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占いっていつからドコで誰から始まったんですか?わかる範囲でいいんでどれかひとつでも教えて下さい!

A 回答 (1件)

 占星術は、古代メソポタミアやエジプトにおいて天体観測が行われていたのとほぼ同時に発生しています。



 その後、インダス川流域、次に黄河の諸地域において、それぞれ天体観測と共に発生しています。

 また、アメリカ大陸のマヤ文明などにおいても同様です。

 文明の発達は暦の策定作業を伴っており、暦の策定は精密な天体観測を基にしており、そのため、文明の発達と占星術の発達とはほとんど同時進行しているのです。

 中国起源の占術である易(えき)は、中国歴史上最古とされる夏王朝時代には既に成立しており、その夏王朝時代の易を「連山」、次の殷王朝時代の易を「帰蔵」、周王朝直前に成立した易を「周易」と言います。

 また、少なくとも周王朝時代までは、亀の甲羅を焼いてその時に出来た亀裂から吉凶を占う「亀卜(きぼく)」が盛んに行われていました。

 中国特有の思想とも言える陰陽説や五行説(これらは中国占術の根本思想ともいえますが)は、古くは神話などにも見られる考え方ではあるものの、それが占術用に体系だって理論付けられたのは中国の戦国時代以降と考えられています。

 字画による占いは、秦時代に漢字の書き方が統一されたため、少なくともそれ以前には遡らないと考えられますが、詳しいことは分かりません。

 中国での占星術の一種である『四柱推命(しちゅうすいめい)』『紫微斗数(しびとすう)』は、それまであった七政四余という中国式ホロスコープが唐王朝以降何らかの理由で禁止されるようになったため、それに代わるものとして発達したものです。ただ、七政四余に代わるものとして発達したものではありますが、特にこの中でも『紫微斗数(しびとすう)』は、その正確さと詳細さの点で他の占術よりも秀でたものと考えています。

 『算命学』は、その起源を戦国時代の鬼谷子に置く考えがありますが、『算命学』の考え方や構成要素などから考えると、『四柱推命』が成立した後に成立したと考えるのが自然と思われます。

 0学占術や六星占術は、いずれも昭和50年代後半に、和泉宗章氏の『算命占星術入門』『天中殺入門』が成立した後に、そこでの判断要素の一部のみを取り出した上、勝手に独自にアレンジして成立したと考えられます。

 動物占いは、『四柱推命』における生まれた日の干支(かんし)が持つ性質を基に作られたものと考えられます。

 気学は、大正時代、園田真次郎氏によって日本で作られたもので、それまであった九星方鑑学や八門遁甲という方位術の中の九星の部分のみを取り出し、それに中国独自の思想である五行理論を付け加えて体系化したものと考えられています。
 ですから、陰陽思想や五行思想に関しては中国大陸や台湾や朝鮮半島の人にも馴染みがありますが、気学という占いそのものは、日本でしかほとんど知られていませんし、用いられていません。

 中国で四方位の守護神とされる、玄武(北)、青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)は、いずれも元々は夜空に輝く星を表したものと考えられ、成立は紀元前1世紀頃と考えられます。

 『風水』は、元々都を置く地形を選定するとか、墓を作る場所を選定するためのもので、歴史上初めて『風水』を定義したのは晋代の郭ハクとされていますが、それ以前には「形法」とか「堪輿」と呼ばれ、現在の『風水』のように土地や地形を見るだけではなく、人や日をも見る方法とされていたようです。

 私が知っているのはざっとこの程度です。
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