の世界地域においても、古代ギリシャの時代には、何ら体系的な学問などありませんでした。なぜギリシャだけが、文理両道を完成させていたのでしょうか?

A 回答 (8件)

➀> ギリシャだけが、体系化された自然科学人文科学を持っていました。


②> なぜ、古代ギリシャでは、文理両道の学問が花開いたのでしょうか?
❷> なぜギリシャだけが、文理両道を完成させていたのでしょうか?

イオニア自然哲学については
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-128.html
小アジアのエーゲ海に面したミレトスの地が、ギリシア人の植民市として始まり、早くから交易の中心地として栄え、オリエントからもいろいろな情報がもたらされ、知識の交流が盛んだったためと考えられる。
ミケーネ文明が滅んだ後、ギリシアは暗黒時代と呼ばれる混乱した時代となり鉄器時代に移行していった。400年ほど続いた暗黒時代に人口が減少し、王国内に居住していた人々は新しい定住地を求めて移動した。本土からは混乱をさけて小アジア西岸やエーケ海の島々に移住するものもあり、移動が終わる頃、ギリシア人はイオニア人、アイオリス人、ドーリア人にわかれていた。
人々は貴族を中心に人々が城山・アクロポリス集住して都市ポリスをたてた。ポリスは防術の中心となって人々の定住をうながし社会は安定し、暗黒時代は終わった。その後人口も増加し狭いアクロポリスでは土地が不足したので,前8世紀半ばからギリシア人は大規模な植民活動に乗り出し、地中海と黒海の沿岸各地に植民市を建設し、大量の交易をしてポリスに富・食料を集積し、
同じ頃フェニキア文字からつくられたアルファベットを商業活動でもちい、
生産や流通、各種工事や実労働は奴隷に委ねた。
その結果、ポリスの市民は一切の労働から解放されて、ゆとり一杯なので、詩など文学、旅行、観劇などの娯楽、飲食、抽象的思弁、スポーツ競技、美術愛好などに向かった。
科学や実地調査、実際の確認をするのではなくて、想像力と論理整合というところにイオニア哲学は向かいます。それとは別方向で各地を旅行し聞き知った各地の様子や記憶伝承を収集記録するのも、口承の文芸も、弁論術のようなのも発展します。
後に、多くのソフィストを登場させるのもこうした経緯の結果です。

ですが、人間の生き方のあるべき姿を希求するような文武両道・文理両道・万能武人志向のような発想は出てきませんでした。 
哲人思想とか哲人政治とかは、個人が目指す理想型のことではなくて、民主制が衆愚性にしかならないという認識に立って万能王=哲人王に政治や律法の一切を委ねようという思想です。
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この回答へのお礼

地勢的な問題民族的な問題すべてが理想的に配置された結果なのですね。

お礼日時:2024/04/28 09:41

> なぜ、古代ギリシャでは、文理両道の学問が花開いたのでしょうか?


> なぜギリシャだけが、文理両道を完成させていたのでしょうか?

古代ギリシャ、中世ギリシャ、近代ギリシャ、どの時代でも、ギリシャで文理両道(文芸美感性系と理数系と併せ高めることを個人の中で追求)がメジャーになったことはナイです。

《文理両道の学問》が提唱されたり、勧められたこともないでしょう。
「文理両道を完成」 なにをイメージされているのかがわかりません。
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この回答へのお礼

ギリシャだけが、体系化された自然科学人文科学を持っていました。

お礼日時:2024/04/26 08:52

#3です。


>でも中国文明は、自然科学の徹底的な追及はなされていません。
農耕が始まると、より多く収穫量を得るために、季節・気候を
知る為に自然科学が発達しますし、水を安定的に得る為に、河川の
治水や灌漑工事で建築土木が発達します。

中華王朝では、天文で季節を知り、気象の観測から風水が生まれました。
占いの基である、易経では、陰と陽(二進法・2ビット)を組み合わせて
八卦(8ビット)を作り、八卦を展開して64卦で人間の行動パターン
を表しました、コンピューターの基に成る思考です。

弱小国だった秦帝国は、治水や灌漑工事を行って、食料を増産させ
たので、巨大国への礎となりました。
ローマ帝国が灌漑工事で用水路をローマに水を供給した、200年前の
事です。

欧州では、ギリシャ・ローマで生まれた科学の芽をキリスト教会が
神の名で抑え込んだので、発展が止まってしまいました。
この事を打ち破ったのがイタリア人が興したルネッサンスです、
これ以来、現在まで、イタリアは欧州の文化・経済の発信源になった
のです。
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この回答へのお礼

はい。でも近代科学につながるような研究はギリシャだけです。

お礼日時:2024/04/24 08:09

歴史を顧みれば、古今東西、文化というのは日常の雑務から解放された有閑階級が生み出すものです。


下々の者たちが主役となる大衆文化は、文明化された近現代だからこそ生まれたのです。
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この回答へのお礼

なるほど(゜-゜)ギリシャは完成した階級社会だったんですね。

お礼日時:2024/04/24 08:08

奴隷制社会だったからです。


市民は奴隷を使役して労働をしなくてもよいので学問や芸術活動に打ち込めます。また、奴隷が反乱を起こしたり逃げたりしないように戦闘訓練を行い、時々奴隷に対して宣戦布告をして逃げたりしたら戦争として殺すことを宣言していました。
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この回答へのお礼

でも奴隷社会は他にもありませんか?

お礼日時:2024/04/23 07:59

春秋戦国時代の中華は、人徳による統治、法に依る統治、老子や孔子の


哲学、孫氏の兵法、などの諸子百家が現れていて、ギリシャ文明を
凌駕していると思いますが。

中国大陸と欧州は民族数と人口は同じ規模だそうです。
始皇帝は諸子百家からの中華の思想で統一し、現在も一つの国と
曲がりなりにも固まっています。

欧州は50の国に分かれて未だに争い事が絶えません、これは、
アレキサンダー大王が何の思想も無く、東方遠征をしてオリエント地域
を破壊しただけに終わったのが遠因となっていると何等の根拠も無い
ままに勝手に推察しています。
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この回答へのお礼

でも中国文明は、自然科学の徹底的な追及はなされていません。

お礼日時:2024/04/23 07:58

文明は、人口が増えることで生まれます。


また、支配者が生まれることで、人々をこき使うことで、今では考えられないような建築物も可能だった。

そのような条件は、あたたかく水のあることが良い条件です。
チグリス・ユーフラテス、ナイル、黄河など。

中国の黄河文明は、温かいよりも、米、稲作が人口を増やすのに効果的だったでしょう。
穀物こそが、人口増の条件ですから。

さて、ヨーロッパの文明は、エジプトに始まります。
アレキサンドリアには、大学ができ、ギリシャの人たちもエジプトに留学して学びました。
ギリシャ文字も、アルファベットも、エジプトの文字が元になります。

地中海、ギリシャ付近には、多くの都市国家があり、国を守るためには武力は必須でした。
アレキサンダー大王は、マケドニアの人。
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この回答へのお礼

Yeah!

お礼日時:2024/04/23 07:57

文と理を分ける発想が無かったからです。


人口が格別多かったわけでもなく、それだけ社会構造が単純だったということでしょう。
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この回答へのお礼

実にバランスの取れた社会です。

お礼日時:2024/04/23 07:56

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