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明治維新のとき、それまでのお金、例えば1両を持っていた人は、何円に換金してもらえたのですか?
それともただの紙切れ、鉄くずになってしまったのでしょうか?

A 回答 (4件)

 一番最初、円という単位を定めたときには、一両=一円でした。

最初の一円貨幣が金貨なのは、小判を念頭においていたからだといわれます。このため、明治の中ごろまで一円を一両といったり、五十銭を二分といったりする言い方が残っていたのですが、その後度重なるインフレのために貨幣価値が下がり(最大のインフレは戦後に起こったもの)、現在のような価格(だいたい幕末の時点の両と今の円を比べると一両=8~10万円。当初の円からは貨幣価値が十万分の一に下がっています)になっているものです。
 もちろん兌換はしてくれましたし、民間ではしばらくのあいだ旧貨も通用していました。
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この回答へのお礼

 はじめは一両が一円だったのですね。それがそんなに価値が下がってしまったとものだとは知りませんでした。江戸時代、一両あれば一年間暮らせていけたなんて聞いたことありますが、今の一円は“たったの一円”ですものね。
 とても面白いお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/22 13:42

当時の一般通貨は金銀銅鉄の硬貨が主体で、他に各藩が私的に発行した藩札という紙幣があるだけでした。


貨幣制度の改革にあたり1両は1円とするなど新貨との換算に配慮はされ、明治政府の発行する新紙幣も金貨との兌換を補償する兌換紙幣でした。

藩札も各藩の事情により交換比率に差はありましたが新貨に交換されたようです。
これらは無用の混乱を避けるためでした。

この回答への補足

どなたの回答もとても参考になりました。
全員をマスターに選べないのが大変残念です。
どうもありがとうございました。

補足日時:2005/07/22 13:55
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この回答へのお礼

みなさんに教えていただいてなんとなくわかりました。
いろいろな種類の硬貨や紙幣が流通していたので、一両を一円とする形で統一し、金銀銅鉄の含有量を計算のうえ、相当する額の円に交換されたというわけなんですね。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/22 13:53

両も文も昭和20年まで使えました。

手元に換算レート表がないので即答できません。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
江戸時代のお金がそんな頃まで使えた
(交換できた)とは驚きです。

お礼日時:2005/07/22 13:35

こういうことを調べていらっしゃる方もいるのですね。

リンク先をご覧ください。
明治政府ってこういうことから始まって、いろいろ決めないといけないことが多くて大変だったでしょうね。

参考URL:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/J030.htm
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この回答へのお礼

参考ページのご紹介ありがとうございます。日本にもこんな時代があったのかと思うと興味深いです。
江戸時代のお金と言ってもいろいろな種類があったのですね。しかもレートは同じ一両でもバラバラのようです。
とても参考になりました。

お礼日時:2005/07/22 13:32

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