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 先日、美輪明宏さんがテレビで「三島由紀夫」について語ってました。彼が自決する事件を起こす前に美輪さんと面会した時に美輪さんは彼に「2・2・6事件」の主犯だった軍人の霊が見えたといいました。
 事実、三島氏は日本の軟弱な外交や自衛隊の軟弱さを憂いており、日本の民間防衛組織を立ち上げるべきだとして、「盾の会」というのを作ってましたよね。そういう点からクーデターをしてまでメッセージを伝えようとした「2・2・6事件」の青年将校達に共感していたんでしょうが、人はどうしても自分の心を裏切って行動できない面があったり、他人からみると固執する意味が分からない事に執着してしまいますよね。
 それを左右するのは一体何なんでしょうか?。
 要するに人の「心」「性格」というのは何によって左右されるんでしょうか?。
 医学的には生活環境や教育・食育・遺伝・環境遺伝・身体的特徴からなどいろいろありますが、宗教的な理念でよくあるのは「輪廻」というのがありますよね。人の魂は死に絶えた後も次への肉体へと宿り、前世の記憶は基本的に無いものの、宿った肉体に影響がでるという事です。
 仕事先の上司が創価学会の信者で本気で「輪廻」を信じていました。
 しかし、生まれてからの影響で左右される点も実際にあるわけで、一概に「輪廻」だけで「心」が形成されているとは思えません。
 人間の「心」とは何で形成されているんでしょうか?。
 本当に「輪廻」はあるのでしょうか?。その根拠とは何でしょうか?。

A 回答 (5件)

前世はあると思います。

「前世療法」というアメリカの精神科医の方が前世に関する体験談的な内容の本を出版されています。とても参考になると思います。私はこの本の内容によって人間の「心」が何で形成されているか垣間見えたように思っています。三島由紀夫さんのエピソードですが、背後に見えた軍人と三島氏との関係が気になりますね。憑依されていたのか、前世とか何か因縁がありそうですね。確かに三島氏とその軍人さんと共感する部分があったことには間違いないように思いますよね。そう考えると「輪廻」というシステム、その根拠とは、その人の価値観を「進化」させるシステムではないかと私は思うようになりました。それは上記の本のようなほかの人の体験談や、自分の体験からです。自分の前世を知ることによって、今の人生では「何を変えて、何を維持するか」など、また周囲の人間は憑依によって犯したとされる罪や言動を許そうと思えるのではないでしょうか。結局何を基準に進化したと言えるのか、その目安として宗教が生まれたのかなと思います。「進化」を意識して周囲を見渡すと価値観、生き方も変わります。前世があるかないかは別にして、見解が変わること(多角的に物事を見る)、自分の引き出しが増えることには間違いないかと思っています。人間的に奥行きができるってことかしら。自分自身を追い込まず、他人を責め込まず、物質的なものにたよらなくてもちょっと一呼吸はおけますね、この考え方だと。
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1987年にノーベル生理化学賞を受賞された利根川進は、脳と心の形成の関連について幾つかの著作を書かれています。

結構、面白いですよ!養老猛氏の見解は、非常に明快です。「バカの壁」の後に書かれた本だったでしょう。「心とは何か」-興味のある所ですね。識者の見解に触れるのも有意義と思いますが?どうでしょうか?
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>本当に「輪廻」はあるのでしょうか?



宗教・宗派によって、輪廻・転生を信じる宗教と信じない宗教があります。

基本的に、キリスト教やイスラム教では、輪廻・転生を信じません。
(キリスト教の中のカタリ派、イスラム教の中のドルーズ派は、輪廻転生を信じます)
ヒンズー教は、信じます。
仏教においては、宗派により異なります。
(上座仏教は信じ、阿弥陀系は信じません)

宗教には、死後天国や地獄に行くタイプと、転生するタイプとあります。
大乗仏教は、仏教本来の転生の考え方と、ゾロアスター教などの天国・地獄思想とが混じってしまい、おかしな事になってしまっています。

創価学会も、本来日蓮の考え方(南無妙法蓮華経を唱えれば、極楽にゆける)する考えですから、本来は転生の考え方とは、反するはずです。

輪廻・転生を考える宗派は、現世こそ地獄であり、輪廻転生の輪を断ち切る事(解脱)により、現世の地獄に再度生まれない事を願います。

一方輪廻転生を信じないキリスト教やイスラム教では、復活を信じます。
最後の審判の後、神による天国が、現世に設立され、自分自身がそれに加わる事ができるというものです。

どちらのタイプでも、現在の実世界が、苦痛に満ちた物である事は共通し、平穏無事な世界を、輪廻の外に置くか、はるかな未来におくかの違いだけです。
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輪廻について、少なくとも科学的な根拠はありません。


それが魂のリサイクル、ということなら、そもそも魂が物質的実在としてはほとんど存在不能(諸々の実験的根拠あり。ただし、絶対にない、という証明はどんなものでも原理的に不可能)なので、非物理的存在、ということになります。この場合結局信じるかどうか、という問題なので、議論の対象になりません(正しいかどうか客観的に判断できないのが明らか)。ただし、これはもちろん非存在を証明することにはなりませんが・・・・
三島についてはそもそもかなり「日本主義」的言動があったし、自決前には既にそういう活動をやっていたのだから、芸術家である美輪氏が三島の中に青年将校を「見た」のは不思議でも何でもありません。ある種の芸術家や宗教家の場合、「霊」「天の声」などを幻視・幻聴するのは普通のことで、これが彼らの認識の一端を成しているわけですから。
人間の心というものは必ずしも論理的に機能しません(機能のありかたは論理的に考察できますが、機能そのものは論理に従う、という形をとらないのです)。
そういう点からいって「信じるのは勝手、でも根拠は全くない」という事になるでしょう。繰り返しますが、これは「根拠がない=間違い」というのではありません。そうではなく、証明不能だと言っているので
す。
なお、そもそも生まれたときから違うのが普通(人間ほど複雑なものに、同一、ということこそありえません。むしろみんな大差ないのが不思議で、その為のメカニズムが遺伝とかのしくみになっていますね)なので、別に輪廻や因果応報なんてのを仮定しなくてもある程度の予測は可能です。
ただ、門地とか遺伝とか、自力でどうもならないことがあるのに対し、前世を持ち出すのはまあ一種の合理化と考えられます。しかし、そもそも不平等な社会であり、そのぐらいの差は数学的なゆらぎとして何の不思議もありません。ただ、例えば片や餓死しそうな人々がいて、一方でコンビニの弁当を捨てるなどといったことは納得しがたいから、何か別の理由が欲しいだけだと思います。(失礼な話だけどね)
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「心」も「輪廻」も、根拠のある説明を得ることは不可能だと思います。


宗教に解を求めても、そこに根拠のある解は存在しないでしょうし、科学に解を求めても、現代の水準では心や輪廻を本当の意味で説明することが出来ません。

しかし、医学の領域においては「心」については、興味深い研究結果がいくつか得られています。

かつて有名だった、前頭葉を焼き切る「ロボトミー」という手術がありました。これは精神分裂病の治療法として行われたもので、発明者にはノーベル賞が授与されました。
しかし、現在では全く行われていません。
患者の人格、言い換えれば「心」に障害をもたらすケースが多く見られたからです。
具体的には楽天的・空虚的になり、落ち着きがなくなる、反社会的行動を取りやすくなる、などです。
これは前頭葉が情動を司るからだと考えられているからです。

他にも、脳の障害部位によって「動いているものが認識できなくなる」「物体の見分けが付かなくなる」など、正常な状態ではおよそ想像できないような障害をきたすことがあります。

鬱病は心の病とされていますが、それは紛れもなく「脳の機能異常」です。現在の研究によると、鬱病はセロトニンという脳内伝達物質に関する異常で、分泌異常や、受容体異常によって病気が引き起こされます。それ故、心の病であっても「薬で治す」ことが不可欠とされます。

それらを総括すると、いわゆる「心」は脳の各部に分かれて存在していて、まとめたものが人格であり、人という存在であるとも考えられます。

身も蓋もない言い方をしてしまうと、心とは脳の物理的振る舞いに過ぎないという見方もできます。もしそうであるなら、輪廻という概念の入る余地もありません。

しかしこれも、現象論に過ぎないこと。
現代の科学では触れることの出来ない領域に、生命を生命として形成する「何か」があるのかもしれないと思っています。

なぜ「私」は「私」なのでしょうか? と。
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