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米国の年代の人と話すとすぐに真珠湾奇襲(スニーカーアタック)のことで日本はずるいとなります、ではベトナム戦争では米国ではいつベトナムへどのような手段で宣戦布告したんでしょうか? もし仏国の代理戦争なら正義の戦争代理人は宣戦布告が不要なのでしょうか?

A 回答 (6件)

国際法では正式に戦争は宣戦布告を相互に行う事で国際的に認められる事に成っています。


ベトナム戦争はどこも宣戦布告を行った国はありませんので国際法上は内戦に成ります。

フランスの植民地であったベトナムで独立戦争が始まり北ベトナム人民民主主義共和国が勝利して独立を果たしましたが、共産主義国が拡大することを嫌ったアメリカが介入し南ベトナム民主義共和国を作りベトナムを南北に分割したのです。
アメリカは軍事顧問団と称してアメリカ軍を送り込みテコいれしましたが南ベトナムに解放戦線が結成され腐敗や弾圧がひどかった南ベトナム政府に反抗して内戦状態になりました。

アメリカは強力に軍事援助を行い南ベトナム解放戦線を制圧しそうになりこれを見た北ベトナムが祖国統一のため介入したのがベトナム戦争なのです。

従ってアメリカには宣戦布告する大義名分はありません。 たまたま派遣していたアメリカ軍が危険に陥りそれを救済するためズルズルと巻き込まれてしまっただけです。 このような状態で宣戦布告を行えば激しく非難していた日本の日中戦争と同じ立場になり国際的非難をあびます。
あくまで内戦として処理するしかなかったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

さらに、回答から質問させてください。

「宣戦布告を相互に行う事で国際的に認められる事に成っています。」

この相互ですが、相手が宣戦布告を受け入れたく無い時は、その通知は具体的にどうするんですか? また、なんら反論しなければ宣戦布告を受け入れたことになりますか?


「アメリカが介入し」
ビエンデエンフーで仏国はべトミンに敗北して撤退を余儀なくされますが、その時仏国は米国へ正式に手助け、助っ人、もしくは後釜を頼んだのですか? あくまでも頼んだのは南ベトナム政府であって、去っていく仏国はまったく関与していないのですか?  それともドミノ論理で米国が勝手に例の正義感で南ベトナムへ介入していった、(押しかけ用心棒)なのでしょうか?

幾ら米国でも内戦へ外国の軍隊応援に行くこと事態がもはその行為は内政干渉であり大儀名文に欠けるのでは・・・

お礼日時:2005/07/06 18:47

国際法制度としての宣戦布告(”declaration of war”)は1907年のハーグ第三条約に法典化されました.しかし,パリ不戦条約,第二次世界大戦終結,国連憲章採択などをへて”戦争”(”war”)そのものの違法化が進むにつれ,宣戦布告が伝統的に果たしてきた平時国際法から戦時国際法への移行手続としての重要性は次第に弱まっていきました.



加えて,既に戦前から宣戦布告なしで戦争状態に陥る事例が後を絶たなかったため,戦後は戦争法規(”laws and customs of war”)にかわって武力紛争法(”law of armed conflict”)が,さらに1970年代からは国際人道法(”international humanitarian law”)が発展し,武力紛争法・国際人道法のどちらを適用するにせよ宣戦布告の存在は必要不可欠ではなくなっていったのです.

このようにして,宣戦布告を境にして戦時国際法が平時国際法に取って代わるという構図は,原則として平時国際法が恒常的に適用されるが武力紛争勃発の際には武力紛争法も適用されかつ平時国際法の一部(通商条約など)が紛争状態の影響を受けるという構図に変わっていきました.

(今日でも,交戦行為に関する細則や中立国との関係を考えるにあたって宣戦布告の有無が一定の意味を持つとする見解が一部にはあります.)

いずれにせよ,ベトナム戦争の頃までには,宣戦布告無しでは国際法適用の対象となる戦争(もっと正確に言うと武力紛争)は存在しないという状況ではなくなっていました.いわゆるベトナム戦争と呼ばれる出来事が国際法のいう武力紛争であったこと,さらにこの紛争に武力紛争法が適用することは問題にはなりませんでした.問題だったのは,アメリカ介入によって”国際性を帯びた非国際武力紛争”(”internatinalised non-international armed conflict”)となったこの紛争へ武力紛争法諸規範のうちどれが適用されるかということでした.

最後に,宣戦布告と侵略(”aggression”)との関係についてですが,第二次世界大戦後の国際法においては,宣戦布告をしなければ必ず侵略になるわけでも,その逆に宣戦布告をすれば必ず侵略でなくなるわけでもありません.A国が国際法上正当な理由なくB国に武力行使をした場合,その行為は基本的に侵略となります(詳細は割愛).
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追加質問におこたえします。


宣戦布告は布告をした国が戦時法規を遵守することになるわけで、それを受けた国も義務化されるものではありません。
従ってどちらか一方だけが布告して戦争を始めることもあり得ます。

この場合宣戦布告を行わなかった国は侵略に対し自衛権をもつので戦争行為を行う事は自由です。
特に宣言することは不要です。

フランスは敗北後ベトナムから撤退宣言をして放棄したのですから既に発言権はありません。
南ベトナム政府はアメリカの支援で出来た国ですからアメリカとしては見捨てるわけにいかなかったのです。

押し掛け用心棒ならぬ押し掛け女房で、亭主の座を肩代わりして奮戦し簡単に勝利するつもりでしたが、思わぬ敗北を喫したのです。
アメリカとしては北ベトナムに進攻して決着をつけたかったでしょうがそれは国際情勢が容認しませんでした。 アメリカ内部にも反戦運動が高まって来ていました。
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すいません追加です。



宣戦布告は言葉の通りで、戦争を行う宣言の布告です。これは攻撃後であろうが前だろうが構いません。また、相手は関係ありません。ちなみに内戦の場合は局外中立宣言の布告が必要です。これが無い場合は暴徒が発生しただけに過ぎない状況(日本で言う安保闘争など)となります。

宣戦布告…A国はB国と戦争状態になったという宣言
停戦の方法→元首による軍事行動全面中止宣言又は膠着状態中に周旋国による停戦提案
宣戦布告の終了→講和条約の締結

内戦状態の布告→局外中立宣言布告
内戦の終了→局外中立終了布告

です。
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 ベトナム戦争は戦争ではありません。

元々は南ベトナムに対する軍事顧問団の派遣でした。

 フランス撤退後、ベトナムの武装解除を行うのに北緯17度で分けて作業が行われました。その時、南側の武装解除を受け持ったのが米国です。その頃、米国内では東南アジアが共産化する恐れがある(実際、マラヤ共産軍、タイ共産軍、インドネシア共産軍、フィリピン共産軍が活発に行動をしていました)と言われ、ベトナム総選挙を実施した場合、間違いなくホーチミンが勝利する状況でした。それを恐れた米国は、南ベトナムに傀儡政権を作り、軍事支援を行ったのです。無論、選挙は行いませんでした。これに反発した民衆はベトナム民族解放戦線を結成し、また知識人の焼身抗議(通称・ヒューマンバーベキュー)が行われました。当時のARVNは軍事的に完成しておらず、米国の直接支援が必要でした。そこでダナンに海兵隊を送り込み、直接支援を行うことにしたのです。
 この軍事介入に対して民衆はますます反発します。これに対応するには兵力が足りないということで続々と増援され、僅か1年で50万人の増派が行われました。その最中にトンキン湾事件が発生し、ベトコンの影には北ベトナムがいるという事で北爆を開始します。

これが65年までのだいたいの経過ですがいかがでしょうか?
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米国は北ベトナムに対し、宣戦布告していません。


南ベトナムに傀儡政権を樹立させ、軍事顧問団として駐留し、南ベトナム軍が南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)にあっけなく敗れたことから軍事介入、トンキン湾事件(米国の自作自演)を契機に北ベトナムに対する軍事行動を起こしました。
1964年8月7日に、上院、下院でトンキン湾決議が可決されていますが、これは米国の軍事介入に支持を与えたもので、正確には宣戦布告ではありません。
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この回答へのお礼

インドシナへ行っていてお礼が遅くなりました。
分かりました、結局強者の論理なのですね。
明日からラオスへ行きます。 ご承知のようにベトナム戦争当時北爆ルートが一部ラオスを通過していたためラオスをB52で爆撃します、(ジャール平原はそれが観光されていまあすが)その爆弾の総量は第2次世界大戦で欧州で落と落とされた爆弾の総量をラオス一国で超えています。 それでもやはりラオスに対して宣戦布告はなかった様です。(ベトナムを助けるお前が悪い!との論理でしょうか?)でも、真珠湾の責任追及の米国の論理を思うと矛盾を感じます。 しかし、それが米国風正義なのですね。
よく分かりました。 ありがとうございます。

お礼日時:2005/07/21 09:11

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