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北条政子は源頼朝の妻となったのに、「源政子」と言われずに、「北条政子」と呼ばれるのはなぜなのか。

疑問1
この時代に妻となっても、夫の姓を名乗らないのが習慣であったのか。

疑問2
政子の手紙などには、署名を「源政子」としたものはないのか。また、「北条政子」としたものはあるのか。

疑問3
通称で言えば、細川ガラシャは夫の姓で呼ばれるが、これは、戦国時代へと時代が下り、習慣が変わったからなのか。あるいは、キリスト教徒という特殊な理由でなのか。

A 回答 (7件)

1・明治の戸籍創設以前では女性が自ら姓や苗字を


 名乗ることは極めて稀であったと思います。
 女性は公式な地位を持ちませんから文書の署名も
 遺っていません(例外はあります)。

2・源政子の署名は目にしたことがありません。
 鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には
 「平政子」もありますが、より多いのは「二品禅  尼」という敬称で記載され
 ています。
 「源頼朝卿妻」などでなく「平政子」という記載は 女性としてはたいへん珍し
 く、政子の特別な地位 が考慮されているものと思 われます。
 また『吾妻鏡』の時代になると政子は婚家(源氏) から実家(北条=平氏)
 への帰属を強めたのではないでしょうか。

3・細川ガラシャの呼び名の来歴は知りませんが、
 もしかするとイエズス会の僧によるカトリックの
 慣習からきているかもしれませんね。
 日野富子についてはよく知りません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
『吾妻鏡』の中には、「平政子」の記載があるのですか。
機会があったら、あたってみようと思います。

お礼日時:2005/07/10 16:51

No.5の者です。

補足しますと、英米でも「女性が夫の姓を名乗る」ようになったのは最近のことです。(英米以外のことは知りませんので)

例えば、ヒラリー・ロダムさんがウィリアム・H・クリントン氏の妻になりました。その場合、ヒラリーさんは正式には
「Mrs. William H. Clinton」
と呼ばれます。日本流に言えば「ウィリアム・H・クリントン様令夫人」です。その上で、「クリントン夫人のファーストネームはヒラリー」ということになりますが、家族以外が呼びかける際は「Mrs. Clinton」としか呼びません。最近のアメリカでは、家族以外に対しても気軽にファーストネームを使いますが、これも古い習慣ではありません。

現在では、ヒラリーさんは、我々が良く知っている
Hillary Rodham Clinton
という名前で呼ばれることが多いですが、
Mrs.(Ms.) Hillary Rodham Clintonという表記より、Mrs. William H. Clintonの方が、現在でも正式であるとされています。

このように考えますと、既婚女性の呼び方については、明治以前の日本と19世紀までの英米は概ね同じ「細川忠興のうち」「Mrs. William Clinton」であったと言えます。その後「細川玉子」「Hillary Clinton」に変化したのも軌を一にしているのが興味深いです。
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江戸時代以前の著名な武家の女性が公的文書に署名した例として、武田勝頼の妻(北条氏康の娘)が神社の願文に署名した文書を知っています。

そこでの署名は「源勝頼 うち」(武田勝頼の妻)となっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1% …
の人です。

江戸時代以前、武家の女性は「**の娘」「**の妻」と言った形で把握されていました。

北条政子と通称される女性は、

「平遠江守北条時政の娘。源右近衛大将頼朝の妻。名は政子」

と呼ぶのが、当時の実情に最も近かったと思われます。

細川ガラシヤと通称される女性も、当時そのような名前で呼ばれていたわけではありません。

「明智光秀の娘。細川忠興の妻。名は玉子。洗礼名はガラシヤ」

となります。

女性が自ら姓を称することはないが、「父の姓、夫の姓」で識別されるということですね。平安時代の女傑が、「清原少納言の娘」、略して「清少納言」と呼ばれるのと同じです。
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この回答へのお礼

ありがとうとうございました。

>平遠江守北条時政の娘。源右近衛大将頼朝の妻。名は政子

このよううな承知のされ方だったのですね。とても参考になりました。

お礼日時:2005/07/10 16:45

姓と苗字は違います。

姓は天皇家によって与えられたものですので基本的に変わりません(勝手に変えられない)。
なので北条政子は皆さんの仰る平政子(たいらのまさこ)のままです。

ただし。苗字は変わることもあるし、また未亡人として家を受け継ぐ場合は変わります。これは「家」を継いだからです。

また俗称、通称というものもあります。例えば日野富子。この人は姓は藤原で、ふじわらのとみこ。その旦那は足利義政ですが。このひとは姓は源。みなもとのよしまさ。なのですが、通常足利、日野と呼び習わされているわけです。ガラシャ夫人の場合もそういうものでしょうし、そもそもこれは細川氏の夫人である、ということで、他の意味はないのです。
なぜなら細川氏も少なくとも自称は清和源氏なので、姓は細川ではなく源です。

以上くり返しになりますが、姓はかえられません。(源平藤橘、とか、豊臣なんてのもそうです)
かえる、というのも天皇だけの権限だからで、逆に天皇が変えろといえば変わります。

苗字は他の同姓だけど遠い親戚や遠すぎて単に同姓というだけ、とか、さらに**源氏や**平氏のようにそもそも初代から別(まあ天皇の子孫には違いないのでとお~~~~~い親戚ではありますが)と区別するため、またそういうのに関連して主に地名や職掌などから(とは限りませんが)つけます。さらにそういうのに習って他でも苗字が作られますが、もちろん天皇家がつけたわけではないので姓ではないわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。姓と苗字違うものなんですね。姓はカバネと読むのでしょうか。苗字はミョウジでいいんだろうな。
氏姓の氏は、苗字のことでいいんでしょうか。
なかなか奥が深いものですね。

源政子と呼ばれずに、北条政子と呼ばれる理由がだいぶわかりました。

お礼日時:2005/07/09 11:45

アジアの殆どの国が夫婦別姓を名乗るのは儒教の影響で、わが国が同姓になったのは明治時代に、西欧文明が入ってからになります。


細川ガラシア夫人も本名は「明智玉」、洗礼名がガラシアで、この時点で西欧(キリスト教)の伝統に従い、夫と同じ姓を名乗ったのではないかな。(想像です)
西欧では姓を「ファミリーネーム」といって、家族は同じ姓を名乗るのが普通なので、ガラシアもそれに従ったのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

細川ガラシャはやはりキリスト教徒ということで、特殊なんでしょうね。
疑問3も解決しました。

お礼日時:2005/07/08 22:44

補足ですが、中国や韓国では今でも妻が婚家の姓を名乗ることはなく一生実家の姓で通します。


妻が婚家の姓を名乗るようになったのは明治維新のときに西洋の風習をまねてそういうようにしただけで、江戸時代以前は妻は一生実家の苗字・姓で通しました。
系図などにも妻はなんとか氏というように実名はかかれなくても実家の苗字は書かれるのがふつうでした。
また、署名ですが、正式文書などに書く場合は姓名を書きましたが、この場合の姓とは源平藤橘で北条は苗字ですからその場合は平政子と書いたと思われます。
ただ、略式の文書や文書の種類によっては名前だけをかくということもありました。
もし北条政子だの源政子などと署名した文書があれば素人の作った偽文書です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

疑問1と疑問2は解決いたしました。
日野富子なんかも、足利ではなく、日野ですものね。

>もし北条政子だの源政子などと署名した文書があれば素人の作った偽文書です。
偽文書を作るときは、平政子でいきたいと思います。

お礼日時:2005/07/08 22:41

明治になるまで妻は実家の苗字を名乗りました。

婚家の苗字を名乗ることはありませんでした。ですから北条政子です。
北条は苗字で姓は平です。ですからあるとしても平政子だと思います。
細川ガラシャは明智光秀の娘なので明智ガラシャではまずいのでそういわれたのでしょう。
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