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魔女狩りについて教えてください。おねがいします。

A 回答 (2件)

魔女狩りの起源は13世紀のフランスだとされています。

一説では1318年の教書で明確に教会が魔女裁判を認めているとされています。
異端審問に端を発した魔女狩りは当時のヨーロッパでブーム(言い方悪いですが)となりました。ブームに拍車を掛けたのが1486年に発刊された『魔女への槌』です。
魔女狩りで思い出すのはジャンヌ・ダルクでしょうか。彼女が1431年に魔女の烙印を押されて火刑に処されたのは有名ですね。
異端の摘発が目的だったはずの魔女狩りは最終的にはビジネスとして機能していきました。

魔女か否かを判断するために幾つもの試験や拷問が考案されました。
・魔女は悪魔と契約した証に身体に刻印が刻まれている
・刻印には感覚が無いとされていた為に、肉眼で刻印が見つからなかった場合は全身に針を刺して無感覚の部位を探る
ビジネスとして成立するのはこの部分です。『魔女』を一人見つける毎に『魔女鑑定料』として高い報酬が貰えた為です。
その為に細工を仕込んだインチキ針を使って『魔女』を捏造する者達が跋扈することになります。
有名どころではマシュー・ホプキンスですかね。尤も彼は当時のイングランド法に違反する事になる「針刺し」は行わず、より巧妙な手段を使っていましたが…。彼は魔女狩り将軍と渾名され、東イングランドで荒稼ぎをしました。まぁ最後にはゴール牧師によって罪業を暴かれて田舎に引っ込みましたが。
他に有名な魔女判別法として試水法がありました。右手親指と左足親指、左手親指と左足親指を結んだ後に池や川に放り込みます。
もし沈んだならば無実。浮かんだならば魔女とされました。まぁ、魔女の嫌疑を掛けられた時点で死刑という未来が決まったようなものなので、被疑者の生死を問わない方法がまかり通っていたんですね。
因みにこの試水法はジェームズ一世(スコットランド王としては六世とも)の著書『悪魔論』にあります。
自白させる為の拷問も、骨砕き、吊り下げ、吊り落とし、焼き鏝、鉄の靴、馬裂き、鉄の処女、針椅子、窒息責、塩鰊などエグいものばかりです。

魔女裁判での裁判官の質問も、殆どが同じ内容だったようです。
魔女になってから何年か、魔女になった動機、関係を持った淫魔の名、悪魔に誓った内容、サバトに参加した悪魔と人間の名、箒の柄に塗った軟膏の作り方等々です。
容疑者が魔女として処刑された後は、その財産から裁判費用諸々を差し引いた余りを法王庁、領主、異端審問官、司教達が分配します。生産力が低い当時にとって魔女狩りとは実に効率の良い商売だった訳です。
実際魔女狩りの対象は貧しい人よりも有産階級(特に金持ちが多かったユダヤ人)に集中していました。
魔女の処刑方法はイングランドの一部が絞首刑を採用していたのを除くと、他は火刑でした。それも生乾きの新木を使って長時間苦痛を与えるような惨い方法です。
記録によると、魔女の火刑の黒煙でドイツの空が黒く染まった、とされています。誇張も含まれているとは思いますが、当時どれだけ魔女狩りが横行していたのか推し量る事は出来るかと思います。

確か…、1800年代まで魔女狩りはあったと思いました。残念な事に現在でも(流石に当時の様な火刑までは無いと思いますが)、魔女の家系とされて差別されるような風潮が残っています。4~5年前にもアメリカだかイギリスで問題になったような気も…。

一般的な魔女狩りについてはこのくらいでしょうか…。
もっと突っ込んだ内容となると、そっち関連の本を読まれる他無いように思います。
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ハリーポッターのアズカバンの囚人でハリーが魔女狩りについてレポートを書いていたと思います。



天災や病気の発生等を魔女の仕業と勝手に決めつけて、拷問していました。

魔女は女性だけでなく、男性も含まれたりします。

魔女とは中世のキリスト教教会で盛んに異端として迫害、弾劾された人たちのこと。実際には、村落共同体の呪術医、あるいはシャーマニズム的宗教者だったりする。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3
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