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「てゆぅかぁ~」「うぜぇ」「うざい」etc.といったコミニュケーション拒否の言葉は、自己の感情優先の生き方と、読書量の低下による《読解力》の無さから派生した理解力の欠陥に起因して生成してきたのではないかと個人的にはおもっているのですが学術的に妥当な認識の仕方を教えてください。

A 回答 (5件)

No.2です。


補足説明ありがとうございます。

session お疲れ様です。
大変ですね!

検索engineなんかで、
社会言語学 うざい
とかで 検索すると いろいろとhintがあるかもしれません。

communicationを拒否されたのならば、「あなたの話には興味がありません」と言われているわけですので 質問者様から 積極的に 意思疎通をはかってゆくしか方法は無いものと考えます。

もし 学生が相手であるならば、学力が全般的に低下しておりますので それを 前提に 課題を進めることを考慮されたほうが良いと思います。

==あほうどり(抜粋)======================
翼のある旅人、それがね すっげぇ きもくて のろまなんだ。
って言うか さっきまで ちょーきれ(い)だったんだけどぉ、もうさぁ えぐくて 笑えるーって感じ。
=====================
利用しているPCで片仮名がうまく使えず 申し訳ないです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

《あほうどり》タノシメました。示唆も得ました。

彼らのヴォキャブラリーを集積し、集積した言葉を使って私が訳して、それを彼らに校閲していただく方式

で展開しますと中には私の例に刺激を受けてチャレンジしてくださる人が顕現するかもしれませんね。

助かりました。

お礼日時:2005/05/22 11:19

高校1年生です。

私なりの意見を書かせていただきますね。

読書量の低下、読解力の乏しさからのものではないと思います。私も友達と話す時などはそのような言葉を使いますが、読書は昔から大好きですし、定期試験や模試の国語でも平均して9割は取れているので、読解力はそれなりにあると自負しております。
参考までに、それぞれの言葉を使う際の心理を以下に書いておきます。あくまでも私見です。

●「てゆうかぁ~」
本来ならば、「AというかB」のように使われるのでしょうが、話のきっかけとして用いる場合が多いですね。友達などに話しかける際に
「てゆうか、○○○なんだけどさ~」
のように、何の前触れもなく唐突に切り出すのによく使います。これから自分が話すよ~、という意思表示のようなものでしょう。

●「うぜぇ」「うざい」
これはまさに、自分の不快な感情を端的に表すものでしょう。
「何か嫌なことがある=うざい」
と直結していると言うと分かりやすいでしょうか。細かい言葉で
「・・・が・・・・・・して、・・・なのが嫌」
のように理由付きで述べるのではなく、結果として自分がどう感じたかのみを表現していると思います。ただ何となく癖になってしまって、大して気にもしていないのに反射的に「うぜぇ」を連発している人も周りにはいますが。

●「超・・・」
「超ムカつく」「超うざい」「超可愛い」などなど。何にでも使える便利な言葉です。自分の言いたいことを強調する場合にも使いますし、最近は癖になってしまって何を言う時でも「超・・・」を付けがちなのかも知れません。

私個人としては、
『普段の話し方が悪いから人間性全てが駄目』
というような解釈はしてほしくありません。私だって学校では口は悪いし日本語もめちゃくちゃですが、先生方と話す時は丁寧語も尊敬語も謙譲語も使いこなせますよ。
「最近の若者は・・・・・」
「現代社会の・・・・・・」
というように、私たちの世代を否定する方も少なくありません。実に悲しい事実だと思います。これに限った話ではないのですが、物事の一面だけを見て判断するのは筋違いですよね。

これらのような言葉は、言語というものがある限りは必ず生まれてくるのではないでしょうか。どの国の言語でも、なるべく簡単に、なるべく短く、分かりやすく表現したいと思うのが常だと思います。このような『若者言葉』と呼ばれるものが発生するのは、自然の流れではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
わたくしの質問の仕方が十束一絡げな上、具体的な事例を挙げなかったことで失敗した質問でした。

アナタ様が仮にそうであっても、わたくしとのセッションではどうかわかりませんね。わたくしが遭った人たちは私にそう思わせる対応をしたということです。それを一般的とおもわれるように書いた私に欠陥がございます。そういう次第ですので、ご理解ください。

なお、道の上でアナタ様とお遭いすることがございましたら「ギリシャ悲劇の現代性について、どう思うか」とか「マラルメやヴァレリーの詩を訳してみてくれない」とお願いするかもしれません、そのときは宜しくお願いしますね。
もっとも、いま日本では、
[知らない人とは話をしない]でしたっけ、ですよね。即ち冗談です。そんな出遭いがある筈もございません。

お礼日時:2005/05/20 18:21

読書量の低下はあまり関係がないと思います。



読解力よりむしろ、ボキャブラリーの貧困というんじゃないですかね?
ウザイは、うざったい、鬱陶しいからの派生語で意味的には面倒くさい、うるさいと取れますね。
てゆぅかぁ~ は、単に会話のつなぎの言葉じゃないですか?前の人の意見に乗せて自分の意見を述べる時、「そのことは~、それについては私は~、私は反対の意見で~だと思う。」の意だと思います。

ただの流行語だとは思いますが、それにしても聞いていて美しくない日本語ですね。
~とか、~てか、もよく若い人が使います。本当に意味もなく。ちょっと前に大流行した「超~」(なんにでも超がつくのね)「可愛い」なども、殆ど意味がなく軽い感嘆詞のように使われていましたよね。

口をはっきり動かしてきちんと発音する事が面倒くさいのかもしれませんね。だるそうなイントネーションでこの手の会話が聞こえてくると、一瞬「今のは日本語だったのか?」と戸惑うこともあります。(笑)
できれば、正しい日本語をきちんと使える若い人たちがもっと増えてくれれば嬉しいんですけど。
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わかりが わるくて すみません・・・。


補足要求させて戴きます。

>コミニュケーション拒否の言葉
これは、「うるさい!」などと 一括する政治家などにも 古くからあると思いますが・・・。
(磯野波平 なども そのタイプかも?)
コミュニケーションが取れていません。

>読書量の低下による《読解力》の無さから派生した理解力の欠陥
「読解力」が まさに 「文章を読む力のみ」と定義されるなら この文章は理解できるのですが。
「てゆぅかぁ~」「うぜぇ」「うざい」の場合は 会話と想定されますので、そうなると 「読解力」は 「文章を読む力のみ」ではなさそうです。
「読書量」「読解力」「理解力の欠陥」と それと 想定される会話の関係を 教えてください。

よろしくお願い致します。って かんじー。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

わたくしは彼らを否定しておりません……否定というより拒絶的なのは彼らの方であり、わたくしの話を遮るように強引に、場面転換的に使っているように感じました。それでコミュニケーション拒否と感じたわけです。わたくしの体験、実際に複数の場面で体験したことに基づいて質問させていただきましたが、こうした状況ではなく、十束一絡げ的な展開の仕方ではなく録音を聴きながら個々の事例について進めるのが妥当なテーマのようです。

別の機会に彼らの《チョー※○△□♪$#で、ヤバイ》式の日本語でボードレール・ヴァレリー・マラルメらの詩を訳して貰おうとしましたところ突然、それまでの饒舌が寡黙に転じまして、なぜか翻訳も重訳も実現せず終い。爾来、コミュニケーションの機会を放棄せざるを得ず、残念におもっております。

お礼日時:2005/05/20 11:18

×コミニュケーション⇒○コミュニケーション



現代語を専門の研究分野としていない私が答えるのは、違うかなと思いましたが、好きな話ですのでちょっと口を挟みます。
若者言葉を否定的に捉えるならば、質問者さんのような解釈になるのではないでしょうか?しかし、若者言葉を肯定的に捉えるのも面白いですよ。
金田一先生は非常に若者言語を肯定的に捉えていますので、先生の著書を読まれてみることをオススメします。

先生には失礼かも知れませんが、私なりに先生流で肯定的に捉えるならば、…。
自己表現をしようとする感情を強く表す言葉が多いのが若者言葉の特徴と感じます。例にある「うぜぇ」「うざい」は他を否定する言葉で、あまり多用して気持ちの良いものではありませんが、「うっとおしい」などに変わる若者らしい自己の感情を「うっとおしい」などという堅苦しい言葉よりも明確に表しやすい言葉であると思います。
「てゆぅかぁ~」については、本来前文を否定する際に使う用語に見えますが、肯定の際にも用いたり、若者なりのルールが存在しているように感じます。肯定否定の前後関係よりも、むしろ、その会話文全体の自己の不快感を表す接続詞としての用法が強いのかも知れません。感情を表す接続詞と考えると非常に面白い言葉です。他には存在しない用法じゃないでしょうか。
ですので、質問者さんの考えるように、能力の欠陥・低下から成因したものとは個人的には思えないですね。進化と思います。

質問者さんは読書量についても述べていますが、テレビ・マンガ・インターネット・携帯電話など、現代は言語に触れるメディアが非常に多様化しています。読書も大切ですが、多少減るのも仕方のないことではないでしょうか?また、本などとは違い、一方的に受けるだけではない、双方向型のメディアも多く存在します。激しい言語のキャッチボールが行われるようになっているのです。言語の変化が加速しているのは、若者が原因ではなく、社会が動いているからだと思います。そしてその変化も、言語の衰退でなく「進化」だと思っています。「てゆぅかぁ~」「うぜぇ」「うざい」にしてもそう。より現代社会に合った言語が生まれ、変貌しているものと思います。金田一先生のような見方に立てば、常に変化し続ける現代語こそ生きた言葉だと考えるそうです。

何が正しいという答えなんて無いと思いますから、色んな視点で考えましょうよ。その際は、肯定的に考える視点は非常に楽しいですよ、というアドバイスでした!駄文すいみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
打ち込みミスの指摘もありがとうございました。

わたくしは彼らを否定しておりません……否定というより拒絶的なのは彼らの方であり、わたくしの話を遮るように強引に、場面転換的に使っているように感じました。わたくしの体験、実際に複数の場面で体験したことに基づいて質問させていただきましたが、こうした状況ではなく、十束一絡げ的な展開の仕方ではなく録音を聴きながら個々の事例について進めるのが妥当なテーマのようです。

別の機会に彼らの《チョー※○△□♪$#で、ヤバイ》式の日本語でボードレール・ヴァレリー・マラルメらの詩を訳して貰おうとしましたところ突然、それまでの饒舌が寡黙に転じまして、なぜか翻訳も重訳も実現せず終い。爾来、コミュニケーションの機会を放棄せざるを得ず、残念におもっております。

お礼日時:2005/05/20 11:21

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