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子供と京都旅行に行ってきました。子供曰く、「どうして金閣寺が金ピカなのに銀閣寺は銀ピカじゃないの?」って単純に思ったそうです。
そこで「それはね~・・・・」すみません学が無くてわかりやすい説明が出来ません。金閣寺と銀閣寺のつながりから何故そうなのか解りやすく教えていただけないでしょうか?子供は小学校5年生です。
どうか皆さん宜しくお願いします。

A 回答 (9件)

金閣を見たとの外国人は、銀閣も見たいといってみたとたん、がっかりするそうですが。


銀閣(観音殿)になぜ銀箔が貼られていないのか・・・・・
義政の好みでとかそういうことでなく
棟上げの翌年に義政が病死したので、内装も外装も未完成のままだからというのが実情です。
残されたものは、いまさら、無能な8代将軍の趣味にはつきあっとれんということなんでしょう。

ただ、銀砂灘に照らされた月の光が、楼上を照らし、火頭(花頭・華頭とも)窓をあけると、室内の天井に光が差し、天井には、その中央部僅かな部分であるが銀箔を置いて銀閣の名称に偽りがない事を示したものがある。ただ、外壁には銀箔の痕跡は無い。
この天井の銀箔こそが、銀閣の名の由来ではないでしょうか

今年の三月に京都新聞の記事で、文化庁と鹿苑寺の間で銀閣に銀箔が本当に貼られていなかったのか調査する予定があると報道されていました。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:49

通説では「銀閣を建てた足利義政は銀箔を貼りたかったが、金がなくて貼れなかった。

かわいそう」という話になっています。

「銀砂灘に照らされた月の光が、楼上を照ら、火頭(花頭・華頭とも)窓をあけると、室内の天井に光が差し、天井には、その中央部僅かな部分であるが銀箔を置いて銀閣の名称に偽りがない事を示したものがある。ただ、外壁には銀箔の痕跡は無い。この天井の銀箔こそが、銀閣の名の由来ではないでしょうか」
といったことも言われています。

ですが、事実は

* 銀閣という名称は、江戸時代の寛永年間の大修理の後についた名前。建立者の足利義政自身は、そのような名前をつけていない。

* 銀閣に面した砂盛の「銀砂灘」、および二階天井の銀箔は、いずれも寛永の大修理の後に置かれたもの。

だそうです。要するに、「銀閣というのは後世の人が勝手につけた名前」なわけです。

実際に見れば、この建物に銀箔が貼り詰めてあったらすごく変だと感じますよ。足利義政は、そこまで狂った美意識の持ち主ではなかったということです。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:49

正確には、お寺の名前は、金閣寺が鹿苑寺で、銀閣寺が慈照寺です。


鹿苑寺の金ぴかの建物の名前が金閣、慈照寺の方が銀閣です。

良くある説としては、足利義満が金箔を貼った金閣を建てたのを参考に、足利義政が銀箔を貼った銀閣を建てようとしたが、応仁の乱が発生するなど世が乱れて、幕府が経済的に行き詰まり、銀閣が貼れなかった、と言われています。
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大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:49

金閣寺は1950年に放火魔により消失し、5年後に立て直されました。

金箔自体も1987年に張替えられたそうです。

たしかに銀閣寺は銀箔がありませんが、「金閣寺が金ピカなのに銀閣寺は銀ピカじゃない」のは多分金閣寺が近年手を加えられたこともあり、500年余りたった今でもほぼ建造当時の姿である銀閣寺と比べると、対比が激しいためにそう見えるのでしょう。

なお銀閣寺には銀箔を張る計画はあったそうですが、財政上の都合により中止となったそうです。当地へ行ったことはありませんので、意見は参考程度にしかならないでしょうが…
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:49

こんばんは。


金閣は足利義満将軍のセカンドハウスとして財政のあるころに建てられたものです。利用された金箔は約20キロほどです。
銀閣(観音殿)は財力がなかったために銀箔を貼れなかったとされていますが、真実は謎です。
一つ分かっているのは、創建当時銀箔ではなくて漆が塗ってあった事が判明しています。
足利義政にしてみたら禅の侘び寂を考えたときに銀に塗らなかったと言う説もあるそうです。

「お金がなかった」よりも「敢えて塗らなかった」方が夢がありませんか?
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:50

No1の方の説明の通りです。



足利義満の時代には、金閣寺を作って金箔を貼るぐらい幕府も勢力があったのですけれど、
足利義政の時代には、銀閣寺を作ったが、銀箔を貼ることが出来なくなって、幕府も勢力が無くなったのです。
ちょうど、織田信長が戦にではじめた時のぐらいのことです。

ついでに、今の金閣寺は、昭和20年代になって再建された建物です。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:50

諸説いろいろあるのですが、一番有力とされているのは、単純明快「銀閣寺は銀を張ろうとしたけどお金が無くて張れなかった」です。

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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:50

 義政も義満に倣って豪華な、つまりは銀色の銀閣寺を建てようとしたそうですが、当時の応仁の乱の影響があったのでしょう、お金が足りなかったと聞いたことがあります。

名前だけでも・・・「銀」にしたそうです。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:50

銀箔を貼りたかったんだけど、お金がなかったからできなかったんだよ~。


将軍様も貧乏になっちゃんだよ。

ってことなんですけど。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/12 10:49

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