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武家は他藩・隣藩などに親戚筋が結構あったのですか?本家・分家藩の親戚とは別にして。

A 回答 (2件)

大名でしょうか、それともその家臣でしょうか。


大名間であれば、縁組には幕府の許可はいりましたが、他の大名と縁組するのは普通のことで、親戚筋はたくさんいました。
家臣の場合も大藩の下士や、他藩との縁組を好まない家であれば自藩内だけの縁組ということが多いですが、中小藩やある程度の身分の上級の家臣であれば、つりあう身分の家が少ないのでどうしても他藩の同格の身分の家との縁組することになるので、そういう例もよくあります。
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この回答へのお礼

家臣のことをお聞きしたかったのですがよくあるようですね、ありがとうございます。

お礼日時:2005/07/15 22:43

 あります。

たとえば大石内蔵助(赤穂)の親戚は京都と津軽藩にいて、奥さんは豊岡の人です(さらに分家が広島にあったけれど、これは主家が本家・分家の関係だから別)。特に小藩が隣接してたくさんあるところでは藩を越えた通婚はしばしば見られましたが、よくよく見てゆくと、遠い縁戚関係にある家や江戸詰めのとき知合った他藩の家から婿(嫁)をもたったりするなど、他藩でもまったく見ず知らずの他人と縁を組むというのはめずらしいことであるようです。
 芸事、学問、武芸などの筋だと、藩を越えて知合いが増えることはしばしばありますし、江戸詰めで他藩の人と知合い、それが帰国後も持越されたために藩を越えた親戚関係ができたり、あるいはもともとその地の地侍であった有力な一族があっちこっちで一旗あげていろんな藩に別々に抱えられ、親戚が広がるということもありますし、転勤のために別な藩に移動したり(まれではありますが、主家のお輿入れに付人としてついてゆき、嫁ぎ先の藩にそのまま抱えられる人がいました)、主家を退身して江戸で学者、武芸者として名をあげた人がもとの藩とはまったく別なところへ抱えられたために、遠くの藩に分家ができるということもありました。特に江戸中期以降多くなるようです。
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この回答へのお礼

いろいろな事例を示していただきありがとうございます、参考になりました。

お礼日時:2005/07/15 22:47

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