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自民党の森岡正宏氏はA級戦犯はもう罪人ではないと言ったそうですね。靖国では中国がイチャモンをつけてると思ってましたが、こうなると中国側にも理はあるんじゃないですか?

A 回答 (18件中1~10件)

「もう」をつける必要なく罪人ではないように感じます。



言葉の定義の問題ですが、ふつうは国内法に反することを罪人というのでは?例えばイスラム国家内で飲酒すると罪人になります(そういう国内法を持つ国での話です)。

東京裁判はその法的根拠が曖昧なので、それによる決定をもって罪人という言葉を使うのは言葉の感覚として不適切に思います。
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この回答へのお礼

真っ先に回答、ありがとうございます。
おっしゃるように国内法は典型的法ですが、国際法も近代現代では存在します。国際法からみて罪といってもおかしくはないと思いますが・・・

お礼日時:2005/05/27 22:20

国際法的に「名誉回復」されないと、「もう罪人ではない」と言えないと思います。

(その手続きについては無知ですが)
(以下蛇足です)それより神社側の主張する「合祀」の概念のほうが、国外の理解を得られないのではないかと思っています。個々の霊魂を否定するものですから。というか、日本人だって良くわかっていないのかも。仏壇に手を合わせる意味がないってことなのに。
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この回答へのお礼

お説のとおり政治家が「もう罪人ではない」と言うためには、国際法的に「名誉回復」されないといけませんね。靖国のような宗教家がなんといおうとかまわないとは思いますが・・・

お礼日時:2005/05/27 20:59

日本にとっての定説と言えるか定かではありませんが、


亡くなった人の罪は閻魔様が決めることであって
現世では罪を問わないと考えるようです。
また、その人を供養することが罪を軽くするための
願いであるともされています。

中国がこのような考え方が無いのであれば中国にとって
理があると言えます。
日本にこのような考え方が根付いているのであれば
森岡氏の発言も理があると言えます。

全世界的にどう考えているのかは分かりませんが、
アメリカは懲役200年とかがありますから、
死んでも罪を償う必要があると考える国なんだと思います。

この回答への補足

日本は法治国家です。現世で罪を問わなければ国内では秩序、グローバルには平和はどうなるでしょうか?
宗教家ならいざしらず、森岡氏は政治家です。中国につけいる隙を与えてしまったことは否めません。

補足日時:2005/05/27 22:22
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「もう」ということは、前は罪人だったという意味なのでしょうか?


では、死して罪は消えたという解釈なのでしょうか。その真意を知りたいです・・・。

A級戦犯に決められる過程がまずいのか・・・自分は悪くない、悪いのは相手だ、勝ったからって偉そうにするな、そもそもA戦犯など存在しない、悪いのは戦勝国だという理論ではないのですよね。色々と疑問が湧いてきました。


JR西日本の事故は、社長や取締役には罪がないと言っているのに等しいように思います。
実際に運転していた人(兵隊)に責任がある、会社の代表者(首相や陸軍大臣)は事故に関して全く罪がない、ただのサラリーマン社長(たまたま選挙で選ばれた人)だ、だから責任がないとは誰も考えませんね。

それとも罪と責任は別だということでしょうか?

戦争も病むに病まれずしたことで仕方なかったのだといいたいのかもしれませんが、理由はどうあれ、国家の責任において戦争がなされるわけですから、誰かが責任をとらねばならないと考えます。ならば、国家の長である首相やそれに連なる人々が責任をとるというのは不思議ではないと思いますが・・・。

戦争は勝てば官軍、負ければ賊軍。日本国内の戦いの歴史上、必ず長が全責任を負って、命で贖ってきたわけですから、極東裁判の内容はまったく知りませんが、責任を追及されて当然なのではないかと思います。

時々、対中国や朝鮮に対して、妙に感情的になり、ヒステリックに何でも憎々しく思う人がいるようですが、過去に何か嫌いになる経験したのでしょうかね。こういう人が、次の戦争を起こすのではないかと心配なのですが・・。
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この回答へのお礼

お説のように東条や広田が開戦したのですから彼らが責任をとるのは当然でしたし、その罪は罪だと思います。その罪を憎むけれども、その人間に対する憎しみは確かには私は実感として持ってませんが・・・

お礼日時:2005/05/27 21:10

東京裁判が不当な裁判であったことは常識です。

これは少し勉強すれば誰でもわかることです。
ですから原理的に言えばA級戦犯は罪人でもなんでもありません。

ただ、日本がその不当な裁判を受け入れざるを得ず、そこから戦後が始まったことも事実ですから、政府見解はまだその事実に呪縛されているわけです。
森岡氏の発言は原理的には正しく、政府的にはちょっと困る、といった所でしょうね。ですから細田官房長官は火消しに終われているのです。

ただ森岡氏の発言と中国の主張にどんな論理的関係があるのでしょう?なぜ森岡氏がこのような発言をしたら、中国の主張に理がある事になるのですか?中国の主張は論理的飛躍のオンパレードで、理のカケラもないと思いますが…。

理由は色々ありますが、別に小泉総理はA級戦犯を褒め称えに靖国に行っているわけではないわけで、その時点で中国に靖国参拝を反対される筋合いはないでしょう。

参考URL:http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sonota/yas …

この回答への補足

確かに小泉総理はA級戦犯を褒め称えに靖国に行っているわけではなく、国のために尽くした英霊に感謝を伝えに行っています。このことはいくら主張しても主張しすぎることはないでしょう。

補足日時:2005/05/27 22:34
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元々罪人などではありません。



勝てば官軍、戦勝国のルールで裁かれた結果ですから。
敗戦国は、それを無条件で受け容れる以外、途がなかったのですから。

この回答への補足

日米戦争の責任で死刑になったのは2人だけです。もし日本が戦勝国になっていたらこのような寛大な裁判が行われたでしょうか?私はそうは思えません。

補足日時:2005/05/27 22:40
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そうですね、罪人でないというとどうなるかが大事だと思いますね、そうなると昔の軍国主義を認めることになるでしょう、こういう問題は、こっちの側でしか考えないものですから、人間というものは。



結局こういう問題は、法的にどうこうということや、裁判がどうだこうだというより、全体の形が成り立つかを考えたほうが良い、今の時代は小さな人間や小さな事を考えることしかしない人が多いと言うかな、そういう問題を出してワーワー騒げば大きくは見えるだろうが、その後始末まで考えてはいないだろう。

私の考えでは、理論的にどうだこうだという自己満足では結局、お互いの関係は築けないと思うけどね、残念ながら今の時代は、そういう自己満足ぐらいしか考えれない人しかいないのかもしれないなと、全体的に感じますね、そういう発言を認めるところとかも、相手を悪く言うのは楽だけどね、それでうまくいくとはあまり思えないですね。

この国は結局外交というものがわかってない、相手の立場とこっちの立場両方を考えつつ、手を考えるから外交なのだが、日本人は日本人のことしか考えてない、本当はそこが一番問題なんだけど、そこが直らないと、今回の問題は解決しないと思いますね。
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この回答へのお礼

確かに罪人でないというとどうなるかが大事ですね。それを今回のように何もいわないと昔の軍国主義を認めるように受け取られてしまいます。それだけは避けないと・・・

お礼日時:2005/05/27 21:15

おはようございます。



私も、そも「罪人ではない」と言う他の方の意見と同じです。日本は敗戦国となり、有無を言わさず東京裁判にて「戦争責任」を問われる立場となりましたが、実際には日本を擁護する声は東南アジアや当の中国からも挙がっていますし、日本の無実を獲得する為に尽力したインドのパール判事の例もあります。(彼は、米国から最後通牒である『ハルノート』を、米国からの「最終的宣戦布告」であると指摘しています)

また彼は、A級戦犯にも戦勝国が主張するような違法行為は無かったと論証し、全員無罪を主張、「戦勝国による集団リンチに他ならない」と言って、東京裁判の無効性を主張しました。
しかし、他の方の言うとおり「勝てば官軍」です。それを鵜呑みせねばならない状況下において、東京裁判は行われ、A級戦犯として裁かれた訳です。ですのでこれは、罪人と言う位置づけにはならないでしょう。

で、仮に中国側が言う通りに「A級戦犯=罪人」と決め付けたとしても、それは東京裁判で「法的」に裁かれ、その罪はその方達の命をもって償いとされました。
罪を償ってもなお「罪人」と呼ばれる・・・それもおかしな話ではないでしょうか?

この回答への補足

罪を憎んで人を憎まずといいますが、やはり感情はどうにもなりません。だから償ってもらうわけです。彼らはもう自らの死により罪を償いましたので、「人を憎む」感情にはさらされなくていいわけです。だからといって「平和に対する罪」という東京裁判の判決を否定してはいけません。もう二度とこのような不幸な事件があってはならないという気持ちは何より大事だと思います。

また米国からの『ハルノート』は、断じて「最終的宣戦布告」ではありません。パール判事は、「平和に対する罪」の被害者ではないので、全員無罪を主張したのでしょう。

補足日時:2005/05/27 21:17
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罪人であるとか、違うとかはそれぞれの考え方、見方などがあるでしょうが、


中国の人が言う気持ちも私は分からないでもありません。

例えば、日本のA級戦犯は罪人ではないからと擁護するようにヒットラーを扱ったらどのような結果になるか 
火を見るよりも明らかではないでしょうか?
それと同じように中国人もユダヤ人がヒットラーを考える同じ感情になると思います。

それに何故に総理大臣および一部の政府の人が中国人の感情を無視してまで靖国に拘るのか、どうしても理解出来ません。
そんなに戦争の英霊を称えたいのなら、なにも目立つように靖国へ参拝などしなく、
自宅ででも靖国へ向かってすればいいと考えます。
どうしても靖国へ参拝したかったら、要人でなくなった時にいけばいいと思うのです。
(役人は権力に執着するので、それは無理でしょうが・・・)

この回答への補足

確かに今の中国は強国ですが、それに屈するのですか?中共は米国のような紳士の国ではありません。米国に降伏したときのような展開は望めないでしょう。

補足日時:2005/05/27 22:44
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大きな事故、事件、戦争などの場合、必ず責任をとる人が必要です。


イザという時、責任をとるために、上司、経営者、司令官がいます。

A級戦犯の人達は、その責任をとらされたのです。
JR西日本の社長が、「列車事故は、運転手の責任、日勤教育は、指導者の責任で、自分に責任は無い」で、世間の人は納得しますか?

三菱自動車の社長が、クレーム隠しは、「全社長時代のことなので、自分に責任は無い」と言ったら、世間ではどのように思いますか。

「A級戦犯に戦争責任は無い」と言うことは、これと同じ事です。
当然世界が納得するはずはありません。

「死んでしまったから、罪が消えたから問題ない」との意見は、NHKの元会長が、「会長職を辞めたので、全ての罪が消えたから、顧問になっても問題ない」との考えと同じです。

それで、世間が納得したでしょうか?

日本の場合、責任の所在がはっきりせず、うやむやになってしまい、傷口を広げる事が多すぎると思います。
責任の所在をはっきりさせる事と、何のために上司が、経営者が、上官がいるのか、真剣に考える事が大切だと思います。
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この回答へのお礼

お説の通り「死んでしまったから、罪が消えたから問題ない」との意見は、NHKの元会長が、「会長職を辞めたので、全ての罪が消えたから、顧問になっても問題ない」との考えと似ています。

お礼日時:2005/05/27 22:54

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