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放送から25年たった今でも人気のある「ガンダム」ですが、放映当時の(再放送時)初代ガンダムおよびガンプラの人気は凄かったと聞きます。

ただ「凄かった」というだけで、当時まだ生まれていなかった僕には具体的な当時の様子がよくわかりません。アニメファンだけが熱中していたのか、それとも日本中の誰もが知っているような盛り上がりぶりだったのか。

当時のガンダムにまつわるエピソードをお聞かせください。

A 回答 (14件中1~10件)

本放送当時、高校生でした。



最初は、アニメ雑誌を買うような人たちにしか人気はなかったと思います(アニメ誌の存在自体がマイナーでした)。
ジャブローより後に、ニュータイプという概念が登場してからは、ファンは盛り上がりましたけど。

全国的に騒がれたのは、ガンプラブームと映画版の公開からでしょう。

ガンプラは子供達に大人気でいつも品薄で、プラモ屋さんは予約制にするところが多かったです。

あと問題になったのが、「抱き合わせ商法」。
人気に片寄りがありましたから、お店の人は折角入荷したプラモが人気のないMSで売れず、人気のガンダムは入らず、お客さんはがっかりで大変でした。
で、人気のないMSのプラモを、「これを買わないとガンダムは売ってやらない」と合わせて買わせるお店がどこにでもあったのです。

ホビージャパンでも毎月ガンプラを取り上げていました。最初は素組に近かったのが、どんどんディテールアッップが進んだのと、読者のオリジナルMSというのも盛んでした。
当時趣味としての人気のピークを過ぎたプラモ業界にとっては、まさに救世主だったと思います。

映画の3でセイラさんの入浴シーンがありますが、劇場ではストロボが凄かったです。
アニメ誌にオリジナルヌード折り込みポスターなんてのが付いたりもしました。
アニメ誌の企画で、ガンダムのコスプレというのをやっていて、私はそれで初めてコスプレを見ました。

当時はアニメと商売があまり連動していなくて、レコードとガンプラとムックくらいでした。
ホームビデオはまだ珍しかったですし。
ファンは何でも欲しがりましたけど(セル画とか)、グッズ類はほとんどなかったですね。
自分でイラストを描いてしまう人が、私の周りには多かったです。
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ガンプラ人気にあやかって、現在エアガンで有名な「あの東京マルイ」ですら


パチモンで稼ごうとしたほどの人気だったのです。


http://image.blog.livedoor.jp/rigul/721f53f0.jpg

参考URL:http://www.webeyes.jp/~sfjyun/hp/strange/gan.html
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クラスの男子ほぼ全員がプラモつくりに夢中でしたね。


友達の部屋で10人くらいでプラモを夢中で作ってて、
接着剤(当時のプラモは接着剤で組み立ててました)や、
塗料やうすめ液(シンナー入り)の匂いがすごいのに
部屋の換気をしてなくて、友達のお母さんにブライトさんのように「なにやってんの!」って怒られたり・・・

スキー教室で滑るときは必ず「アムロいきまーす!」
とか、3人並んでジェットストリームアタックとかやってましたね・・・

とにかく、キン消し(キン肉マン消しゴム)など、
いろいろ流行りだすとみんなが真似する時代でした(笑)
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こんにちは



私はちょうど本放送が開始された時が小学生でした。
最初は新しいアニメが始まったくらいになんとなく見始めました。
ただ小学生だった私には全く面白さが理解できず、
ジャブローぐらいでいつのまにか本放送を見るのをやめていました。
ズゴックまでは記憶にあるので多分そうだと思います。

その後、中学生になってから
単純にプラモデルを作るのが好きだったせいもありますが、
ガンダムだからというわけではなく、
車や戦車のプラモを作る感覚で、何となく「ガンプラ」を作ってましたねぇ。(^^;)
ただ同じパッケージのシリーズで、次から次へと違うモデルが発売されるという
アニメ系では今までにない斬新は発売だったので、
私の様に本放送の面白さが理解出来なかった世代が、だんだんアニメに再び興味が出てきたという
回帰現象があったのもこの時期の特徴かなと思いました。

恥ずかしながら、アニメはジャブローで見るのをやめていたので
ゲルググ、リックドム、ギャン、ビグザム、ジオング、エルメスなどは、
プラモデルが出て、初めて存在を知りました。

私のとこもなかなか入荷しなくて、
毎週日曜はプラモデル屋に入り浸るのが日課になってました。
しかも入荷してみないとその日にどのモデルが入荷するかも分からない状態でしたので
マイナーなモデルはなかなか入荷しなかったりと、
今風に言えば、レアアイテムのはしりになっていたと思います。

ただ当時の子供にはプラモデル先行というよりは、偏重だったと思います。
ブームの発端はアニメを見たからではなく、
単にガンダムのプラモデルが目新しかったんだと思います。
当時はプラモデルというと
腕も足も動かない、造形がいまいちで、しかも主人公ロボしか出ないものばかりでした。
ガンダムのように、連邦はおろかジオンにいたるまで
アニメに登場したメカは全てモデル化され、
しかも武器セットという今から思えば微妙なものまで
モデル化されたのが大きかったと思います。
ほとんどトレーディングカード状態でした。

まさに買っている子供は徹底的に買うけど、
買わない子供は全然興味が無いという感じでしたね。
まあ、ミニ四駆のようなコミュニケーションアイテムではなかったですしね。

まだファミコンすらこの世に出ていない時代だったので
子供にとっては、これしかなかったのかもしれません。
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ちょうどリアルタイムで中学生でした。



ですから、私の感じた所を申し上げると、「アニメージュ」という雑誌で特集記事が組まれるなどして、「すごいんだ~。すごいんだ~。」と煽られた結果、ものすごいブームになった気がします。

それから、OUTなどでまた切り口の違った楽しみ方も浸透して、なおさら煽られたという所ではないかな?

実際、私も最初はそうでもなかったのに、煽られる感じではまっていった気もします。

あのころ、富野監督は今の宮崎駿監督みたいに、作れば「すごい!すごい!」と崇め奉られていたと思います。
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当時、といっても劇場版公開時ですが


「哀・戦士編」の紹介がお昼のワイドショーでされていたのを覚えています。中身はよくわかっていなくても、「ガンダム」「ガンプラ」という単語だけは、それなりに認知されていたようです。

ただし一般的な認知としては
「小学生が異常に熱中している、ガンダムというアニメのプラモデルがある」
という程度です。単語としては知っているけれども、熱中していたのは「一部の小学生」という認知です。

ですから、当時からのファンとしては「小学生が熱中するものが好きだなんて、なんて子供っぽい奴だ」という評価がとても悔しく、正直「ガンダムを知らないガンプラマニア」は疎ましい存在でしたね。
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ガンプラについてです!!


当時小学生だった私は、朝6時くらいから
近所のプラモデル屋に並びに行きました!!
でも、、、、50番くらいなんですよ、、、
10時開店なのに、、、6時でも買えるか買えないかぎりぎり、、、
そんで、希望の、プラモデルが買えなかったんですよ、、、、
そんで、次の日曜日にまた並ぶんですよ、、、
毎週日曜のイベント!!になってましたよ!!
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>アニパロ・・というと同人誌の類でしょうか?



OUTやアニメックといったアニメ誌(ともに休刊)が主戦場になっていましたが、アニメのキャラと業界ネタをミックスしたものが多かったです。
(一部は単行本に収録されたものもあります)
ガンダムの映画化のころから盛り上がり、イデオンの映画化の時期がピークだったように思います。
新宿でのイベントなんかは新聞でも取り上げられるほどの社会現象と化してましたし。

この頃にアニパロで活躍してその後に業界で名をあげたのが先述のゆうきまさみ氏や美樹本晴彦氏、出渕裕氏などです。
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機動戦士ガンダムは、名古屋テレビのサンライズ枠で、「無敵鋼人ダイターン3」の後番組として制作、放送されました。



放送1ヶ月前からのCMは、永井一郎氏がナレーションで、「壮大なSFアニメーションが、今、君たちの前に展開する。モビルスーツが戦場を乱舞する。機動戦士ガンダム。君は生き延びることができるか。」

ここで、「モビルスーツ」という単語が非常に斬新で、モビルスーツとはなんだろう、この武蔵坊弁慶みたいな一つ目のロボットじゃないよな、白いのがガンダムらしいが、赤いロボットはなんだろう。なんで巨大なマシンガンが武器なんだ、プリンスシャーキンみたいなこの人はだれ?という疑問が次々に沸いてきて、放送日を楽しみにしていました。

放送第1話を見て、敵が同じ人類で、宇宙空間といっても地球周辺という環境、ロボットが戦車のような量産兵器扱い、軍隊色が非常に強い、といった「今までとは違う、ダイターンのような感じではない」と思いました。しかし、名称に関してはなんだ、「モビルスーツ」とは巨大ロボットを言い換えただけか。と感じました。

スポンサーCMには違和感ありありで、作品内は兵器扱いのモビルスーツもおもちゃになると超合金もどき路線でした。スポンサーは今はなきクローバー。バンダイではありません。

放送して一ヶ月過ぎたところで、カプセル自動販売機で軟質ゴム製のガンダムシリーズが登場して、これが大当たりでした。クローバーでは立体化していないザク、ドップ、マゼラアタックなど、ジオン側のメカも登場したので、これをつかって、ジオラマを展開させることがはやりました。

カプセル自販機のプラ製のコアファイターの出来は秀逸で、改造すればコアブロックに変形可能でした。(バンダイ製ではありません。)

ガンダム放送中は、バンダイはまったく作品に関わっていませんでした。
当時は宇宙戦艦ヤマトのプラモデルが主役でした。サンライズ作品は東映がかかわっていないとモデル化しなかったのです。

本放送のグフが出てきたあたりから、ホビージャパンのモデラーたちが、FRPを使ったフルスクラッチでモビルスーツのジオラマを展開させました。これが大人気。バンダイがこれに目をつけました。

本放送が打ち切り決定した時、バンダイがクローバーと交渉し、プラモデル権だけを修得。作品の再放送のスポンサーとなると共に、300円のベストメカコレクションシリーズでガンダムを発売し、大人気になりました。

ガンダムの社会的ブームは本放送終了後なのです。

バンダイは、クローバー倒産後に全権を入手し、現在に至っています。
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「アニメージュ」っていう雑誌で、


表紙がアニメーターが書いたシャアの鉛筆画(ラフ画っていうのかな)
だったのには当時びっくりしました。
まあ、確信犯だったのでしょうが、
そんなのが許されるぐらい人気のアニメだったんでしょう。
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