アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

みんなに愛されて、何をしても許されている親戚の子供を見ると、子供の頃ずっと虐待を受けていて愛して欲しくて必死だった私の心の奥がズキズキ疼きます。かなり辛いです。でも会わないといけません。どうすれば良いですか

A 回答 (4件)

心の奥がズキズキ疼いてもそれを抑えて、会えばいいことです。

    • good
    • 0

その辛さを克服して普通の人間ではとてもなれない


奥行きのある凄い人間になったらどうでしょうか
    • good
    • 0

ご自身と相談して「どちらの自分が格好いいのか?」議論をしましょう。



以下は長いので興味があればお読みください。

どうしても辛いというのならば致し方ないのです。その場合は「次は頑張ろうね」と自分と約束をして自分を許すべきです。また「他の人には分かって貰えない」と思っても「自分にとっては英雄的な行為ができたのだ」と思えたら「自分を褒めて」格好良かったと喜ぶべきです。

「他の人に分かって貰えない時もある。しかし自分は何時
 までも覚えているものだ。未来の自分が自分を誇りに思
 えるか否かは全く違う話である。他人の評価を大事にし、
 自分の評価を蔑ろにすれば、それは自分に対する裏切り
 でしかない。他人は短い評価をして一瞬で忘れてしまう。
 しかし自分は自分自身を支えて何時までも自分を応援し
 てくれるのだ」

その時は辛くても何れは記憶も薄れて痛みも減ります。しかし新たな負い目を積み上げていると「そちらの痛み」はマダマダ痛いものなんです。今は苦しくて先を見通せないと思います。ですので感覚ではなく頭で考えて「未来の自分はきっと自分を誇らしいと思うはず」と唱え続けましょう。私もそうしてきましたよ。

少し私の話をします。

虐待ではありませんでしたが学生時代に6回ほど苛めにあってきました。

今は「なんともないよ?」見たいに語れていますが当時はそうではなかったんですよ。それでも「そんな日が来るのかなあ?」とか思いながら闘っていました。なぜ闘っていたかと言うと「無駄であっても負けまいとして頑張った自分を未来の自分は誇りに思うはず」と(子供ながらに)思ったからです。ただ耐えていたというのであれば「お前は格好悪い」と自分自身が将来言いそうですよね。なので「無駄と思っても知恵を絞りだして抵抗していた」んです。まずは「そういう事実だけ」が欲しくて闘いました。

勿論、初回の苛め(幼稚園でしたしね)ではそこまで考えておりませんでした。単なる偶然で上手くいっただけです(ヒステリーを起こして反撃したら相手の女の子が泣きだした)。そこで心を折られていたかもしれません。

しかし(初回の苛めを逆転して凌いだ)成功体験があったため「あれは格好良かった」と何度も反芻して(大概の事は)頑張れるようになったんです。そういう物(過去の自分が自分を支える)があるのだと理解したんです。なので6回と言う多すぎるいじめ体験であっても「2回目以降は意外と楽しめた」と言う結果になっています(全部勝ちましたよ)。

「全ての人が自分の敵に回ったと思えても何とかなるも
 のなんだ。例え負けたとしても抵抗し続ける俺を見て
 『自分にはあんなに出来ない』と思わせれば、それだ
 けで充分に勝ちだとも言える」

こんな事を小学生が理解したんです。誰にでも愛されて幸せに生きて来た人は絶対にそう成らないでしょう。確かに不正や不幸はあっては成らないものです。だからこそ経験する人も少ないんです。逆に言えば「他の人は嫌がってしまう」ため「自分だけの経験値獲得イベント」でもあるんですよ。

私の親戚のおばさんは「英才教育をすれば他の子に差をつける事が出来る」と考えていました。私の従弟を(愛していたんでしょうけど)一生懸命教育しました。これを「教育ママ」と言います。中学も「御受験」で名門に合格させました。そしてその後に(従弟は)落ちこぼれまして「働かず親元を離れなれない大人」になってしまいました。この時にそのおばさんが言ったのは「○○ちゃん(私)は凄いね。逞しい。うちの○○(従弟)は全然そういう所が無い」でした。

これには驚きました。あまりにも無責任だと思ったからです。私の両親は「子供が苛めにあっている」と言うのは何となく気づいていたんです。それでも(子供の消耗を見てダメと成ったら直ぐに止める積りで)ギリギリまで本人にやらせようとしていたようです。もし私の親が介入していたら「苛められ損」になっていたでしょう。私には勝てる見込みがあったからです。おばさんにはそういう発想が全くなかったんです。

「自分独りの力で手に入れたという快感を知らずに苦
 痛に耐えられる人など居るわけがない」

私はこう思います。従弟は「達成感を全て母親に奪われていた」だけなんです。貴方の様に虐待を受ける「許せないケース」だけではなく「子供の自立を阻害する」と言う「気づかれない虐待」もあるんですよ。

では被害を受けた子供たちは「もう手遅れ」なのか?

そんな事はありませんよ。私も大人になって可笑しくなったことがあります。仕事の中で高ストレス状態になりうつ病になりました。この時は自分を自分で制御できませんでした。つまり「子供の頃に上手くやれた」と言う人であっても何時までも上手くやれるという事ではないのです。

「しかし切羽詰まったときのノウハウは残っている」

こんな時に頼ったのは「自分で自分を褒める」と言う(ちょうど苛めに耐えていた時のやり方)方法でした。苛めにあっている時と言うのは(当然ながら)誰も私を褒めてくれません。凄い辛いのに学校へ通う。凄く怖いのに抵抗して闘う。生きているだけで凄いのに誰も褒めてくれないんです。そういう時であっても「自分で自分を褒めさえすれば何とかなる」と知ったのが「神様の大きな贈り物」であったと思っています。

ネット等の相談やネットでの不可思議な行動を見ると「ああ、この人達は知らないんだなあ」と思えます。

「頑張っても褒めて貰えません」

と皆で泣いている様に見えるからです。また「そういう風に成るのを恐れすぎて」現実逃避をしている人も沢山いるように見えます。「キラキラで心を埋め尽くせば『あれ』に成らないで済むんですよね?」などです。

「自分で自分を褒めるのが虚しいと思えるのは、自分が
 卑怯な事をし続けたせいだ。『格好悪い自分』に褒め
 られても嬉しくないからだろう。それも自業自得なの
 だと思う」

自分を誇らしいと感じる人ほど「そんな人(自分)に褒められるなんてすごい」とやれるんですよ。そういう状態に持っていくためにも「(誰にも分かって貰えないとしても)俺って格好良くないか?」と思えるシーンを増やすしかないんですよ。それを積み上げると「後で楽になる(自分で自分を褒める事が効いてくる)」と思います。

「今はそういう自分に成るために『誰にも分かって貰え
 ない』けれども『良くやった』と自分を褒めてあげる
 シーンを積み上げる時期なんだ」

と思いましょう。これを徳を積むと言います。

子供っぽい表現で「格好いい」と言いました。しかし実際は「どんな大人も感心する対応の仕方」なのでしょう。世の中を敵として「自分を格好いい」とやれば「実際は卑怯な自己正当化」をしているので効果が出ません。これを積み上げてしまうと「本当に苦しい時」に「自分に褒められても有難いと思えない」わけです。心の中の自分は正直であり騙せないんですよ。

貴方は大分傷ついていて負傷兵に近い位の状態でしょう。

まずは自分を癒すことが先決です。そうやって回復しませんと何をしても自分を傷つけるだけになります。今は無理をしてはいけないと思います。

しかし、そんな中でも少しは頑張ったという部分があったら「べた褒め」して良いのではないでしょうか?

「自分に対しても(自分の状態を見て)公平に評価する
 べきである」

なので「世間と比較して」と言うのはやってはいけませんし「自分の過去に辛いことがあったため許される」と言うのもやってはいけません。「今の自分の体力や気力」を見て「やれるか?」と冷静に考えて判断をするべきなんです。

「少しは出来そう」

こういう時は「少し」やる。「もう嫌だ」となる前に綺麗に撤退しましょう。逆に「嫌だ嫌だ」とやる前から思いつめるのも良くないですから「○○までは頑張る。その時は○○と言って綺麗に退散しよう」と予め撤退する条件を自分と相談して決めておきましょう。そして「その約束を守れたら自分を褒めよう」としましょう。

「逃げてはいけない。無理もしてはいけない。そう思え
 る時は『逃げ出す時の条件』を事前に決めて自分と約
 束しておく事。この約束を自分に対して守る事が出来
 たら自分を褒めるというのを繰り返す」

この自分への条件と約束に関して(強気に成り過ぎて)「無理をしてはいけない」と解釈しなおしましょう。例え自分に甘すぎると思えても「自分との約束を守る」事の方が重要です。ここに理想を持ち込まない事です。

「どこまでも情けない」状態を続けてもいいんです。大事なのは「出来そうかい?」と自分に話しかけ「ここまでならやれると思う」と自分と合意を取る事です。そして(例えそれが一般的に見て足りて無いと思えても)「事前に自分と決めた約束を守った」と言う事の方を重要視するんです。

こういう発想や習慣は「世の中で評価されている方々」にも称賛されると思います。何故ならば彼らは「自分との約束を守る」事を何よりも重要視しているからです(本当ですよ)。

「途中で嫌になって逃げだすのと、逃げ出す条件を決め
 てから約束通り逃げ出すという違い?」

「そうだね。逃走と撤退の違いとして良く言われる」

「やってる事は『同じ逃げ出す』でもOKなの?」

「ベリーグッドと成功者たちに褒められると思うよ」

嫌な事を我慢したというシーンを、

「ミッションクリア」

と言う達成感に変えるように「取り組む前に」心の準備(計画して置く)習慣を身に付けましょう。それが救いになると私は思いますよ。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

非常に興味深い内容でした。そういう考え方もあるのかと気が楽になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2024/05/05 12:28

誰に逢うの?

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A